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密を避けて開催の飛鳥史学文学講座 ─来春公演に向けた特別講演も開催─

通算538回目と539回目となる飛鳥史学文学講座が10月10日、関西大学千里山キャンパスで開かれました。その模様は明日香村にある飛鳥文化研究所・植田記念館にもライブ配信され、合計で約130人の考古学ファンが参加しました。この日は特別講座として関西大学客員教授の小野真龍天王寺楽所雅亮会副理事長が「伎楽と天王寺舞楽」と題して講演。続いて関西大学文学部の長谷洋一教授が「近世奈良を旅する人びと」をテーマに江戸時代の奈良をめぐる人々の旅について話しました。

伎楽が結ぶ飛鳥と四天王寺

小野氏は小野妹子の八男を開祖とする浄土真宗本願寺派願泉寺の第44世住職で、京都大学で宗教哲学を学んで博士号を取得。各大学の教壇に立つ一方、天王寺舞楽の伝承者として研鑽を積んだ異色の研究者です。来春には教育後援会における高松塚古墳壁画発見50周年記念事業として、関西大学で天王寺舞楽の公演を行う予定です。
講演で小野氏はまず、飛鳥史学文学講座と伎楽、天王寺舞楽との接点を説明しました。それによると講座開設のきっかけとなったのは高松塚古墳の発見(1972年)ですが、この古墳は藤原京期のものと推定されています。この時期は国家と仏教が急速に結びついたころで、都には雅楽の先行芸能である伎楽の楽曲などが響いていたそうです。幻の仏教芸能ともいわれる伎楽は各種史料によると、笛や腰にぶら下げた鼓、小さなシンバルのような銅拍子で伴奏され、大きな仮面をつけた無言劇でした。
さらに小野氏は、伎楽を導入したのは聖徳太子で、太子ゆかりの四天王寺に伎楽や雅楽を伝承する天王寺楽所が設けられ、明治維新後、いったん消滅した経緯を説明。伝統の灯を消してはならないと、明治中期に小野氏の曽祖父らが雅亮会を結成し今に至っていることや、天王寺舞楽が国の重要無形民俗文化財に指定されたことを紹介し、「伎楽のもつ精神を唯一受け継ぐ芸能」としてその重要性を強調しました。

小野雅亮会副理事長による講座の様子

絵図・地図からみた大和名所めぐり

続く長谷教授はまず堺市博物館に所蔵されている「大和国名所図屏風」について説明しました。この屏風は高さ154㎝、幅355㎝の6曲1隻で、江戸時代後期の作とされますが、作者は不明です。
屏風には三笠山から壺阪寺など35か所の奈良県内の名所が金字で記されていますが、俯瞰した構図でありながら点在する寺社の位置関係が、同一方向から見たものではなく、教授は「奈良をよく知らない絵師が、正確な描写ではなく古社寺の景観を描きたかったのではないか」と推論しました。
教授はさらに「大和名所図会」などの資料を引用し、江戸時代に人びとが西国巡礼道や大和巡り道を利用しながら奈良の名所を巡ったことなどを説明しました。

長谷教授による講座の様子

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