■人権問題研究室室報第29号
 (2002年6月発行)

HIV/AIDSの現在(いま)

石元清英(社会学部教授)

 1981年、アメリカ合州国(以下、アメリカという)の感染症対策機 関である疾病対策センター(CDC)が発行する「死亡疾病週報」(6月 5日号)に、5人の男性同性愛者(以下、ゲイという)がロサンゼルスの 3病院でカリニ肺炎と診断され、その5人のうち2人はすでに死亡してい るという報告が掲載された。これがエイズに関する臨床症例の最初の公式 報告であった。
 それから21年を経たこんにち、各種治療薬の開発により、エイズは確 実に死に結びつく病気ではなく、一生つきあうことになる慢性疾患となり つつある。しかし、それは先進国に限定された変化であり、非常に高価な 治療薬を使うことが困難な第三世界の国々では、依然としてエイズは確実 に死に至る病気であることに変わりがない。
 エイズウイルス(HlV)は、性交渉による感染、母子感染(HlVに 感染した妊婦から胎児への感染)、血液を介しての感染(麻薬常用者の注 射針の共用による感染や輸血による感染など)、以上の3つの感染経路に 限定されており、これら以外の感染例は報告されていない。そして、Hl Vの感染力は弱く、感染者の血液を採取した際の注射針を医療関係者が誤 って刺してしまうという針刺し事故による感染率は、0.3〜0.4%程
エイズで亡くなった
エイズで亡くなったすべて
の人たちを追悼し、キャンドルを灯して パレードする
人たち。毎年、京都で行われているキャンドル・パレード も、今年で10回目を迎えた(主催:HIVととも
に生きる会=プラネット)            
度であり、B型肝炎ウイルスの場合の30%を大きく下回っている。この ように、HlVは感染経路が限定されており、その感染力もきわめて低い のであるが、これまで世界中で6,000万人以上がHlVに感染し、2 ,000万人を超える人たちがエイズを発症して、死亡しているのである 。そして現在、1日に1万6,000人もの人びとが新たにHlVに感染 している。では、爆発的なHlV感染がなぜ起こったのであろうか。
 1980年代に大量のエイズ発症者を出し、1992年にエイズ死が男 性25〜44歳人口の死因のトップになったアメリカでは、当初、エイズ がゲイの病気であると考えられ、社会がエイズに対してまったく無関心で あった。そして、当時のレーガン政権は何らの対策をとることもなく、エ イズ対策の取り組みが本格化するのは、1987年になってのことであっ た。社会の無関心と対策の遅れがHlV感染を広げてしまうことは、感染 者・発症者への支援グループの育成やエイズ教育に取り組み、HlV抗体 検査の無料化、麻薬常用者への注射針の無料配布などを早い段階で行った イギリスやオーストラリアで、HlV感染の拡大が抑えられたという事実 をみても明らかである(WHOの報告によれば、1994年の時点におけ る、人口1万人当たりのエイズ発症者数は、アメリカの15.6人に対し 、イギリスは1.6人、オーストラリアは2.6人となっている)。
 アメリカにおいて、最初に行動を起こしたのはゲイたちであった。つぎ つぎと友人や恋人がエイズで死んでいくのを目にして、感染者・発症者へ の支援、エイズに関する情報・知識の獲得と普及に乗り出したのであった 。そして、ゲイ専用サウナであるバスハウスの閉鎖運動に取り組むととも に、みずからのセックススタイルを変えていった。つまり、セイフ・セッ クスの実践であり、そのよびかけである。その結果、1980年代後半に は、ゲイのあいだで新たにHlVに感染するケースは減少していった。す なわち、ゲイたちはエイズがどのような病気であるのか、正しい知識をも つことによって、さらなる感染を食い止めたのである。エイズに対しては 、学習が最大のワクチンであるといわれるゆえんである。
 1990年代に入ると、異性愛者の白人についても新たな感染者は減少 し、今では黒人やヒスパニック、そして、ホームレスのあいだでの感染の 広がりが目立つようになってきている。現在のアメリカでは、エイズは貧 困と結びついた病気となってしまっているのである。
 一方、第三世界においては、HlV感染が依然として広がりつづけてい る。HlV感染者は南・東南アジアだけで610万人、アフリカのサハラ 砂漠以南で2,810万人にのぼるといわれ、感染の勢いは衰えてはいな い。たとえば、アフリカでは15〜49歳人口の10%以上がHlVに感 染しているという国が16か国もあり、ボツワナでは成人人口の30%以 上がHlVに感染しているという。
 第三世界では、女性の社会的地位が低く、安定した職業が非常に限られ ているため、買売春が日常化し、男性の買春経験率が高い地域が多い。タ イでは伝統的に女性の処女性が重んじられ、末婚男性は逆に性経験が豊富 であることが望ましいと考えられている。こうしたダブルスタンダードの もと、農村部の貧困は多くの女性を売春宿に送り出している。
 第三世界では、収奪的な開発や内戦、貧困が農村のコミュニティを破壊 し、都市への人口集中、スラムの拡大をもたらしている。そこでは農村に おいて維持していた伝統的な生活様式が崩れ、生きる希望を失った人たち が麻薬になぐさめを求め、HlVの感染を広げてしまっている。さらに、 スラムの貧困は女性や子どもを買売春へと追いやっているのである。エイ ズによる死亡者の増加は家庭を崩壊させ、多くのエイズ孤児を生み、貧困 を加速化させる。そして、エイズによる若者の死は、高齢者の比重を高め 、エイズ孤老を生み出すことにもなる。こうして、貧困と社会不安は、麻 薬と買売春を拡大し、それがさらなるHlV感染へとつながるという悪循 環に陥っているのである。
 感染経路が限定され、感染力の弱いHlVが、さまざまな社会矛盾のも とで感染を広げているのである。つまり。HlVは社会矛盾によってその 感染力を強めてしまったのであり、同時にHlVは社会矛盾を大きくして いるのである。
 日本では、2001年末現在のHlV感染者の累計が8,390人であ り、HlVの爆発的な感染はみられていない。しかし、新たな感染者は公 式報告のたびに増加しており、昨年1年間は621人と、前年比34.4 %増となっている。保健所でのHlV抗体検査の受検件数は1992年を ピークに減少をつづけており、現在ではピーク時の3分の1程度である。 このように、抗体検査を受ける人が減少しているにもかかわらず、新たな 感染者数は大幅に増加しているのである。また、献血におけるHlV感染 者の出現率も増加しており、東京山の手線内の献血センターでは、10万 人当たり7人と、アメリカ並みの水準であるという。したがって、検査を 受けていないために、感染を知らないという、潜在化した感染者はかなり いるものと思われる。HlVに感染しても、エイズ発症までに約10年と いう潜伏期間があり、そのあいだ自覚症状もほとんどない。そのため、潜 在化した感染者が多いほど、知らないあいだに2次感染を広く引き起こし てしまう。
 現在の日本では、エイズに対する社会的関心が非常に低く、エイズ教育 の取り組みや政府の対策も低調である。それは1980年代のアメリカに とても似ているといえる。異なるのは、日本に麻薬常用者がアメリカほど 多くないという点であるが、逆にアメリカに比べて日本は買売春が日常化 している(18〜49歳男性の過去1年間の買春経験率は、アメリカの0 .3%に対し、日本は13.6%である)。現状のままでは、日本のHl V感染が今後、確実に深刻化していくことは間違いない。
 感染者・発症者は、エイズ発症の苦しみだけではなく、さまざまな偏見 ・差別という精神的な痛みに苦しんでいる。そして、感染者・発症者に対 する偏見・差別が強いほど、感染者は潜在化し、HlV感染は広がること になる。それゆえ、感染者・発症者が病者としてあたりまえに生きること のできる社会(共生の社会)をつくることが、HlVの感染を食い止める ことにつながるのである。憎むべきはエイズという病気であり、感染者・ 発症者ではないのである。
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ベルリンの新ユダヤ博物館

宇佐見幸彦(文学部教授)

 地下鉄1号線のHallesches Tor(ハレ門)駅から歩いて 10分ほどの、Lindenstrasse(リンデン通り)に、20 01年9月、新しい「ユダヤ博物館」がオープンした。この場所は、1 9世紀には、プロイセン王室裁判所があったところである。この裁判所 は『くるみ割り人形』や『スクリューデリ嬢』などの作品で知られるロ マン主義の作家E.T.A.ホフマンが本職の法律家として働いていた 所である(ホフマン自身はユダヤ人ではないが、彼にちなんでこの新ユ ダヤ博物館には「ホフマンの庭」がある)。
バロック風のユダヤ博物館正面入り口
バロック風の
ユダヤ博物館正面入り口
この王室裁判所は、第2次世界大戦で破壊されたが、美しいバロック風の 建物に復元されている。ここは、現在、新「ユダヤ博物館」の入り日、ク ローク、ミュージアム・ショップとなっている。この入り口から、隣接す る、超近代的な本来の博物館の建物へと地下道が通じている。これはアメ リカの建築家Daniel Libeskindの設計により建てられた もので、メタリックに光る外壁、斜めに切り取られた窓、大胆にカットさ れた構造で、伝統的な王室裁判所の建物と大きなコントラストをなしてい る。
 地下道をしばらく歩くと、この新しい建物が不思議な構造をしているこ とに気付く。通路の床が水平ではないのだ。進行方向の前後にも、左右の 壁に対しても斜めに傾斜してい
超現代的な外観の展示館、手前の茂みが「ホフマンの庭」
超現代的な
外観の展示館、
手前の茂みが「ホフマンの庭」
るのである。前後に傾斜しているだけならば、単なるスロープであるが、 左右に傾斜していると、足元がふらつく。案内係の女性の説明では、こ れはユダヤ人たちがたどった道が、いかに不安に満ちたものであったか を、感覚的に追体験するための工夫だそうである。この傾斜した床の通 路は2本あり、それが途中で交差している。1本は「亡命の道」で、もう 1本は「ホロコーストの道」である。壁には、ナチス時代に迫害されたユ ダヤ人たちが、ドイツから亡命した地名と、データが掲示され、また強 制収容所の場所、強制収容所に関する資料(手紙、写真、持ち物)など が展示されている。亡命の道の終点には「ホフマンの庭」ヘ通じる階段が あったが、私がこの博物館を訪れたのは、気温がマイナス10度近くの、 雪の降る寒い12月の終わりで、クロークにオーバーコートもマフラーも 預けており、このため残念ながら、庭には出なかった(外から眺めたとこ ろ、この庭は遊園地の「迷路」のようになっており、四角いコンクリート ブロックがたくさん並べられていて、そのブロックの上に木が植えられて いる)。ホロコーストの道の最後には「ホロコースト塔の空間」がある。 扉の外でしばらく待っていると、係りの女性がなかに入れてくれた。扉を 閉めると、なかは真っ暗で、高い天井の上の方で風の音がするだけである 。不気味な闇の空間で、生命を奪われた多数の人々のことを黙想するとこ ろである。亡命地ニューヨークという表示のあるコーナーにはパソコンが 数台おいてあり、この博物館の詳しい情報を得ることもできる。
 この二つの地下道にある展示は、壁の両側に小さくおかれているだけで 、大きなドイツ人が一人でも前に立つと、他の人はまったく見ることがで きず、博物館の展示としては具合が悪いように思えた。しかしここはまだ 本来の展示室ではないのだ。これはまず展示室の入り口の前で、ナチス時 代のユダヤ人に対する迫害を思い起こすための場所なのである。
 さらに奥に進み、階段の上の2階と3階が展示室である。ここでは床は 水平であるが、建物が複雑に鋭角にカットされているので、床の順路の矢 印をおっていかないと、すぐに方向を見失ってしまい、同じ所に戻ったり 、いくつかの場所をとばしてしまったりすることになりかねない。1 階に は休憩室と、建物の外側を見るコーナーもある。建物自体が一つの展示品 なのである。
 展示室は見応えがある。さすが「ヨーロッパ最大のユダヤ博物館」とい われるだけのことはある。もちろん展示はナチスによるユダヤ人迫害に関 するものもあるが、それは全体の一部にすぎない。中世のユダヤ人たちが いかに暮らしていたかという展示に始まり、10世紀頃から20世紀の終 わりまで、ユダヤ人たちが芸術、学問、産業、メディアなど社会のあらゆ る分野でいかに生産的な仕事をしてきたかが詳しく紹介されている。私の 個人的な興味を引いたのは、とくにMoses Mendelsohn( モーゼス・メンデルスゾーン)とドイツ啓蒙主義の時代、およびベルリン の文学サロンをリードした女性たち(Henriette HerzとR ahel Varnhagen von Ense)の展示である。展示 は、パネル、写真、書籍、所持品など多様にわたり、いくつかのコーナー では映画やビデオも常時、見ることができる。たとえば、中世のユダヤ人 商人がいかに重い荷物を担いで、町から町へ歩いたかを体験するために、 同じ重量の荷物を持ち上げるコーナーや、有名なユダヤ人の名前を当てる クイズコーナ一、子供のための遊具など、たっぷりとある空間には遊びの 場所ももうけられている。
 展示内容を項目的に紹介すれば、展示室の総合テーマは「二干年にわた るドイツ・ユダヤ人の歴史」であり、
  1.「中世のアシュケナージ(ノアの後裔=東方ユダヤ人)の世界」 (10−15世紀)
  2.「ユダヤ商人の未亡人グリクル・バス・ユダ・ライプの記録」 (1646‐1724)
  3.「地方のユダヤ人と宮廷に仕えるユダヤ人」(1500‐180 0)
  4.「モーゼス・メンデルスゾーンと啓蒙主義」(1740‐180 0)
  5.「伝統と変化」(歴史的断面)
  6.「家族のもとで(市民階級と家族生活)」(1850−1933 )
 (以上3階)
  7.「平等の義務と平等の権利?」(1808‐1900)
  8.「近代ユダヤ生活の成立」(1810‐1930)
  9.「現代と都市生活」1890‐1933)
 10.「東と西」(1914‐1933)
 11.「ドイツ的ユダヤ人とユダヤ的ドイツ人」(1914‐19 33)
 12.「迫害、抵抗、絶滅」(1933‐1945)
 13.現在(1945‐現在)
 (以上2階)
である。急いで回ったつもりだが、それでも一通り回るのに ほとんど4時間ちかくかかった。ゆっくり見ていたら、1日かけても足ら ないぐらいであろう。
 なおベルリンにはいくつかのユダヤ人の史跡がある。Oranienb urger Str.の「新シナゴーグ」、Gr.Hamburger  Str.のナチスによって破壊されたユダヤ人墓地(広い空間はからっぽ で、再建されたMoses Mendelssohnの墓以外には、壁に 埋め込まれた二、三の墓標だけが残されている)などであるが、ネオナチ が火炎ビンでユダヤ人の建物などを襲撃する事件が相次いだので、現在は 警官が常時警備している。新ユダヤ博物館や、新シナゴーグにはいるため には、空港で行われるような手荷物検査を受けなくてならない。
 
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新研究員紹介

市原靖久(法学部教授)

 以前に長らく研究員を務めていましたが、このたび数年ぶりに復帰する ことになりました。前に研究員であったときには部落問題研究班に所属し ていましたが、米国のアファーマティヴ・アクションに関する論考を紀要 に発表させていただいたり、研究室の横断的プロジェクトである「旧制関 西大学に在籍した朝鮮人学生に関する調査」や「アイヌ問題に関する調査 」に参加させていただき、室報や紀要に報告や論考を発表させていただき ましたので、どちらかというと人種・民族問題に関わる研究をしてきたこ とになります。このような経緯から、このたびは、人種・民族問題研究班 の一員に加えていただくことになりました。
 人種・民族問題研究班の研究テーマの一つに「少数民族の同化に関する 研究」がありますが、私は、今期、このテーマの一環として、少数民族の 固有法と支配的国家法との関係について、ロマの固有法と居住国の国家法 との関係を中心に、研究してみたいと思っています。ロマを対象に選ぼう と思ったのは、シンティとロマの歴史と現状について精力的なご研究をさ れてきた小川悟先生が研究班におられ、このたびの復帰も、小川先生から のお誘いによるところが大きいからです。
 一般に、固有法が国家法を補充するかこれに代替する実効性を認められ ている場合には、当該固有法集団の自治が保障されているといえ ます。しかし、固有法が国家法によって全面的に否定されるときには、つ まり、国家法へ完全な同化が強制されたときには、自治は認められている とはいえず、固有法は、国家内の一社会集団の「遅れた慣習」「邪悪な慣 習」に貶められ、否定されるべきものとみなされることになります。
 ロマには口頭伝承に基づく固有の法があり、居住国の同化強制にもかか わらず、少なくとも集団内では固有法が維持されてきたといわれています 。これまで、ロマの法については、その「閉鎖性」や「性差別性」、長老 裁判、血讐などが特徴として指摘されてきましたが、最近では、国家法か らのラベリングから離れて、ロマの自律的法形成に注目しようとする研究 が出てきています。固有法と国家法の関係は、国家のパターナリズムとも からむ難しい問題ですが、ロマの法伝統や法文化の内容について勉強した 上で、居住国の国家法との関係について検討してみたいと思います。
 

雑古哲夫(文学部教授)

 私は文学部体育学教室の教員として体育を担当しています。実技の専門 は関大一高時代から行ってきた日本拳法ですが、講義の授業では健康管理 、トレーニング方法、環境ホルモンや感染症についてなど、現在私たちを 取り巻く環境に密接したテーマに関連させて、自分の身体を知り身体と対 話しながら、生涯を通じて健康を維持していく知識を伝えることを目標と しています。
 スポーツには、それを継続して実践することにより心身共に成長するこ とができるというすばらしい一面もありますが、その反面、常に怪我や故 障と隣り合わせであるという危険性も孕んでいます。私自身、長い現役生 活の中で何度か怪我をし、肉体的苦痛もさることながら、一時的とはいえ 非常に不便で不自由な生活を余儀なくされたことがあります。全く当たり 前にできていた動作ができなくなる、それまで意識することのなかった建 物や町の構造が過酷な試練となって立ちはだかる経験です。そのような体 験をすると、生物の身体機能、ひいては私たちの日常生活が如何に微妙な バランスの上に成り立っているかを否応なく実感させられます。
 人権問題研究室では1993年より7年間、障害者問題班の一員として 多くの先生方と研究調査を共にし、障害者問題について勉強、研究する機 会に恵まれました。1997年秋には「障害者と体育」という演題で公開 講座で講演させていただきました。このことは私にとって、準備調査を含 め講演内容を作成していく過程において、体育が生涯スポーツとして障害 者の生活にどのように関わっていき、また身体を動かすことによってどの ような可能性が開かれてくるのか、そのための環境整備はどうあるべきな のかなど、様々な視点に気づき、考察する体験となりました。
 本年度から再び障害者問題研究班で活動させて頂くことになりました。 今回は幹事という重責の活動の再開となりました。人権問題、障害者問題 に関してまだまだ学ぶべきことが山積していますが、どうかよろしくお願 い申し上げます。

松本 茂(経済学部専任講師)

     
 2000年4月に(財)国際開発センターより関西大学経済学部に移籍 してきました。経済学部では、「環境経済学」という科目を講義しており ます。環境経済学は比較的新しい学問分野であり、経済学と統計学の知識 を利用しながら環境問題に対する是正策を見出すことを目的とした学問で す。
 本学において私が人権問題に接点をもつようになった経緯は、極めて偶 発的なものでした。人権問題委員の植村邦彦先生が同委員会の委員長に就 任され、学部から補充委員が必要となり委員を引き受けさせて頂いたとい う経緯です。委員を拝命してから、委員会や研究室が主宰される会議にお りをみて出席をさせて頂いておりましたが、私自身は他の研究員の先生方 ほど、人権問題に関して造詣が深いわけではありません。
 しかし、私が専門としている環境問題は人権問題と直接的な関係はない ものの、間接的には密接な関係があると思われます。例えば、環境問題は 、以前は公害問題と呼ばれていました。「公害国会」や「ストックホルム 宣言」の例をひくまでもなく、公害問題の争点は人間が人間らしく生存し ていくための基本的人権としての環境権の確保でした。今では、より多く の事項が環境問題として取り扱われるようになってきておりますが、基本 的なスタンスは変わっていないと思われます。環境問題の分析という視点 から、人権問題の改善になんらかの貢献ができればと願います。
 具体的には、以下の2つの研究をすすめていきたいと思います。第1の テーマは、地球温暖化問題と環境政策の問題です。地球温暖化問題は、主 として化石燃料の消費によって発生します。しかし、化石燃料の代替性は 極めて低いため、温暖化対策は日々の生活に大きな影響をもたらします。 例えば、国際公約を遵守するために必要な税率は1トン当り3万円程度と いわれ、これはガソリン1リットルあたり30円程度の税となります。日 々の生活に大きな影響を及ぼす政策となるため、社会的弱者の保護や税の 公平性の問題を含めより詳細な議論が求められます。第2のテーマは、リ スクと公平性の研究です。私達が日々の行動には常にリスクが伴い、これ らのリスクを完全に拭い去ることは不可能です。しかし、政府の政策やマ スコミの論調を見る限り、「リスクをどのように取り扱うことが社会的に 公平なのか」ということに関しては、極めて乱暴な議論しか行われていま せん。より科学的な議論を提供したいと思います。
 
 
 

吉田宣章(総合情報学部教授)

 
   
 このたび人権問題研究室の障害者班に研究員として参加させていただく ことになりました。私の大学院以来の専門は原子核構造の物理です。原子 核のもつエネルギーや、放出・吸収されるガンマ線を、モデルによって計 算し、実験結果を説明するということが主たるテーマでした。そのために 、コンピュータのプログラムを書いて計算ばかりやってきました関係で、 数値解析やコンピュータの構造の領域にも関心をもってきました。という わけで、人権問題と私の専門のテーマとは、あまり関係があるとは言えま せん。
 私は1994年に総合情報学部の発足とともに関西へ移って参りますま では、関東で生まれ育ち、働いてきました。そのため、ついこの間まで、 「部落」という言葉にさえも特別な認識がなく、「集落」、「村落」とほ とんど同じように使っていました。関西へ来ましてから初めて、いろいろ と人権関係の催し、文献で、問題の存在を知りました。
 以上のように、人権問題について、私は今までほとんど無頓着でした。  さて、私の属する班のテーマは障害者問題です。人は、事故や病気、そ れに加齢により、誰でも当事者になりえますので、障害者の権利を大切に することは、すべての人に共通する切実な問題と思います。
 人権問題についてほとんど無知な私ですが、研究員として参加させてい ただくことになったのを機会に、ゼロからいろいろと勉強させてもらい、 そして研究や、制度の改善に寄与できたら幸いと思っています。
 

阿波啓造(工学部助教授)

 私の専門領域は工学、制御工学、ロボティックスである。高齢化、高齢 社会への対応からという訳でも無いのだが、「何か世のやくに立つ事を」 と考ヘ、数年前より、福祉工学、特に福祉機器の開発にも興味をひかれ、 人間を中心とした機器開発を研究のテーマとしている。介添え無しに階段 昇降可能な車椅子、パワーアシスト機器、リハビリ・トレーニング機器等 の開発が目的である。
 研究は、やくに立つことが前提であろう。しかし、特にそれを用いるこ とにより、人に直接効果を与える、役に立つ、便利である、その様な機器 等の開発、その結果、人に喜びを直接感じさせる、そんな機器の開発をテ ーマとしたい。
 しかし、福祉関連の研究会に参加している中に、自分の考えの甘さ、浅 はかさに、このテーマが、実際に大変な研究テーマであることを知ること になる。障害を持つ人達の切なる願いを聞くに及んで、これは一筋縄では いかない、腰を据えていかねばという思いを強くしている次第である。
 以前、第一のテーマは階段昇降できるロボットの開発であった。二足歩 行ロボットを始めとして、色々なアイデアで登るものは開発されている。 しかし、人を運ぶことになると、安全が第一で、特に降りが問題である。 滑落を防がねばならない。事故が起こった最悪の場合、不幸な結果を招く ことは明らかである。またアクチュエータのトルクが小さいことも大きな 問題である。電磁モータは、スピードがある程度大きくないと大きなトル クを出せない。したがって減速機を用いるが、これが重く、人と車椅子の 重量を100kgに抑えたい場合、モータの数が問題となる。新しいアク チュエータ、超音波モータの開発が待たれる。第二のテーマは機械と人間 の協調による作業のパワーアシストである。人間が機械に合わせるのでは なく、機械が人間に合わせるウエアラブルな機械の開発である。ナーシン グ、老齢者の役に立つものを考えている。第三のテーマは、初動負荷理論 を応用したトレー二ング機器の開発である。従来終動負荷理論によってい たが、けが、関節可動域の縮小、疲労等の欠点があり、提唱された。イチ ロー、有森裕子を始め、有名アスリートが採用しているトレーニング理論 である。これを用いて、適応制御による、お年寄りにも採用できるりハビ リ・トレーニング機器を開発している。以上の機器の開発は、けが等のリ スクにより回避される。障害者の皆さんの言葉「大学、工専の先生方が頼 りです。お願いいたします。」の声が耳を離れない。

杉谷眞佐子(外国語教育研究機構教授)

 外国語教育研究機構から選出され「人権問題研究室」で再び研究の機会 が与えられましたことを嬉しく思っています。関西大学へ赴任当時、文学 部より選出されました時は、結成されて間もない「女性問題研究班」に所 属し、1987年、「性役割意識調査」を企画し実行させていただきまし た。このプロジェクトの実務にあたった専任の研究員は私1名、他の3名 は専門領域でそれぞれご活躍の先生方でしたが、全員、委嘱研究員でした 。しかしこのプロジェクトを通じ多くのことを学ぶことができました。室 長、班長の先生方、時に夜遅くまでの作業を可能にして下さった課長補佐 の故清水省三氏等みなさま方のご協力を得て報告書作成に漕ぎ着ける事が でき、未熟な点も多々ありましたが、幸いに朝日・毎日・読売等の各新聞 でも取り上げられ、広く紹介されたことを懐かしく想い出します。15年 経た現在、大学では女性学の総合コースも根付き「セクシュアル・ハラス メント」に対する一般の問題意識も随分高まりました。しかし、性差別の 問題はジェンダー観の形成と絡み、今後も人権問題で重要な一角を担うこ とと思われます。
 さて、社会生活の変化は社会に内在する様々な問題に新しい視点を与え 、その意識を明確に結晶していきます。21世紀を迎え政治・経済・社会 生活の諸領域でグローバル化が進む今日、様々な社会層の移動が生じ、異 文化間の共存能力の育成が新しい課題となっています。それに伴い多くの 社会的・文化的問題が生じていますが、その一つとして出自言語(Her kunftssprache、「母語」)教育の保証という課題がありま す。その意味で2001年9月研究室開設25周年記念の国際シンポジウ ムでアジアとヨーロッパにおける「言語権」の問題が論じられたことは、 画期的なことだったと思われます。ドイツでは70年代より出自言語の教 育が公教育の課題として認識され、州によりそれぞれ取り組みが始まりま すが、90年以降難民の受け容れ等で、この問題は更に複雑化してきてい ます。他方EU統合の促進により、一般市民に対しても母語プラス2外国 語という「3言語主義」が提唱され、複数言語教育が多様な工夫のもとに 進められています。地球上の様々な地域で異文化共存・多文化主義が展開 される時、その帰結として――共通語(現代は多くの場合、英語)と平行 して――多言語主義が広がりを見せています。戦後いち早く、外国語教育 を平和教育の一環として位置づけたヨーロッパ協議会のもとに、EUで最 大の言語集団を抱えるドイツで、多言語主義がどのように実現・促進され ているのか、人種・民族問題班で研究していきたいと考えています。よろ しくお願い致します。
 
 
 
 

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書 評

『近代日本と公衆衛生ー都市社会史の試み』 小林 丈広 著
『近代日本と公衆衛生ー都市社会史の試み』
(雄山閣出版、2001年2月刊)


藤原有和(委嘱研究員)



 本書の構成は、つぎのとおりである。
序章  「クワーランタイン」をめぐって
第一章 近代的防疫行政の形成
第二章 防疫の組織化――「十九年の頓挫」の再検討――
第三章 コレラ騒動の歴史的意義
第四章 伝染病と地域社会をめぐる諸問題
第五章 祈念祭・博覧会と「公衆衛生キャンぺ一ン」
第六章 近代部落問題の成立・序説――都市貧民を追って――
終章  民衆意識と「公共性」
 岩倉具視らの欧米視察に随行した長与専斎(内務省衛生局の初代局長) は、医学教青の調査中、「国民一般の健康保護を担当する特種の行政組織 のあることを発見」している。彼は、公衆衛生とは、警察事務、地方行政 及び日常百般の人事に渉る、きわめて範囲の広いものであることを洞察し 、アムステルダムでは、この見地から実地調査を行った(自伝『松香私志 』)。
 明治7年(1874)に医制が公布され、翌年文部省にあった医務局が 内務省に移管されて衛生局となる。ここにも、「地方自治制度と衛生制度 の関連についての専斎の深い理解」が示されている(多田羅浩三『公衆衛 生の思想』)。
 ところが、明治18年(1885)内閣制度の発足を契機として、制度 の中央集権的な性格が進み、明治19年には地方の衛生制度はすべて廃止 されることとなった(前掲書)。
 明治19年の「虎列刺病予防消毒心得書」には、その第一章に「虎列刺 病撲滅予防の事八巡査主として之に任し、警部、衛生吏員は之か監督を為 す」とある。すなわち、「警察一手持ちの衛生行政」になってしまったの である(『松香私志』)。
 本書において、著者は、当時の新聞、京都市参事会・臨時市医の記録、 及び警察の報告書等を駆使して都市京都の衛生行政を検証されている。そ の際、長与が注目した、「衛生自治」(衛生組合等)の問題について詳し く考察され、「そこに実現した『衛生自治』とは、労力や費用の負担に限 定されたものであった」と述べられている(第二章)。
 長与は、局長辞任後の明治26年(1893)講演会で祈念祭・博覧会 の計画に触れ、流行が長期にわたる赤痢予防の重要性を力説し、上京区に おける下水・井戸の問題点などを指摘した。これを契機に、京都市参事会 は、公衆衛生に関する決議を行い、避病院の増築、辻便所の改良、衛生常 設委員の設置、塵芥大採集、貧民部落に対する大清潔法などを具体策とし て掲げ、検討はしたものの、いずれも実施困難なものとして退けられたと いう。
 長与の提起を積極的に受け止めたのは、医師・衛生家(京郡衛生支会) で、各地域の衛生状態を専門的な目で監視するために、巡視医員を設置す ることを決め、衛生組合とも連携して積極的な活動を行った(第五章)。  また、著者は近代の部落問題に関して、つぎのような指摘をされている 。すなわち、コレラ等の伝染病の防疫行政において、流行の原因を土地( 地域)の性格に求める「清潔法」は、「結果として地域間格差や社会的差 別を顕在化する役割を果たした」こと(第一章)。このことは、「近代化 にともなって薄らぎつつあった『旧穢多非人』というような認識が、防疫 活動を通じて活性化され、あらためて『貧民部落』として再認識され、新 たな社会問題として浮上することになった」こと(第四章)。
 著者が、本書で提起された斬新なテーマは、今後、各地の都市社会史研 究、あるいは地方自治と公衆衛生に関する研究において、いっそう深化さ れる必要があると思われる。
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編 集 後 記

雑古哲夫(文学部教授)

 今春からは私を含め6名の研究員が人権問題研究室に新しく加わること となった。この中には数年の期間を経て復帰された先生方もいるが、その 研究分野は法律学から環境経済学、物理学、福祉工学、そして異文化理解 と多岐にわたる。この学問分野の多様性は「人権間題」という分野が如何 に人間社会の本質に関わり、文系理系を問わず多くの学問分野での一つの 重要な視点となっていることを示しており、同時に当人権問題研究室の活 動の可能性のさらなる広がりをも期待させてくれるものでもある。
 今回は石元先生と宇佐美先生からそれぞれ 興味深い報告が寄せられた。 石元先生の『HlV/AlDS感染の現在』によるとエイズはアメリカで 減少している一方、南・東南アジアやアフリカでは依然として広がり続け ているそうである。そもそも感染力の弱いHlVが様々な社会矛盾によっ て感染力を強めたという考察は説得力がある。エイズに関する日本での関 心の薄さが危惧される。また宇佐美先生はベルリンのユダヤ博物館につい て詳細な紹介文を寄稿されている。ここは「ヨーロッパ最大のユダヤ博物 館」であり、ナチス時代の迫害の資料のみならず、中世から現代までのユ ダヤ人の暮らしや仕事が紹介され非常に多面的な展示がされているようで ある。またこの博物館は地下の通路が左右前後に傾斜していて、これはユ ダヤ人達がたどった不安に満ちた道を博物館を訪れる人々が追体験するた めだそうである。その他、ホロコーストで生命を奪われた人々のことを闇 の中で黙想する空間もあり、これらの試みにユダヤ人に関する知識のみな らず、ユダヤ人が被った痛みや苦しみを感覚的に少しでも共有してほしい という博物館の強いメッセージを聞いた気がした。
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