『被災地に学ぶプロジェクト』④被災学校訪問

 23日と24日に実施されたメインツアーの後、25日には、希望者のみが参加するオプション企画が実施されました。オプション企画の一つとして、4人の社会安全学部生が、被災地の学校を訪問し、「勉机プロジェクト」で机と椅子を贈った被災地の小学生と交流しました。同時に、震災当日の初動対応についてお話を聴きました。

・勉机プロジェクト
 「勉机プロジェクト」とは、全国の学校で遊休品となっている勉強机と椅子をきれいに再生して被災地の学校に贈るボランティア活動です。社会安全学部の学生と院生70人が、4月29日と6月11日に、高槻市の港製器工業株式会社の工場で、勉強机と椅子の再生ボランティアに取り組みました。再生された勉強机と椅子は、7月に宮城県亘理(わたり)町の宮前仮設住宅に届けられました。この仮設住宅には、自宅を失った長瀞(ながとろ)小学校の子どもたちが生活しています。

*4月29日の作業の様子http://www.kansai-u.ac.jp/Fc_ss/news/2011/05/post_71.html

・長瀞小学校における初動対応
 8月25日、まず、亘理町の長瀞小学校を訪問しました。もともとの校舎は津波による被害で、現在も使える状態ではないため、吉田中学校の校舎を間借りしています。長瀞小学校では、全校児童の約3割にあたる50人の児童が、仮設住宅から通学しています。
 最初に、鈴木千代子校長先生と渡邊清孝教頭先生から、震災直後にどのように対応したかについてお話しをうかがいました。長瀞小学校では、児童全員が無事でした。
 長瀞小学校では終礼が終わるか終わらないかというタイミングで震災が発生し、全校生徒がまだ学校内にいた。子どもを迎えに来た保護者の車が学校の周りに並んだ。海辺の学校で働いた経験のある先生が津波の危険性を喚起し、子どもの引き渡しをやめ、迎えに来た保護者も一緒に校内に避難してもらうことにした。隣の保育所の子どもたちや、近隣の住民の方も避難してきた。体育館の中に避難してしばらくすると、津波の第一波が来た。校舎と体育館の間を流れる川によって津波の衝撃がいったん吸収された。体育館は校舎よりも少し高い位置にあり、隙間を体操のマットで塞いだため、第二波、第三波が来ても中までは浸水しなかった。校舎の一階部分は浸水し、教室の内部はぐちゃぐちゃになってしまった。
 先生方の車は流された。パソコンも使えなくなって、仕事のデータが失われた。自宅を流された先生や児童が多くいる。長瀞小学校は海から2キロ離れており、もともと地域として津波に対する意識は高くなかったが、児童全員の生命は守ることができた。

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左:〈鈴木千代子校長先生と渡邊清孝教頭先生〉 右:〈体育館の前を流れる川が津波の第一波の衝撃を吸収した。〉

・社会安全学部生が長瀞小学校5年生に特別授業
 この日のメインイベントとして、3時間目に、4人の社会安全学部生が、5年生の国語の授業時間を使って、「大阪弁と大阪文化」の特別授業を行いました。大阪の名物や大阪弁の代表的な言い回しについて、質問やクイズを交えた授業に、子どもたちは楽しそうに参加してくれました。
 しっかり準備していたにもかかわらず、緊張して、予想よりかなり早く、話す項目をすべて使いきってしまいました。それでも教頭先生や5年生担任の鈴木先生が助け舟を出して下さり、何とか盛り上がった形で授業を終えることができました。上手な授業とは言えませんでしたが、実に貴重な経験となりました。大変な状況にもかかわらず、こうした交流の機会を与えて下さった長瀞小学校の先生方のご厚意に心より感謝いたします。

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・長瀞小学校校舎の被災状況
 子どもたちと先生方に別れを告げ、現在使えなくなっている長瀞小学校のもともとの校舎を見に行きました。フェンスはなぎ倒されたままで、校庭と校舎1階部分には津波の跡が残ったままでした。案内役を務めて下さったNPO子ども育成支援協会の小野さんから、校庭で遊具の安全点検についてのミニ講義を受けました。

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〈登り棒の安全点検の実演(長瀞小学校の校庭にて)〉

・「勉机プロジェクト」で再生した机が贈られた仮設住宅訪問
 いよいよ宮前の仮設住宅に行きました。「勉机プロジェクト」で社会安全学部生が再生した机と椅子が実際に届けられた場所です。亘理町の職員の方に、大阪名物のお菓子をお渡しして、子どもたちが学校から帰ってきたら配っていただくようお願いしました。
 あのとき心をこめて整備した机と椅子を今この場所で使っている長瀞小学校の子どもたちに想いを馳せながら、仮設住宅を後にしました。

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・宮城県農業高校:被災状況と初動対応
 次に、当初「勉机プロジェクト」で机と椅子が贈られる予定だった名取市の宮城県農業高校を訪れました。校舎の1階部分の状況は、無惨のひとことに尽きました。長瀞小学校よりはるかにひどい状況でした。校庭にはつぶれた自動車がずらりと並べられていました。当然のことながら、この校舎で授業はできません。1学期は、3つの学校を間借りして、生徒たちは3つに分かれて、授業を受けていました。9月になれば、仮校舎ができ、そこで授業を行うことになっています。
 4人の職員の方が屋上に案内して下さり、津波が来たときの状況について話して下さいました。
地震が起こった日は、入試が終わった次の日だった。授業は休みで、部活動で120人の生徒だけが学校に来ていた。地震が発生後、海から近い学校なので、津波が来ることを念頭に、生徒を屋上に誘導した。屋上から第1波を目の当たりにした恐怖から、屋上にいる生徒や教職員ら200人は、さらに水道タンクが置かれた部分に登った。結局、津波は2階の高さに達して止まった。全員無事だった。校長は、学校で一夜を明かすことを決めた。
 屋上から3階の教室に下りて、一夜を明かした。教室を回ってカーテンをかき集めて、それで寒さをしのいだ。野球部マネジャーが持ってきていたスポーツドリンクを分けあった。朝になると、膝までに水位が下がっていたので近くの避難所に移った。そこでやっとおにぎりが1つずつ配られた。

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〈宮城県農業高等学校の屋上。最後は水道タンクの所に200人が登った。〉

・最後に荒浜小学校訪問
 最後に、仙台市に戻って、荒浜小学校を訪問しました。被害が大きかったこの地域では、小学校の周辺に津波の傷跡が生々しく残っていました。校舎の前には、つぶれた農業用トラクターがずらりと並べられていました。特に体育館は無惨な状況でした。
 東日本大震災によって、あらためて、地域における防災・減災の拠点としての学校の重要性が認識されています。春学期に「勉机プロジェクト」に参加した社会安全学部生を代表して4人の学生が、この日、被災地の学校を訪問して、交流を持つことができましたが、地域社会と学校の安全という観点からも、社会安全学部での学びを深めていくことを期待しています。

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