阪神・淡路大震災から26年目のKOBEを歩く―神戸市長田区・区画整理事業を行った御蔵5-6丁目―

2021年3月31日にフィールドワークで訪問した神戸市長田区の御蔵(みくら)5-6丁目は、戦災を免れていたために老朽化した住宅が多く残っており、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けました。地震による建物倒壊だけでなく火災による被害も大きく、震災後、区画整理事業の対象となり、住民とボランティアの協働によるまちづくりが行われました。街区には、被災したことが分かる「震災モニュメント」があります。
ここではとくに、区画整理事業が行われた地区の震災前後の変化について、石田、檀上、福永、三角がご紹介します。

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御蔵地区の見学ポイント

●御蔵北公園
・震災の跡が残る公園だからと言って近寄りがたい公園ではなく、昼食の場になるなど地域住民のコミュニティの場として成立していた。

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焼けた跡が今でも残っている電柱


・御蔵北公園は震災後の区画整理によって作られた公園だが、今でも震災遺構が残っていることで震災の恐ろしさや被害の大きさを現在でも感じることができる。震災を忘れないで、防災意識を持ち続けることができるように思えた。

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住民とボランティアが共働で作り上げた慰霊碑(1)


・毎年1月17日に震災の犠牲者を弔う慰霊法要が行われている。「鎮魂」の二文字
・地域住民とボランティアが共働で建設。地域コミュニティのつながりの濃さが窺える。

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住民とボランティアが共働で作り上げた慰霊碑(2)


・慰霊碑の中には、御蔵5-6丁目の地図が石盤に記され、慰霊碑の天井から注ぎこむ太陽光が、石盤の上に光の点となって現れる。光の点は120人の犠牲者の住んでいた位置である。
・文字や地図だけでなく自身で見て体験することで、震災の生々しさを実感させられた。

●御蔵南公園

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生き残った楠

・震災時、火災のひろがりを防止し、公園内に避難した人を火から守ったクスノキがある。
・震災を思い出すため撤去したい人と震災の被害を残すため保存したい人との間で議論されたが、結果として残されることに決まった。
・今も火災による傷跡が残っており、未だに炭である部分と、幹が成長している部分がある。

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仮設トイレの穴とトイレ本体が置かれている防災倉庫


・震災時に水を使えず、火が消せなかった教訓からこの公園の地下には100tの貯水槽が設置されている。
・公園のグラウンドに4つ、下水道につながる排水溝がある。この上に仮設トイレを設置すれば...処理してもらえる。

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古民家を移築した集会所


・兵庫県香美市から、住民とボランティアが移築作業を行った古民家で、現在、築140年。
・コンサートや講演が開かれるなど地域コミュニティの憩いの場となっている。

●訪問して感じたこと
(1)コミュニティの強さ
・復興の過程や慰霊碑などから、地域コミュニティの繋がりを大切にして、復興まちづくりを進めてきたことが窺えた。・ 自分達も「コミュニティ」という言葉を多く使ってきたが、コミュニティとは何かをいうことを改めて考えなければならないということも感じた。
・地域コミュニティのつながりが濃ければ、災害が起きた際「共助」が豊かになり、救える命が増えるかもしれない。
・地域の人たち同士で気軽に話せる環境からも、コミュニティの繋がりが見える。

(2)街の「災害」を残す意味
・震災後の町に残っている「震災の傷跡」は、震災を知らない次世代に、当時の記憶を風化させずに伝えているように感じられた。
・風化させずにいることで、次に震災が起こっても、防災・減災を円滑に進める教訓となるかもしれない。
・しかし、災害を思い出させるモニュメントは、そこに住む被災者の古傷に触る可能性もあるので、決して前向きな効果だけではないことも覚えておきたい。