笑いの謎に挑む
木村 洋二 教授

「笑い測定器」で笑い研究を総合科学へ

笑いの謎に挑む

「笑いはニュートラルギア=ゼロの演算子」理論仮説を実証し、笑いの機能を解明する

社会学部

木村 洋二 教授

Yoji Kimura

昨年の12月3日、「関大笑い講-ヒトはなぜ笑うのか」と題するユニークなシンポジウムが開催されました。日本笑い学会会長の井上宏・関西大学名誉教授が開会の辞を述べ、社会学から芸能、医学、脳科学まで幅広い分野にわたる講演や報告・討論が行われました。本学から学生約150人、各地から市民約150人が参加、7時間におよぶ長丁場シンポジウムも盛会のうちに終了しました。その総合司会・コーディネーターを務めたのが木村洋二教授。関西大学ソシオン研究プロジェクト・ユニットのリーダーとして、笑いに関する学際的な研究を推進してきました。木村先生は、その昔ワライタケのようなキノコを食べて3時間ほど強烈に笑い続けたことがあり、それがきっかけで「笑いの統一理論」を着想したそうです。その独創的な理論は、1981年11月に雑誌『思想』(岩波書店)に発表されました。四半世紀前はあくまで「仮説」に過ぎなかった木村理論ですが、その後の脳科学とコンピューターサイエンスの発展によって、仮説の実証も不可能ではない新しい局面を迎えつつあるようです。「イデオロギーからユーモアへ」、21世紀のパラダイム転換を展望する「笑いの総合科学」はどこまで広がるのでしょうか。笑いのパワーが研究への情熱と化したかと思われる木村先生に、笑いが切りひらく新しい世界について縦横無尽に語ってもらいました。

ズレて、ハズレて、ヌケて、アフレる。「私が東北弁丸出しで話すと学生は笑う」

笑いに関してはアリストテレス以来、ホッブス、カント、ショーペンハウエル、ベルグソン、ケストラーなど、古今の哲学者がいろいろと語っています。笑いは「優越感の表れ」であるとか、「不一致の表現」であるとか、「価値の低下」であるとか…。それぞれ自分の角度から笑いを照らし出そうとしているのですが、私はどこか違うと思いました。
 私の仮説は簡単に言うと、1)ズレて、2)ハズレて、3)アフレる、という3段階のメカニズムから成ります。最近は、もう一段階「ヌケる」を加えて、4段階にしました。例えば、私が東北弁丸出しで話したとします。学生はまず笑います。音韻やイントネーションが関西標準パターンからズレるのです。これをキッカケにして図式を駆動していた賦活信号系のスイッチがハズレます。そうすると、図式の持っていた「リアリティー」がヌケて、教授の「威厳」(そんなものがあったとして)はカラッポになります。同時にその「威厳」あるいは「リアリティー」をつくっていた「賦活信号」(フロイトのいうカセクシス)が余剰化して、脳内の「笑い回路」にアフレ出す。そのあふれ出した伝達物質もしくはインパルスが、意識野に「おかしい!」という感覚を起こすと同時に、意識下の免疫系などにもポジティブに作用する、と考えられます。もちろんこの一連の回路メカニズムはまだ実証されていません。
 この仮説は、H.スペンサーとS.フロイトがベースになっています。スペンサーによれば、「笑いは意識が大きなものから小さなものへ不意に移される時」、つまり「ズレ下がりdescending incongruity」が存在する時に生じる。幕の奥から、“ウォー”と獣のほえる声がしたとしましょう。その後、隙間からネズミがちょろちょろ出てくると、笑えます。逆に、ネズミのチューチュー鳴く声がして、大きな虎が顔を出すと、驚いてしまう。スペンサーはこの[ケモノ-ネズミ=+α]の“落差α"が笑いだ、と考えました。1860年のことです。フロイトはこれを発展させて、「機知-その無意識との関係」という長い論文を書いています。

笑いはプラスもマイナスもゼロにする「笑うことでカラッポになってリスタートできる」

関大で教え始めて間もないころ、私は友人と怪しいキノコ鍋を食べて深夜に3時間笑いころげたことがあるのです。その時、「笑いはニュートラルギアだ!」と直感しました。笑いというのは、非常に重要な何か、ちょうど数学の0(ゼロ)に相当する精神の演算子です。笑ってしまうと、プラスもゼロになるけれども、マイナスもゼロになる。笑いは単なる落差ではありません。「全エネルギー」が余剰化するのです。
 例えば、ベストセラーになった島田洋七さんの『佐賀のがばいばあちゃん』。洋七少年は成績が悪かった。1と2ばかりの通信簿を恐る恐るおばあちゃんに見せた。すると、「がばいばあちゃん」が言うわけです。「おやまあ、足したら5になるじゃないの」と。この笑い一発で、洋七君は劣等生にも不良にもならずにすむわけです。苦しくても悲しくても、笑うとまた「リスタート」をかけられる。0から再出発ができる。
 笑いはコンピューターでいう「再起動」、精神の「リセット機能」を果たしているのです。もしリセット機能がなければ、脳はアプリケーションを広げすぎてフリーズしてしまうでしょう。おそらく笑いのこのリセット機能は、言語の発生、価値の誕生などに密接につながっている。笑いのドアから脳の中をのぞくと、実はゴリラから人間への進化の秘密を読み解ける、と考えています。

ゼロ=ニュートラルギアが大事「若い諸君の笑いには切ない笑いが多い」

20世紀は、無限大の意味を求めて人類がおびただしい血を流した「革命と戦争の世紀」でした。私の研究のスローガンは「イデオロギーからユーモアへ」です。“+∞”より“0(ゼロ)”が大切なんだということをしっかり提示するのが、21世紀の人間科学の課題だと思うのです。
 まじめ一筋の人は、ニュートラルギアのない車のようなものです。ローギアだけでアクセルを踏み続け、ハンドルにしがみついて走る。そういう人は、壁にぶつかるか崖から落ちてしまう。確かに理想の頂きを目指して走るのは、大切なことです。でも、理想主義者ほど、内部にゼロを持つことが重要です。ニュートラルギアがなければ、急速にギアを切り替えることができません。ニュートラルがないトランスミッションは、いずれ壊れてしまうからです。
 若い諸君は、頂きを目指して突っ走ることのできなくなった時代を生きている。ひたすらギアを切り替えることで、なんとか余剰を絞り出そうと涙ぐましい努力をしている。見ていると切ない笑いが多い。でも、イデオロギーを振りかざして他者を糾弾したぼくらの時代からみると、はるかに自由ですね。彼らはあえて自分を落とすことで、ズレを相手にプレゼントする。笑いをコミュニケーションの大切なツール、仲間への「贈り物」にしている。これが若い世代に対する私の解釈です。

笑い反応の定量的測定に向けて共同研究「笑いの回路を世界で初めてつかまえたい」

今度、文学部の竹内洋教授を代表にした笑い研究プロジェクト(「おおらかな信頼社会の構築をめざしたユーモア・コミュニケーションの総合的研究」、略称「ホモ・リーデンス(笑うヒト)プロジェクト」)に大学から研究助成をいただきました。ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』は「遊ぶヒト」の意味ですが、「笑うヒト」を追究するこのプロジェクトでは、まず笑いの測定装置をつくります。この「笑い測定器」は秘密兵器なのでまだ詳細を明らかにすることはできませんが、最近、予備実験に成功しました。大学から特許出願を目指しています。この測定器が完成すれば、笑いの科学は全く新しいステージに入るでしょう。
 例えば、Aさんは“1アッハ”笑ったとか、Bさんは“3メガアッハ”笑ったとか、ある人の笑いの総量を計測できます。1日あたりの笑いの総量と、その人の免疫系、ストレスの状態、性格特性などがどう対応しているか、これを科学的・客観的に研究する新しい科学の広大な領域がひらかれます。将来小型化して、「万歩計」のようなものをつくりたいと思っています。工学部の安田陽先生と共同でプロトモデルを開発し、秋のシンポジウム「関大笑い講2007」で発表できるよう頑張ります。

21世紀は「イデオロギーからユーモアへ」「笑いはユートピアへのどこでもドアだ」

ドラえもんの漫画に「どこでもドア」というのがあります。私は学生に「笑いは〈瞬間ユートピアへのどこでもドア〉、〈どこでもない場所〉へぬける〈どこでもドア〉だ」と言っています。このドアから「どこでもない場所」を訪れた人は、笑顔でこの世界に戻り、またリスタートをかけられる。しかも、笑いは使いどころをわきまえると、王権よりも強く、革命よりも大きな力を発揮する。
 日本の起源を物語る「古事記」によれば、暗闇に閉ざされた世界に太陽の光を取り戻したのは、勇敢な女神のストリップのような踊りに誘発された神々の「大笑い」でした(「天の岩戸開き」)。飢えと貧困の克服にほぼ成功し、二度と侵略戦争をしない、と誓ったわがハイテク平和国家日本こそ、世界に先駆けて笑いの謎を解明し、「イデオロギーからユーモアへ」21世紀のパラダイム転換を主導する船頭役を買って出るべきではないでしょうか。