メディアとしてのミュージアム
村田 麻里子 准教授

ミュージアムの社会的な意味を問う研究

メディアとしてのミュージアム

なぜ博物館にとってメディア論的な研究が必要か

社会学部

村田 麻里子 准教授

Mariko Murata

私たちは博物館の中に一歩足を踏み入れたとき、そこが外界とは異なる空間であり、日常とは違う空気や時間が流れているように感じる。だが、村田麻里子准教授は「ミュージアムはメディアであり、社会とつながっている」と言う。その話を聞いていると、ミュージアムから社会がみえてくる。そしてミュージアムへ行きたくなる。

ミュージアムと市民をつなぐ研究が原点

ミュージアムと社会の関係に注目した研究を始めたのは、何かきっかけがあったのですか。

大学院時代に元看護師の同級生と一緒に、博物館と病院をつなげるワークショップを企画したことがはじまりです。博物館のコレクションを病院の院内学級や養護学校に持ち込み、子どもたちと学芸員のコミュニケーションを図ろうとしたこの実践が、結果的には自分にとっての重要な研究テーマになりました。
 いざ始めてみると、さまざまな困難が待ち受けていました。こちらからすると些細なことでも院内学級の先生方から容易にゴーサインが出なかったり、博物館の専門家である学芸員たちの戸惑いも大きかったのです。でも、考えてみれば、今まで回路のなかった専門家と市民の間に無理やり回路をつくるわけですから、予想外の困難は当然です。ただ、子どもたちが学芸員の話に熱心に聴き入って、きらきらした目でコレクションに触れている姿をみて、院内学級の先生方にも喜んでもらえたことは救いでした。
 博物館の専門家にとっても、想定外の市民(病気療養児、その家族、教員、医師など)と接することの重要性が、この実践からみてとれました。「衝撃を受けた」と言ってくれた学芸員もいました。
 このように、当初は博物館と多様な市民の回路づくり、というようなことを考えていました。博物館に来る市民を待ち構えているだけでは、同じ種類の人しか来なくなりますから。
 やがてこの経験は、ミュージアムがこれまで社会の中でどういう存在だったのかという問いへとつながりました。つまり、ミュージアムとはいったい何なのか、社会の中でどのようなコミュニケーション装置として機能してきたのか、しているのか -これらの問題を考えることが私の研究です。

メディアとしてのミュージアムを考える

その問いに答えようとするところから、「メディアとしてのミュージアム」という考え方が生まれ、深まってきたのですか。

そうです。一つはミュージアムという空間のコミュニケーションについて、メディア論という切り口で考えることです。
 
 ミュージアムに展示されているものは、テレビや新聞などのメディア情報と同じように、さまざまな意図によって選ばれ、構成され、並べられています。つまり「正しい」事や「真実」を語る装置ではなく、誰かが構成した語りを、来館者が読み解くようなコミュニケーションの装置なのです。このようにコミュニケーションの媒(なかだち)としてこの空間をみていくことが出発点です。
 また、マスメディアで情報を扱う専門家と情報を受けとる側の間に大きな距離があるのと同じく、ミュージアムの専門家である学芸員と市民の間にも乖離(かいり)がみられることも、考えるべき課題です。先の実践のような回路作りは、ここにつながるといえます。それと同時に、メディアとしてのミュージアムを考えるにあたっては、現在のミュージアムに何が起きているのかを、社会的な視点からみていくことも必要です。特に最近では、ポピュラー文化や大衆文化というミュージアム的ではなかった要素がミュージアムに流れ込んでいる様子についても考察しています。

拡張し、スペクタクル化するミュージアム

欧米のミュージアムの新しい流れについて教えてください。

欧米では1990年代以降、巨大なミュージアム建築の新設が急増しています。また、大量の観光客に対応するための増改築も盛んです。I・M・ペイによるガラスのピラミッドが賛否両論を巻き起こしたルーブル大改造(1993年)はその発端のひとつでしょう。さらに、大英博物館の改修やテート・ギャラリーの拡張を織り込んだロンドンのミレニアムプロジェクト(2000年)、谷口吉生の建築デザインが好評を博したニューヨーク近代美術館(MoMA)増改築(2004年)などは代表的なものです。また、地方都市に分館を建設する動きもみられます(ルーブル・ランスや、ポンピドゥー・メッスなど)。
 ミュージアムの拡張は、奇抜で大胆なビジュアル効果とブランドが織り成す一大スペクタクルとして効果を発揮し、娯楽重視の観光スポットへとシフトしています。かつては商業主義に懐疑的だったにもかかわらず、今ではグローバリズムのなかでむしろ自らをブランディングしようとしているのです。
 ミュージアムはモダニズムと切っても切れない関係にあるのですが、今やポストモダン時代へと突入したといえます。ポストモダン世代のミュージアムの特徴の一つが、先に挙げたようなスペクタクル化、アート化といった傾向です。2006年に開館したパリのケ・ブランリー美術館などはその典型例です。従来の人類学博物館のイメージは一新され、人類の共通項としてのアートというコンセプトを語る空間になっています。

日本のミュージアムにもそのような傾向があるのですか?

そうですね。ただ、日本ではミュージアムそのものが拡張するかわりに、雑誌などのマスメディアを媒介とするミュージアム・イメージの拡張が先行しています。ミュージアムは「知的」で「おしゃれ」な空間であり、そこに「豊かな」ライフスタイルがある、と女性のファッション雑誌などを通して言説化され、その言説を身体化した新しい世代のミュージアムも生まれています。それが旧来型博物館と並んでいるのが、現代の日本のミュージアム風景です。

最後に、現在村田先生が調査されているマンガミュージアムについて。

マンガはいわゆる大衆的で日常的なメディアです。巷に流通する印刷物で、量も膨大です。ハイカルチャー(高級文化)といわれるミュージアムのような公共性の高い空間に、大衆文化が入ると何が起きるのか。それを確認できる素材がマンガミュージアムなのです。
 実際に来館者の動線を調査すると、その異化作用がみてとれます。ミュージアムというのは、私たちに決まった動き、決まった身体、決まった目線を強要する空間です。にもかかわらず、たとえば京都国際マンガミュージアムでは、きわめて私的な行動をとったり、寝ころんだりして過ごしている人が多い。ミュージアムの身体とマンガを読む身体の両方が混在する空間になるのです。最近広島市立まんが図書館と宝塚市立手塚治虫記念館でも調査をやり終えたばかりなのですが、また面白い結果が得られそうです。


  • 狭い土地と旧館の構造を有効活用して増改築した MoMA(ニューヨーク)


  • コートヤードに屋根をつけて空間を再生させた大英博物館(ロンドン)


  • ケ・ブランリー美術館(パリ)


  • ルーブル美術館(パリ)の中庭につくられたガラスのピラミッド


  • 京都国際マンガミュージアム
    閉校になった小学校の建物を活用したミュージアムの外観


  • ごろごろ寝ころがって読むのに最適の空間