死刑の実態を明らかにし具体的な議論へ
永田 憲史 教授

死刑に関する研究

死刑の実態を明らかにし具体的な議論へ

公文書から絞首刑の実態に迫る

法学部

永田 憲史 教授

Kenji Nagata

日本の死刑制度について、私たちはどのくらいのことを知っているだろうか? 多くの諸外国と違い、日本は死刑の執行方法として絞首刑を採用しているが、執行のための設備、器具、執行やその前後の手順、執行に直接関与する人員の配置に関する具体的な事項は、法律にも、規則や命令にも規定されていない。永田憲史教授は、死刑研究者としては珍しく死刑存置派だと言う。教授は絞首刑の実態を探るため、国内外の公文書による研究を進めている。

日本と海外の死刑制度の違い

世界における死刑執行方法の変遷についてお聞かせください。

日本では、死刑の執行方法として、絞首刑のみが定められています。明治時代に旧刑法を作る際に斬首刑も選択肢として検討されましたが、御雇外国人からあまりに残虐だという批判の声が上がったこともあって、絞首刑だけが採用されたようです。当時、絞首刑は世界の主流でしたが、採用する国が減少し、先進国では日本のみになりました。今も死刑を存置しているアメリカでは絞首刑から電気椅子、さらには薬物注射が主流となっています。

なぜ、日本は絞首刑を採用し続けているのですか?

1955年(昭和30年)に最高裁判所は絞首刑を合憲としました。日本では、これまで死刑制度にかかわる情報がほとんど明らかにされておらず、諸外国のように死刑執行をはじめとする具体的な事柄について議論することが困難でした。そのため、主に死刑の存廃が議論されることになってしまい、絞首刑の是非にはほとんど焦点が当てられてこなかったと考えられます。

閉ざされてきた絞首刑の実態

絞首刑にはどのような問題性があるのでしょう?

絞首刑は被執行者の死亡までに時間がかかり、苦痛を与える可能性があります。いわゆる「うまくいかない執行(botched execution)」が発生しやすく、立ち会う側からすると酷たらしい場面が生じることもあると考えられます。

それを許容範囲とするか否かの判断材料が必要なのですね。

日本は殺人を禁止する一方、死刑を採用しています。死刑は必要悪と言ってよいでしょう。こうした状況の下で国家が死刑を執行する以上、その方法が適正であることを確認して進めていかなければなりません。そのためには、憲法で禁止されている「残虐な刑罰」ではないことを明確にし、時代の変化に伴って「残虐」だととらえられるようになってきた場合には改善していく必要があります。

執行方法について、明らかになっていることはありますか?

執行のための設備や器具、執行手順についての規定は、1873年(明治6年)の太政官布告にある絞罪器械図式までさかのぼります。この中の絞架全図には階段を上っていく地上絞架式が記されていますが、いつしかその様式は法律等によらずして変更され、現在は平面上を進ませ踏み板を開いて落下させる地下絞架式が採用されています。
 また、過去の新聞記事や文献を調べたところ、1947年(昭和22年)に愛知県の地方紙『名古屋タイムズ』で名古屋刑務所の刑場を取材した記事を発見しました。同年の写真誌『アサヒグラフ』には広島刑務所の刑場に関する記事が公表されています。それらの写真からは、名古屋刑務所には2階建ての絞首台のためだけの建物があるのに対し、広島刑務所では屋根だけの吹きさらしで半ば屋外という状況に絞首台が設置されているのが確認できます。現在も刑場ごとに設備が少しずつ違う可能性があります。

海外にあった公文書から見えてくる日本の絞首刑

永田教授は死刑執行始末書の分析もされていますね。

一般刑事犯に対する死刑執行始末書は、法務省への情報公開請求に対して開示されてきましたが、重要な部分のほとんどは非開示として黒塗りにされており、実態は不明でした。そこで、私は別の情報源として公文書を入手し実態に迫ろうと考え、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が収集し保管している記録に着目しました。記録の原本はアメリカの国立公文書記録管理局に所蔵されています。それをマイクロフィッシュで複写したものが日本の国立国会図書館憲政資料室に収蔵されており、適法かつ適正に入手することができました。
 これらの資料は昭和20年代の古いもので、死刑の執行所要時間などが記載されていることが重要なポイントでした。実際にアメリカで執行を見てきた知人の記者に話を聞くと、薬物注射による死刑の所要時間は2~3分で、被執行者が苦しむ様子もなく終わったそうです。一方で、私が入手した資料からは、絞首刑の場合、執行所要時間が平均14分あまり、長い場合は22分かかっていました。場合によっては被執行者がかなり苦しい思いをし、それを執行する側も見させられていたのではないかということが読み取れました。

今後、日本はどうしていくべきだとお考えですか?

凶悪な犯罪が起こると、「死刑にするべきだ」という感情が湧くことがあります。しかし、絞首刑で執行すべきでしょうか。まず、執行の段取りなど執行の主要な事柄ですら法律で規定されていません。絞首台へ自発的に歩いて行ったのか、最期の言葉が何だったのかなども明らかにされていません。死刑執行がブラックボックスの中にあり、判断材料がないというのは不思議なことです。海外では執行を公開したり、被害者や新聞記者の立ち会いを認めたりして、外部の目が入るようになっています。日本も法医学、物理学、機械工学などの専門家の知見を取り入れながら議論し、より良い執行方法を模索していかなくてはならないと思います。
 その際に大切なのは、現状を把握した上で、“一世代先”の感覚で判断することでしょう。戦争体験者の多い昭和20年代と現代の人とでは、死体を見る感覚も違うでしょう。一世代先の先進的な感覚から「残虐な刑罰」に当たらないか検証していかなければなりません。

私たちが死刑制度を知ることの意義とは?

2009年から裁判員制度が始まり、誰もが死刑を求刑される事件の裁判員になる可能性が出てきました。同じ社会で暮らす人が死刑を言い渡すことに関与しなければならないわけですから、死刑制度の実情について知り、考えるべきだと思います。そして、絞首刑を続けるのであれば、特定秘密保護法に反しない限りで、政府は情報をオープンにして、問題性が小さいことや残虐ではないことを発信し続ける必要があります。日本の死刑については、秘密主義だという海外からの批判も強いので、説明を丁寧に行っていかなければならないでしょう。

  • 死刑執行所要時間
    1888-2002: Espy, M. W. and Smylka, J. O., Executions in the U.S. 1608-2002: The Espy File
    2002-: Death Penalty Information Center, Execution Database より作成


  • GHQ / SCAP資料のマイクロフィッシュ
    (国立国会図書館 所蔵 / 原資料所蔵機関:米国国立公文書館)

残虐な刑罰に当たるか否かの判断材料を提供する

今後の研究の展望をお聞かせください。

死刑の議論は存廃が中心になりがちですが、その前に実態を明らかにしておく必要があります。私は、研究者としてまず死刑執行の現状を知り、議論の素材を多く提供することが責務だと考えています。実際に執行を担ってきた拘置所の元職員にインタビューするなどさまざまな方法が考えられますが、前述のような公文書を可能な限り多く発掘し、そこからアプローチをしていきたいと考えています。
 最近、2001年に日本のストラスブール総領事が外務省本省に対して死刑執行停止を働きかけるよう求めた意見具申の文書を外務省に対する情報公開請求により開示された文書から発見しました。このような内容の意見具申は異例のことです。関連する資料から、当時の外務省内部でどのような議論を行ったのかが明らかになりました。GHQ資料も含めてまだまだ未渉猟の資料(みしょうりょう)がたくさんあるので、根気よく調べていきたいと思います。また、もともと私は、死刑の基準の研究にも力を注いできました。昭和20~30年代の判決を分析する作業が残っていますので、この研究も鋭意進めていきたいと考えています。


  • アメリカにおける死刑執行方法の変遷