関西大学のスポーツ史

HOME スポーツ史 昭和中期 レスリング部

レスリング部

 昭和23年、山本雅之の尽力で発足したレスリング部は、当初、経済学部前の芝生で練習していた。昭和24年、高校レスリングの強豪である大阪市立高から有力選手が入学し、明治大学OBの村田恒太郎が監督に就任し態勢が整った。この年の関西学生春季リーグで初出場で優勝、25年もおなじリーグで優勝した。また、海外遠征でも活躍はめざましく、昭和29年3月、アメリカ遠征日本代表に押谷吉男(OB)と清谷利次が選ばれ、押谷は全米選手権のグレコローマン・フライ級で2位となった。翌30年のアメリカ遠征では、横山勝利と清谷利美が日本代表に選ばれ、横山は全米選手権のフリー、グレコともに優勝、清谷もグレコ・ライト級で2位となり、関大レスリングの名を高めた。
写真は、昭和30年のアメリカ遠征時、女優で歌手のドリス・デイと歓談するメンバーたち。左端が横山勝利、左から2番目が清谷利美

年表に戻る