■人権問題研究室室報第28号
 (2002年2月発行)
人権問題研究室開設25周年記念国際シンポジウム初日、永田学長の話に聴
き入る参加者
人権問題研究室開設25周年記念国際シンポジウム初日、永田学長の話に聴き入 る参加者

関西大学人権問題研究室開設25周年記念国際シンポジウム――民族と国家を超えて――
国籍・移民・言語権・民族教育・参政権

鳥井克之(外国語教育研究機構教授)

 本研究室開設二十五周年を記念して2001年9月22、23両日にわ たり国際シンポジウムを本学の百周年記念会館において開催した。そのメ インテーマ《 民族と国家を超えて ー 国際化時代における人権 一 》 は本号室報に本研究室長の吉田永宏文学部教授が寄稿された追悼文の冒頭 に言及されている委嘱研究員であった金英達さんの提言に啓発されて決定 されたものである。
挨拶:吉田永宏 人権問題研究室長・文学部教授
挨拶:吉田永宏 人権問題研究室長・文学部教授
挨拶:永田眞三郎学長
挨拶:永田眞三郎 学長
 22日午後1時、吉田徳夫研究員の総合司会で始められた。まず永田眞 三郎学長と吉田永宏室長の挨拶があり、続いて本研究室長を務められ、長 年にわたり≪ジプシー≫と称されていた≪シンティ・ロマ≫の研究に従事 され、その国際的研究交流により、今回のシンポジウムにドイツの研究者 を招請するために尽力された関西大学名誉教授である小川悟委嘱研究員が 関西大学人権問題研究室の歴史とご自身の研究歴程を回顧しながら、メイ ンテーマの趣旨に沿った基調講演を行った。
基調講演:小川 悟 委嘱研究員・名誉教授
基調講演:小川 悟 委嘱研究員・名誉教授
 20分間休憩した後、基調講演の趣旨を受けて、1995年から京都大 学で経済史の研究をされ、帰国後、韓国で新聞記者生活を送り、2000 年4月から京都創成大学専任講師になられた李正煕先生が記者活動で取材 した情報に基づいた≪在韓華僑の社会・経済的地位の変化と人権問題 一 19世紀末期から現在まで ―≫と題する報告を、続いて日本には何度も 来られ、中央大学では社会言語学の教授を務められ、国立国語研究所にお いても研究に従事されたドイツのドウイスブルグ大学教授のフローリアン ・クルマス先生が≪言語権のグローバル化の問題≫(通訳:中嶋巌外国語 教育研究機構教授)に関する報告をされた。講演と報告が終了した後、二 日間の講演者、報告者およびシンポジウム関係者による懇親会が生協食堂 で行われた。
 二日目の23日は午前9時半から始められた。午前中はまず 本学法学部を1991年に卒業された校友で、大阪弁護士会所属弁護士の 趙星哲先生がご自身の在日韓国・朝鮮人としての生活体験を赤裸々に話さ れた後、国籍と参
報告:李正煕 京都創成大学専任講師
報告:李正煕 京都創成大学専任講師
フローリアン・クルマス ドゥイスブルク大学教授(通訳:中島巌 外国語教育研究機構教授)
フローリアン・クルマス ドゥイスブルク大学教授(通訳:中島巌 外国語教育研究機構教授)">              
政権問題に焦点を当てた≪在日韓国・朝鮮人の現状および21世紀の在日 韓国・朝鮮人≫、1943年にポーランドに生まれ、1945年に戦災孤 児になられた幼児体験を持たれ、マインツ大学で哲学、政治学、教育学を 学ばれ、現在は移民児童の教青・研究に従事されているドイツのフライブ ルグ教育大学教授のギドー.シュミット先生の≪外国人児童のドイツ語授 業≫(通訳:杉谷眞佐子外国語教育研究機構教授)、在日華僑三世で、中 学までは民族学校で勉強された神戸商科大学教授の陳来幸先生の≪日本 における華僑華人 一 その特徴と役割 一 ≫の三報告がなされた。
 午後は第一分科会「少数民族間題」と第二分科会「言語教育と異文化の 接触」の二つの分科会に分かれて行われた。
 第一分科会は田中欣和研究員が司会を担当し、鳥井克之研究員による中 国憲法およぴ民族区域自治法における中国少数民族の法律的地位、権利と 義務などに関する基調報告がまず行われ、それを受けて日本の公立学校に おける在日韓国・朝鮮人の民族教育実施の保証に取り組んでいる民族教育 促進協議会の
報告:張星哲 弁護士・校友
報告:張星哲 弁護士・校友
報告:ギド−・シュミット フライブルク教育大学教授(通訳:杉谷眞佐子 外国語教育研究機構教授)
報告:ギド−・シュミット フライブルク教育大学教授(通訳:杉谷眞佐子 外国語教育研究機構教授)
報告:陳来幸 神戸商科大学教授
報告:陳来幸 神戸商科大学教授
事務局次長である金光敏先生もご自身の体験に基づく日本人の貧困な対朝 鮮・韓国観の分析を基盤とした関連発言をされ、さらに初日午後や二日目 午前の全体会で報告された季正煕、陳来幸、趙星哲の三先生がコメンテー タとして発言された。
 第二分科会は熊谷明泰研究員が司会を行い、十数年 間も本研究室の研究に参加され、このシンポジウムの在日韓国・朝鮮人お よぴ華僑の講師の招請にご協力くださった梁永厚委嘱研究員が長年にわた る体験に裏打ちされた在日韓国・朝鮮人の教育問題を中核とする  
全体会:田中欣和 研究員・文学部教授<br>熊谷明泰 研究員・外国語教育研究機構教授(司会:吉田徳夫 研究員・法学部教授)
全体会:田中欣和 研究員・文学部教授
熊谷明泰 研究員・外国語教育研究機構教授(司会:吉田徳夫 研究員・法学部教授)
基調報告がなされ、それを受けて在日韓国人で、高校まで民族学校で学び 、大学はソウル大学師範学部国語教育学科を卒業された大阪建国高等学校 教諭の康龍子先生と在日華僑三世で中学までは民族学校で、高校と大学は 日本の学校で勉学された神戸中華同文学校教諭の任三妹先生がそれぞれ民 族学校における教育の具体的紹介を中心とする関連発言をされ、さらに全 体会で報告されたフローリアン・クルマスとギドー・シユミットの両先生 がコメンテータとして発言された。両分科会とも名司会者の進行により、 いずれも十数分間の質疑応答の時間が確保され、参加者と報告者の間で活 発な意見の交換が行われた。両分科会終了後、再び全体会が開かれて、田 中欣和研究員と熊谷明泰研究員による各分科会の総括的報告が行われ、最 後に吉田永宏室長の挨拶で二日間にわたる国際シンポジウムは閉幕された 。
   
22日、にぎわいを見せる会場風景、各講師に熱心に耳を傾ける参加者
22日、にぎわいを見せる会場風景、各講師に熱心に耳を傾ける参加者
 今回のシンポジウムの詳細な内容については関西大学人権問題研究室紀 要に速記記録に基づく文章が全文掲載されるので、私の姑息な総括はご辞 退申し上げることにし、その代わりに紀要の目次となり、紀要へと誘うよ うな文章に留めた。だが日本人として私が紀要のゲラ刷全文を通読して痛 感させられたことは、日本における外国人に対する「国籍・移民・言語権 ・民族教育・参政権」に関する我々日本人の考え方や態度を今一度深く自 分自身に詰問しなければならないということであった。それゆえにこの五 つのキーワードを冒頭に掲げた次第である。
2日目、23日 
分科会での一齣、質問に答えるパネリスト
2日目、23日  分科会での一齣、質問に答えるパネリスト
 週末日曜日開催なので、参加者の動員、会場設営と運営が課題となった が、学事課宮崎恵子課長、研究室の長屋礼課長補佐、川本雅洋主事、前越 秀夫主事等課員および本学広報課の強力な協力・尽力により、本号に掲載 された写真に見られるように、本シンポジウムが盛況かつ成功裏に終了し 得たことに対して改めて謝意を表したい。また会場で日本語の報告を聞く ポーランド出身の研究者に懇切な通訳をしてくださった元研究員の佐藤裕 子文学部助教授および本シンポジウム企画を主宰された幹事研究員の宇佐 美幸彦文学部教授(今年度在外研究員として外国出張中)にも感謝しなけ ればならない。最後になりましたがシンポジウムの講師をご快諾いただき 素晴らしい報告をしてくださった私以外の諸先生方に深く感謝して拙稿を 結ばせていただきたい。
(外国語教育研究機構教授)
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障害者問題研究班視察報告  

大島吉晴(委嘱研究員)

 障害児(者)福祉を巡る動向は、WHOの国際障害者年を受けて、障害 児(者)の人権擁護に本格的に乗り出した。我国では社会福祉基礎構造改 革により、福祉を受ける立場の主体性を重んじ、更に福祉施設もコロニー 方式から、地域での生活支援を主体とする、地域福祉に移り変わってきて いる。そこで今回我々は、障害児たちのより良き福祉施策の在り方を考え るため、福祉処遇の出発点ともなる、0歳から就学までの障害児を対象と する通園療育施設の視察を実施した。
 視察を行ったのは、2001年8月9日から10日にかけての2日間、 富山県立と富山市立の2施設を選んだ。葉賀、藤井、大島の3名が参加し た。1カ所目は富山県高志通園センタ一である。富山駅から自動車で半時 間ほどの所にある、富山市下飯野の、田園風景の中に忽然と現れる、富 山総合リハビリテーションセンターの一角にある。ここは児童福祉法に 基づく肢体不自由児通園施設と難聴幼児通園施設のある総合通園センタ ーで、共に医療法に基づく診療所でもある。ここでは措置通園部門とし て就学前の肢体不自由児40組(親子通園)、難聴幼児30名が通園し、 保青や訓練を受けている。外来部門では肢体不自由児や
高志(こし)通園センターにて、コミュニケイションエイド
高志(こし)通園センターにて、コミュニケイションエイド
自閉症、学習障害児、難聴幼児らが通園する。隣接する養護学校からも重 症心身障害児が通園訓練を受けている。地域支援事業として、障害児者の 在宅訪問や、巡回相談、保育所や幼椎園への訪問指導が行われている。
 蒸し暑い日の午後、我々はセンターに到着。当初、医長が我々を案内し て下さる予定であり、いろいろ日程の調整をして下さったが、どうしても スケジュールがあわず、当日は所長や医長が不在となった。そこで多忙の中、 言語聴覚士の方が館内の案内やセンターの説明をして下さることになった 。リハビリの拠点だけあって、徹底したバリアフリー化が為されている。 玄関で靴を脱ぎそのまま館内ヘ。1階はスタッフ ルーム、診察室、動作 訓練室、心理判定室が並び、多目的ホールヘ。その一角の入り口から日本 で初めて設計された感覚統合訓練室がある。2階部分は屋上遊び場、聴能 訓練室や理学療法、作業療法が行われるセラピールームがある。また保育 室や食堂があり、丁度おやつの時間だった様子。通園してきたこども達は 日課時間割に基づき、訓練や保育を受ける。現在は生活支援を主体とする 方針であり、保育を通して心身両面に亘る関わりが持たれ、生活行動を通 して各種訓練が為されていた。
高志通園センターにて、日本初に作られた感覚統合訓練室
高志通園センターにて、日本初に作られた感覚統合訓練室
 昨今の、医学の進歩により従来生存出来なかった重症心身障害児の救命 が為されるようになり、その結果、療育が必須となってきたこと、加えて 健診体制の充実により早期に問題が発見され、早期療育に結びついてきた という歴史がある。肢体不自由児についても、県立施設に通園するこども 達は重症の障害を有する場合が多く、親子通園により日常生活での介助や 関わりの指導や、生活支援に向けて各種装具や姿勢保持椅子の開発と、生 活場面を想定した訓練が為されていた。
 難聴乳幼児にも様々なテクノエイドが駆使され、言葉や聞こえなどコミ ユニケーションの補助器具が大いに活用されているあたり、科学の進歩を まざまざと見る感じであった。就学前のこども達を対象としていることも あり、こども達が遊び感覚で訓練が受けられる様な工夫が様々な所で見ら れた。2階へ上がる階段も通路としての使用の他、階段昇降訓練にも使わ れるため、一段上がるごとにドレミの音階がなり、光が点灯する設備も施 されていた。時間の経つのも忘れて、お話を伺い施設を見せていただき、 気が付けば夕方近くになっていた。多忙な中我々の質問にも誠意をもって 応えて下さった聴覚言語士の方にお礼を述べ、一日目の視察を終えた。翌 日は知的障害児が通園する、富山市恵光学園を訪問した。この日は朝から あいにくの土砂降りの雨であったが、事前に園長さんに駅から施設へのル ートを教えて貰っていたため、
高志通園センターにて、感覚統合訓練室。エアーで膨らませて、はねて遊べる装置。見学時に応対して下さった言語聴覚士の方
高志通園センターにて、感覚統合訓練室。エアーで膨らませて、はねて遊べる装置。見学時に応対して下さった言語聴覚士の方
一段ごとにドレミの音階がなり、ライトが光る階段
一段ごとにドレミの音階がなり、ライトが光る階段
スムーズに到着出来た。保青所と園庭を共有する形でログハウス風の 建物が恵光学園である。0歳から就学までの知的障害児が日々通園する施 設である。通園するこども達は発達の遅れの他、「言葉がなかなか出ない 」「落ち着きがない」「親と目が合わない」など、言語発達遅滞、注意欠 陥多動性障害、自閉性障害を合併している子もいる。そのため、保護者指 導としてポーテージ乳幼児教育プログラムに基づく指導が為されていたり 、日々の保育にTEACCH法が活用されていた。
 我々はログハウス風の建物の二階に案内され、そこで園長さん、主任さ んから概要の説明を受けた。聞けば昨日は監査があり、とても大変だった とのこと。ニコニコしながらお話される園長はこども達から見ると、好々 爺という感じ。主任さんも現場叩き上げの熟練保育士で、障害児だけでな く、通常の保育所保育士もご経験されているとのこと。ここは園長、児童 指導員、言語聴覚士、看護婦、保育士らの直接対応職員により構成されて いる。昨年度は忙しい仕事の合間に、「生活支援ハンドブック」を作成し ていたとのこと。障害児の生活面、装具や介助機器の工夫、関わりなどの 情報の他、各種親の会、富山県下の療育施設などの情報が、網羅されてい る。
 施設概要を説明して頂いた後、こども達の保育場面を見学させて頂い た。保育はログハウス風の建物の1階部分。広大な吹き抜け風の広場を中 心に、四方に各保育室が配置されている。機能的な設計。中央広場には室 内遊具が様々に配置されていた。園庭には様々な遊具と共に、大小の組立 式のプールがあった。
恵光学園にて、ログハウス風の建物の館内中央広間
恵光学園にて、ログハウス風の建物の館内中央広間
 こども達の年齢や特徴(自閉児、多動児)によりクラス分けされている。 自閉児のクラスには、こども達が落ち着けるため、仕切られた空間があり 、一日の流れ、各こども達がそれぞれ座る場所、園庭から帰ってきた時に 靴を脱ぐ所など、全てがカードや絵で表示されている。知的障害児通園施 設ではあるが、同時にディサービス事業で肢体不自由児も通っている。高 志通園センターでもみた、本格的な座位保持装置や歩行器の他に、スーパ ーの買い物かごを切り抜いて座位保持椅子にしている等、工夫が各所にみ られた。あっという間に半日が過ぎ無事に見学を終えた。
 今回は「県立施設と市立施設」、「肢体不自由児及び難聴幼児施設と知 的障害児施設」、「病院と併設している診療所を有する施設と保育所と併 設している施設」など、早期療育施設という共通したものではあるも、そ れぞれに独自性を有する施設を視察することが出来た。
(委嘱研究員)
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追悼 田宮 武先生

吉田永宏(人権問題研究室 室長・文学部教授)

 
 現任の人権問題研究室員である田宮武・社会学部教授が2001年5月4 日に亡くなった。
故 田宮 武先生
故 田宮 武先生
前年の金英達先生と続けて我々は二人の優れた研究員・を奪われたわけで ある。この上なく残念である。金英達先生の時もそうであったが、田宮先 生の訃報も全く突然のもので我が耳を疑うものであった。田宮先生は5月 の連体を利用して、福井・金沢・富山・岐阜を経て大津にお帰りになる、 趣味のサイクリング旅行にお出かけになっての二泊目の岐阜の山の旅宿で のご急逝である。体に自信があればこそのご計画であったろうにと悔まれ もする。
 田宮先生のサイクリング姿を私は二度お見かけしている。一度目は一昨 年の夏、部落問題研究班恒例の合宿研究会の折りの明日香・植田記念館の 手前でである。自転車を押して坂を上っている人の後姿をタクシーの車窓 から見た私は、てっきりそれを学生と思い、追い越した後でも田宮先生と は信じられなかった。驚いた。大津から京都・奈良を経ての明日香である 。しかも夏の炎天下のロードである。自分よりも年長の田宮先生のそのフ ァイトに驚くと共に、研究に対する姿勢の一面をかいま見た思いがした。 二度目は昨夏のやはり部落問題研究班の合宿の際で、京都・加茂町の恭仁 山荘でである。前年の明日香行の半分程の距離とはいうものの、それでも きついだろうなアと感服した。このお気持ちの若さは見習わねばと正直思 った次第である。
 しかし、その自転車が結果として先生のお命を奪ってしまったとあって は、恨まずにはいられない。
 連休明け5月7日の告別式場に流されていた、どこかのラジオ局の録音 テーブで、インタビュアーに答えてのご自身の語りを耳にし、先生の半生 を私どもも知ることができた。町役場(教育委員会)の職員として映写機 を肩にして各地域ごとの集会の場を回っておられた若き日のことどもにも 興味をそそられたが、マスコミの専門研究者となられた後の部落問題との 出会いをそのインタビューでも熱っぼく語っておられた。部落問題との出 会いが、マスコミ研究者・田宮武にとって決定的なものであったと言って よいだろう。
 田宮先生の『マスコミと差別語の常識』(1993年3月31日・明石 書店)と『マスコミと差別表現論』(1955年2月20日・明石書店) の二著作ともご本人からの直接のご依頼で私は『関西大学通信』の書評欄 で書評の筆を執る機会を与えていただいた。そのことを想い起こしながら 、幾つかの事柄について以下に記してみたい。
 『マスコミと差別語の常識』の冒頭に置かれた「部落問題との出会い」 の中で、く「マスコミと差別語問題」についての客観的な知識は大学生の 前に出て講義できるのに、あなたの生き方にとって部落間題はどのような 意味を持つかと問われると、答えにつまってしまい、聞いている方もしや べるわたしもスカッとした気持ちになれない時が続いた > と田宮先生は 自らの気持ちを正直に吐露されている。その先生が八鹿高校事件の後で南 但馬の・被差男別部落に足を運ぴ、そこでの聞き取りを『生きて闘って  一南但馬の部落差別と解放運動』(兵庫県部落解放研究所)と『被差別部 落の生活と闘い』(明石書店)の二著にまとめられ、この経験を通じて く 被差別者の立場に立つ > と書くまでになる。その上でマスコミ各社 の所謂 「 差別語の言い換え集・禁句集 」 と向き合い、く 放送局が部 落差別の実態を不問にして、用語や表現だけに留意している点 > を指 摘し、 < 差別語や差別観が部落差別の実態を温存し、助長していく側面 に重点を置きながら >
1998年夏、飛鳥文化研究所の部落問題研究班合宿での田宮先生(前列中央)
1998年夏、飛鳥文化研究所の部落問題研究班合宿での田宮先生(前列中央)
告発を進めるのである。多くの放送局が部落問題をタブー視し、沈黙を守 り続けているのは < 解放運動の側から糾弾を受けるような「問題」や「 摩擦」が起こることだけは極力避けたいという考え方 > に基づく < 自 己保身の術にすぎない > と喝破する。しかし同時に、 < 放送局が番組 の中の表現に注意をはらうようになった姿勢は一応評価できる > との一 文を挿むことも忘れない。田宮先生のこの考え方は 『 マスコミと差別表 現論 』 に至って一層明瞭になり、「 はじめに 一 差別語と差別表現 論 議の深まりを期待する」の章で、 < わたしは、解放運動団体や人権擁護 団体が差別語を糾弾し、批判したことは正当だったと評価するし、多くの マス・メディアが言いかえ、禁句集を作成し、自主規制していることも正 当だと思う > と述べた上で、 < 日本語の美しさ > などという概念を かざして表現の自由を対置させようとしている動きに対して、 < 部落差 別、民族・人種差別、職業差別、特に障害者差別にかかわる一部の言葉を 差別語として使用させないのは妥当でないと主張することを通して、差別 語糾弾や規制の正当性をくつがえそうとするところに、最大の誤りがみら れるわけである > と説き、そこから、 < 差別語糾弾が正当性を持つと いう言動は今後とも堅持する一方で、その妥当性をめぐる議論は深めてい く必要があると考える > と自らの立脚地点を明らかにする。同書の 「 差別語と差別表現を考える 」 の中の、 < マスコミの表現は社会的影響 が強いだけに、社会的責任も大きい。差別される人たちの人権を侵害し、 差別意識や偏見を植えつけないように自主規制していくのは、当然の行為 だと思う。表現の自由といっても弱い立場におかれている人たちを傷つけ る場合、自主規制した方がいいし、権力を監視し批判する表現では自主規 制すべきでないと思う > との記述もその思想に基づくものであろう。繰 り返すが、田宮先生は、差別を乗り越える力を表現することの大切さを深 く認識された人であった。私どももまた先生のお仕事を継承し、より前進 させたいと強く希うものである。
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研究学習会だより

開催日 2001年5月11日
テーマ カウンセリングと女性
講 師 本多利子(フェミニスト・カウンセラー)

石元清英(研究員・社会学部教授)

女性問題班の研究学習会風景 合同研究室において
女性問題班の研究学習会風景 合同研究室において
 5月11日、フェミニスト・カウンセラーの本多利子さんをお招きし、「セ クシュアル・ハラスメントのない職場環境づくり」というテーマで、研究 例会が開かれた。
 本多さんの報告は、「 セクシュアル・ハラスメントとは 」 「 セクシ ユアル・ハラスメントが起こる背景と要因 」 「 被害者に与える影響 」 「 被害者の心理的傾向 」 「 被害者支援のあり方 」 「 セクシユアル ・ハラスメントを起こさないために 」 の6つから構成ざれており、その 内容を紹介すると、以下のようである。セクシユアル・ハラスメントとは、 「 相手の意に反した、性的な性質の言動を行い、それに対する対応によ って就労上または就学上の不利益を与えたり、またはそれを繰り返すこと によって職場環境・教育環境を著しく悪化させること 」 をいい、それは たんなる 「 性的嫌がらせ 」 ではなく、深刻な人権問題であり、労働問 題、教育問題である。相手の意に反した性的言動がセクシユアル・ハラス メントである以上、そ:うした行為をする側の意図や意識に関係なく、さ れる側が「イヤだ」と感じると、それはセクシユアル・ハラスメントとな る。
 セクシュアル・ハラスメントが起こる背景には、ジェンダー意識による 固定的な女性観(性役割の押しつけもセクシュアル・ハラスメントである )や男女間における力の差(男性が女性を自分よりも下である、劣ってい ると考えている潜在的な意識)などがある。したがって、セクシュアル・ ハラスメントは個人的な問題、個人的な不運ではなく、社会問題にほかな らない。
 セクシュアル・ハラスメントが被害者に与える影響としては、人間とし ての名誉や尊厳、性的自己決定権の侵害、安全で快適な環境のもとで働い たり、学んだりするという就業権・学習権の侵害に加え、精神・身体に対 して悪影響を与えることなどがあげられる。
 被害者の心理的傾向については、自己評価の低下と慢性的な無力感を被 害者にもたらし、自分に落ち度があると、加害者の責任を自分が引き受け てしまうことから、強い罪悪感をもつことになったり、怒りの感情を否認 することなどが指摘できる。セクシュアル・ハラスメントの相談事例とし て、本多さんは、つぎのようなケースを紹介した。ある派遣社員の女性は 、人間関係や仕事がうまくいかないと、相談に訪れた。詳しく話を聞くう ち、そうした悩みが、かつての派遣先の上司から契約更新をちらつかせた 性的誘いを受けたというセクシュアル・ハラスメントの被害に起因するも のであった。そして、 「 あなたにも落ち度があったのでは 」 「 忘れ てしまいなさい 」 という周囲の声に、その被害経験を心の中にしまい込 んだ。しかし、自分で整理してしまい込んだものではないので、何かの拍 子にそれが出てきて、 「 自分が悪かったのだ 」 という自己評価の低下 をもたらし、その女性の行動にさまざまなマイナスの影響を与えていると いうのである。
 このように、セクシュアル・ハラスメントが被害者の心に与える傷は、 計り知れず、周囲の人たちの言動がざらにその傷を大きくすることもあり うるのだ。したがって、被害者支援のあり方としては、被害者の言うこと を信じ、被害者の信頼を裏切らないことが第一であり、時間をかけて被害 者の迷いを受けとめることにより、被害者の混乱や怒り、不安などに適切 に対応していくことが重要である。
 以上のことから、セクシユアル・ハラスメントの防止のためには、相手 を対等なパートナーと認識すること(セクシュアル・ハラスメントは男女 間における力の差のもとに生起するものであり、互いに尊重し合う対等な 関係では生じない)、相手がいやがっていると感じたら、その言動をすぐ にやめること、性に関する神話を信じないことなど、男性のかかえる課題 があげられた。
 本多さんの報吉のあと、参加者とのあいだで活発な議論が行われたが、 とくに議論が集中したのがセクシュアル・ハラスメントの定義についてで あった。本多さんの定義は恣意的で、被害者がセクシュアル・ハラスメン トだと思えば、何でもセクシュアル・ハラスメントになってしまうのでは ないかという疑問である。これは何人かの男性参加者から出た。本多さん や女性参加者からは、窃盗罪や住居不法侵入罪など、被害者の判断 ( 被 害届を出すかどうか ) で、犯罪になったり、ならなかったりするものは 多くあり、セクシュアル・ハラスメントだけが特別なものではないこと、 セクシユアル・ハラスメントに限らず、相手との人間関係ができていれば 、冗談として通じることでも、冗談を言い合える間柄でなければ、冗談に ならず、相手を傷つける結果となることがあり ( 頭髪の簿い上司にカツ ラの話題をする部下はいない ) 、セクシュアル・ハラスメントも日常生 活の常識のレベルで考えることができるのではないか、などの意見が出さ れた。  
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編 集 後 記

鳥井克之(外国語教育研究機構教授)

 吉田室長による田宮武研究員に対する追悼文は、我々研究員を代表して 参加してくださった室長ご自身の追悼会における感慨の吐露に始まり、続 いて田宮研究員の著作に触れつつ、マスコミ界における差別用語問題に対 する田宮先生ご自身の研究生命を懸けられた態度を紹介されており、通り 一遍でない心のこもった文章を頂戴した。障害者問題研究班の文章は富山 県における視察報告であり、大島吉晴委嘱研究員が執筆してくださった。 女性問題研究班は昨年5月に開催されたフェミニスト・カウンセラーの本 多利子さんによる 「 セクシュアル・ハラスメントのない職場環境づくり 」 と題する研究例会の要旨を解説した文章を石元幹事研究員が寄稿して くださった。人種・民族問題研究班による文章は昨年秋開催の国際シンポ ジウムの全容を耳又録した研究室紀要閲読へ誘う意図の拙文である。
 この室報が本研究室の活動 ( 公開講座・研究学習会・紀要 ) の紹介 とそれらに対する関心の惹起に寄与する使命を果たすことを願っている。 今回も原稿の催促から割付、印刷等を担当した事務室の川本主事のご苦労 に感謝の気持ちを込めて記す次第である。
   
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