大学執行部リレーコラム

「メディアスポーツ論シリーズ第1回 ワールドカップを支える者はだれか」 (黒田 勇)

2010.07.12

 四年に一度のワールドカップ、日本の健闘もあって、日本敗退後も、テレビにかじりつくファンも多かった。大会前に予想したオランダが敗れ、予想外のスペインが初優勝を果たして、サッカーフリークの私としては、少々恥ずかしい思いをしている。フランス大会、日韓大会、ドイツ大会と現地で取材、調査した私としては、テレビにくぎ付けというのはいささか悔しかったが、それでも十分に楽しめた一か月だった。

◇ワールドカップと日本のサッカーファン
 さて、ワールドカップは、1930年に第一回をウルグアイで開催して以来、世界的にはオリンピック以上のファンと視聴者をもっていたが、オリンピック至上主義の日本においては、ほとんど注目されず、1966年のイングランド大会の記録映画「GOAL!」が公開され、一部のサッカーファンに認知される程度だった。しかし、1968年のメキシコオリンピックにおける銅メダルの獲得などがあって、60年代末には第一次のサッカーブームが訪れ、同年、開局したばかりの東京12チャンネル(現・テレビ東京)が、「ダイヤモンドサッカー」として、イングランドリーグを中心とした欧州サッカーの試合をダイジェストで放送したこともあり、サッカーファンの目は海外へと向けられることとなった。
 また、この番組の枠内で1970年のメキシコ大会を録画ながら全試合放送したことで、日本のサッカーファンにもW杯の魅力が伝わり、このあたりが一般の日本人とワールドカップの出会いだっただろう。
 さらに、90年イタリア大会、94年のアメリカ大会と日本は出場できなかったが、Jリーグの開始に伴い、ワールドカップは大きく注目されることとなり、93年の最終予選は、本大会出場を手に入れかけたところロスタイムに失点し本大会出場を逃し、「ドーハの悲劇」とのちに呼ばれ、その視聴率は深夜にもかかわらず50%近くを記録した。また、98年フランス大会は、初出場への期待が頂点に達し、大会前年に行われたイランとのプレーオフは、「ジョホールバルの戦い」と呼ばれたが、これも深夜にもかかわらず高視聴率を獲得し、本大会では、クロアチア戦で東京オリンピックのバレーボールに迫る66%を記録した。テレビの普及やメディア環境の変化を考えれば、この数字がおそらく史上最高の視聴者を獲得したものだっただろう。
 日本は、その後02日韓共催大会、06年ドイツ大会、そして今年の南アフリカ大会と4大会連続でW杯に出場したが、いずれも日本の試合は高視聴率を得ている。

◇ワールドカップとスポンサー
 ところで、どうして弱小国だった日本のサッカーがどうしてワールドカップに出場できるようになったのか。その理由は日本が強くなったからだ、というだけではない。確かに、90年代の「日本代表」チームの実力がJリーグの開始などがあって飛躍的に向上したからではあるが、FIFAとスポンサーたちによるアジア地域への投資の拡大と、それに伴うアジアのW杯出場枠の拡大もまた貢献しているのだ。
 コカ・コーラやマクドナルドのような世界市場の拡大を目指す企業は、これまでスポーツイベント番組のスポンサーになることがメディア戦略の中心であり、マス・メディアに依存していた体制だったが、80年代あたりから、直接スポーツ団体やイベントのスポンサーになることで、メディアから「独立」し、サッカーとテレビとスポンサーは、「黄金のトライアングル」と呼ばれるスポーツビジネス体制を作っていった。
 その結果として、アジアやアフリカの出場枠は増え、ますますサッカーと商品の世界マーケットは拡大していくことになったのである。
フランス大会を評して、「1990年代の国際スポーツに投資した人にとって、98年のフランス大会の重要な戦いは、ロナウドとジダンではなく、世界的なスポーツウェアの会社であるナイキとアディダスの戦いだった」と言われたように、ますます、スポンサーが大会を支え、そして場合によっては、スポンサーに独占されるイベントと皮肉られることにもなった。 

◇アンブッシュ・マーケティング!?
 さて、今年の南アフリカ大会は、日本から遠い大会であり、私自身も現地調査ができないため、そうした「黄金のトライアングル」がどのようにならされているのかを知ることは難しい。そんなゲーム自体に関係のない小さな記事が各紙に掲載された。6月14日、オランダ対デンマーク戦の会場内で36人の女性がオランダのカラーであるオレンジ色のシャツとミニスカートを着用し、一部が拘束された。衣装はオランダのビール会社の景品であり、公式スポンサー以外の宣伝活動を禁じるFIFAの規則に違反したという。
 「FIFAはW杯期間中の広告を公認スポンサー以外認めておらず、厳しく制限している。今大会のビールの公認スポンサーは米国の「バドワイザー」。オレンジ色のドレスは、オランダのビール会社「ババリア」の商品をイメージさせるもので、美女応援団は同社に組織され、広告塔の役割を担っていた疑い」と報じられた。「美女応援団」などという表現が示すように、よくあるワールドカップの小さなエピソード記事だともいえる。
 問題となったドレスに、ビール名は裾の小さなタグにしか書かれていない。ただ、このビール会社は、大会前からヨーロッパで、オレンジのミニで応援するCMを流し続けていた。したがって、オレンジを見ればこのビールを思い出す仕掛けである。一方、サポーターたちはオランダ王室の色であるオレンジ色の衣装で昔から応援し続けてきた。ビール会社の作戦であることは明白だとはいえ、この衣装をスポンサーへの配慮から排除することは適当なのかという疑問が浮かんだ人も多い。
 こうした広告戦略は、アンブッシュ・マーケティング(Ambush-marketing=待ち伏せ広告戦略)と呼ばれている。02年日韓大会時、韓国の町中を真っ赤に染めたあの街頭応援は、やはりFIFAのスポンサーではなかったSKという電話会社が仕掛けたものだった。SKは大会の半年も前から、ワールドカップという言葉は一切使わず、「レッドでビル」というサポーターの全国組織の協力を得て、応援の仕方についてのCMを繰り返し流し続けた。最初は手拍子の打ち方、そして応援歌の歌い方が、有名な俳優の指導で繰り返し放送されたのである。そして、試合直前には対戦国と韓国の大きな国旗がスタジアムに広がる映像で、韓国を応援しようというバージョンまで作られた。
 もちろん、韓国の大躍進がなければ、街頭応援のあれほどの盛り上がりはなかったが、集まったサポーターたちの多くは、このテレビCMで応援のファッションや様式を身につけていたのである。こうして、公式スポンサーである別の電話会社を完全に食ってしまったうえに、大きな社会現象となった。

◇スポンサーによるワールドカップの「独占」!?
 スポンサーに助けられ、発展してきたワールドカップにおいて、スポンサーへの配慮は当然だろう。「ただ乗り」は許さないという姿勢も理解できる。しかし、スポンサーが大会を「独占」することへの違和感もぬぐえない。私自身もドイツ大会時の会場で、本場のドイツビールではなく、スポンサーであるアメリカのビールしか飲めなかったし、ハンバーガーの元祖はドイツであるが、これもアメリカのハンバーガーしか食べられなかった。また、サッカーにそれほど関心のない特権的な観客がいる一方で、熱心なファンがチケットを手に入れられないという経験がフランス大会以来三大会続いた。今大会は一部で空席が目立っていたが、このところのチケットの入手難は、スポンサー向けのチケットが幅を利かし、一般販売は半分以下というのが原因だ。
 オリンピックにしても、ワールドカップにしても大きなスポーツイベントには公共的な意味合いもあるはずだ。すべてがビジネスのためにあるのではなく、世界中がサッカーを楽しむためには、しっかりとしたビジネスが必要だという、目的と手段の関係を改めて考えさせられた南アフリカ大会だった。