【関大社会安全学部 リレーコラム】防ぐことができる被害 防ぐ意識を

 先月、北九州の飲食店で中学生に対する殺傷事件が起きました。被害者からすれば、見ず知らずの人が突然店に入ってきて刺して逃げた、ということで避けようのない事件だと思います。亡くなった方の冥福をお祈りします。

 一方で、このような避けようのない事件と異なり、努力すればある程度は避けることができる事件も存在します。例えば、海外旅行において、近づかない方がよいとされるエリアの情報を聞いた方も多いでしょう。治安の悪い地域に近づかない、夜道を一人で歩くことは避けるなど、海外で身を守るための注意事項が存在します。そして、このような注意事項を守ることで、身の安全をある程度は確保できます。

 言い換えれば、海外旅行中に注意事項を守らなくて被害にあった場合、同情されるどころか「気を付けなかった方が悪い」と説教されかねない、ということです。もちろん、犯罪に巻き込まれた場合は犯人が悪いということですが、自己責任の考え方もある程度存在します。

 防災においても、同様の違いが存在すると思います。想定を超えるような地震の揺れや大豪雨で被災した場合は、まさに「天災」であって、避けようもない災害だったということがあるでしょう。一方で、きちんとした備えや正しいタイミングでの適切な避難により、防ぐことのできたはずの被害も存在します。

 実際の災害が発生すると、避けようがなかった被災者と避けることができたはずの被災者が混在していることもあって、「気を付けなかった方が悪い」と説教するような人はあまりいません。しかし、将来の被害を防ぐ、という観点からすると、この両者を正しく認識し、区別をしていくことも重要だと思います。

 最後に気になることをもう一つ。今回は回避できる可能性の有無についての考察を述べましたが、同じような回避できない災害(被害)であっても、被災者(被害者)の人数が異なる場合、支援やサポートの丁寧さに差異が存在するのではないかと考えています。こうして、防災を他の安全の問題と比較・考察すると、より本質的な問題に近づくことができると思います。(関西大学社会安全学部教授 一井康二)(2025-01-20・大阪夕刊・国際・3社掲載)