堀田 正忠

(1859〜1938)

創立者 司法官

安政6年(1859)12月27日、千葉県に生れる
明治6年、来日した司法省顧問ボアソナードの住みこみ書生となり、法典の翻訳・編纂の手伝いをして法律知識を身につける。
 明治16年、福島事件の公判にあたりボアソナードの推薦をうけて検察官となり、令名を馳せる。高田事件でも主任検事となり「国事犯の堀田か、堀田の国事犯か」とうたわれる。
 明治19年、大審院詰から大阪控訴院詰に転じ、同年5月に来阪して大阪事件を担当する。この間、本校創立のことにあずかり、開校後は治罪法等を講じる。
 明治22年春ころ、本校講師を辞し、さらに同年7月には検事の職を辞して大阪毎日新聞社に入社。明治23年の第1回総選挙に立候補するが、惜敗する。華やかな壮年期に比べて晩年はふるわず、昭和13年(1938)3月11日に没した。78歳