時を超えて王朝の美と息吹を
田中 登 教授(図書館長)

古写本・古筆切、冷泉家古典籍を調査研究

時を超えて王朝の美と息吹を

和歌と古筆が織りなす「八代集」の美学

文学部 総合人文学科 国語国文学専修

田中 登 教授(図書館長)

Noboru Tanaka

図書館長を務める田中登教授の主な研究分野は、平安時代の和歌文学と古筆学。全国に散在する古筆切(古写本の断簡)の収集と体系化を目指す一方、藤原俊成・定家以来の「和歌の家」である冷泉家に伝わる古典籍の調査研究に携わっています。また、関西大学図書館ではウェブサイトに電子展示室を開設し、図書館が所蔵する貴重な資料を、インターネットを通じて学内外に公開しています。田中教授を関大図書館に訪ね、日本で一つしかない古書を前に、和歌と古筆に彩られた王朝文化の世界を案内してもらいました。

■関大図書館所蔵の八代集写本・古筆切を展示古筆切を収集し、元の写本復元へ

昨年の11月から12月にかけて、関西大学総合図書館で「八代集の世界-古今・新古今を中心に-」という特別展が開催されました。そこで展示された写本などの資料はどういうものなのですか。

2005(平成17)年は古今集ができて1100年、新古今集ができて800年という記念すべき年でした。天皇や上皇、法皇の命によって編まれた勅撰和歌集は、905(延喜5)年成立の古今集に始まり、室町時代の初めまで次々に作られて全部で21を数えます。その中で古今集以降、後撰集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、詞花集、千載集、新古今集までが八代集と総称され、後世の歌人たちから特別に尊重されました。
 ただし、この時代の作品は印刷されることがなく、すべて手で書き写されていたのです。平安時代の源氏物語も枕草子も、作者が書いた自筆原稿は残っていません。書き写された写本の中で、できるだけ作者に近い時代の、誤りが少ない古写本を探すことが大事です。
 ところが、室町時代の終わりごろから江戸時代にかけて、古人の筆跡を鑑賞する古筆ブームが起こり、本を切って1枚ずつの紙片に分割し、掛け軸に仕立てたりするようになりました。一巻の本の形で残されず、多くの古筆切、すなわち古写本の断簡が出回るようになったのです。
 関西大学図書館では、これらの資料を直接鑑賞してもらえるように、展示室でほぼ1カ月にわたって展示する一方、常時見ていただけるウェブサイトの電子展示で、「八代集の世界」と題して図書館で所蔵している古写本や古筆切を紹介し、王朝400年の和歌の歴史を概観できるようにしました。

書の鑑賞を目的に切られてしまったところに、平安・鎌倉時代の写本の持つ特質が示されていますね。

平安・鎌倉時代の本は情報が盛られているだけではなく、手作りの美術品だったのです。正確に書き写すとともに、美しく書き残すことが重要でした。王朝のみやびの世界を具現すべく、美しい料紙に美しい文字で書くことに大いに腐心したということです。
 例えば「中山切」。下絵を施した上に、金銀の箔や砂子を撒いた、華麗な装飾料紙に書写された古今集の断簡です。およそ鎌倉初期の書写になるもので、古今集仮名序の古筆切です。筆者は藤原兼実と伝えられていますが、確証はありません。これだけの紙を用意できるということは、相当身分が高い人でしょう。
 王朝文化の世界に我々が近づこうとすれば、その時代を伝える遺品は古筆切なんです。これこそ何百年という時間を超えて、王朝貴族の美学や息吹を直接我々に伝えてくれるものです。
 平安時代の和歌を研究することで、平安貴族の美意識や人生観、自然のとらえ方、恋愛感情などが分かります。それを論じ研究する前提になるのが、作者の時代により近いテキストです。写本が残っていないとすると、断簡を1枚ずつ寄せ集めてきて元の本を復元する必要があります。


古今集「中山切」(鎌倉時代初期写)

古筆学の方法で冷泉家典籍類を調査研究定家の自筆本、歴代の写本に触れる

国宝、重要文化財の宝庫である冷泉家の典籍類が、叢書として出版されています。その調査研究について。

幸い、冷泉家の古典籍は、他と比較にならないくらい古い平安・鎌倉時代のものです。歴代の当主が書写、収集した典籍類を収めた御文庫は、火災を想定した造りの漆喰塗りの土蔵です。住む家は焼けても、御文庫だけは絶対に焼けないように工夫してあります。冷泉家にとって、本は文化財ではなくて信仰の対象なんです。俊成、定家、為家をはじめ、代々受け継いだ財産を物理的にも精神的にも守り通してこられました。明治維新で有力なお公家さんはほとんど天皇に付き従って東京に移住したのですが、冷泉家も移られていたら、関東大震災と太平洋戦争で貴重な典籍類は消えてなくなっていたかもしれません。
 冷泉家の古典籍がいつ書かれたか、誰が書いたか、書誌学的な価値を的確に評価するには、古筆学の方法をもってしなければなりません。古筆切などについて多少心得た者ということでご指名にあずかり、影印本の『冷泉家時雨亭叢書』の解題を担当していますが、全84巻出そろうのは、まだ3~4年先です。学界がついていけないほどの研究資料の山です。我々は世に紹介するための役目を務めている段階で、次の世代の人たちがこの叢書を使って中身を詳しく研究することになると思います。

叢書の調査や解説を担当する中で、原本に触れた感想は?

俊成や定家が書いた本そのものがあるのです。歴代の冷泉家の人々は、定家の写した本で和歌の勉強をしてきたわけです。見ると各ページの端が黒ずんでいる。定家はじめ歴代の冷泉家の人々の手垢です。長い歴史の中で苦しい時代もあったでしょうが、耐えて持ちこたえてこられた本を、今自分が手にして、誰よりも真っ先に研究ができることは研究者冥利に尽きます。


  • 新古今和歌集(室町時代中期写)

■花鳥に託して人の心を歌う古今集新古今集は王朝文化の最後の輝き

八代集の魅力、面白さ、歌の変遷などついて。

八代集に代表される王朝和歌の美的感覚が、後の日本文化の源流になっています。例えば、秋を悲しむ心情は古今集時代に芽生えてきたものです。万葉集には秋を悲しんだ歌は一首もありません。中国の詩人たちが秋をメランコリックな季節として表現しているのに影響されて、古今集時代の歌人が秋の悲しさを歌うようになったのです。また、古今集の仮名序に「心に思ふ事を見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり」とありますが、歌は咲く花や鳴く鳥に託して人間の心を詠む、自分の気持ちを表現するという意味です。
 新古今時代になると、武家が台頭し、仏教でいう末法の世に入り、無常感が広がってきます。王朝的、古典的な美の世界は幻想的、象徴的になり、修辞技巧を凝らした洗練された言葉で独自の美の世界を構築するようになります。定家がその典型ですが、王朝以来の和歌をひたすら守るのが自分の使命だと考えて、王朝歌人たちが伝えてきたものをより一層美しいものに結実させて、それを後世に残そうとする意志が感じられます。
 新古今は中世の和歌の出発点であるとともに王朝和歌の総決算でもあります。王朝文化の最後の輝きが新古今だと、私はとらえています。新古今時代を過ぎてしまうと、歌も次第に水墨画の世界に近づいていきます。