久井 忠雄

(1905〜1991)

校友 第5〜12期理事長

 明治38年(1905)12月21日大阪府に生れる。
 昭和6年、関西大学法文学部を卒業。在学中の昭和4年に高等試験司法科試験、翌年、高等試験行政科試験にも合格。
 卒業後、内務省に採用され、社会局健康保険視察事務取扱となる。以後、群馬県桐生署長、警視庁巣鴨警察署長、警視庁警務部警衛課長、福岡県警察部特別高等課長、内務省警保事務官など、中央および各地の要職を歴任した。
 昭和20年の終戦直後、新潟県警察部長に就任。同年10月に連合軍総司令部(GHQ)により職務罷免となり、翌21年に内務省を退官、同年11月に弁護士登録をする。
 昭和27年、関西大学評議員に選出されると同時に専務理事に就任。昭和38年には理事長に就任し、以後、28 年間、理事長として関西大学の飛躍に大きく貢献する。
 昭和33年の工学部設置、昭和40年の創立80周年記念事業、昭和42年の社会学部設置、昭和61年の創立100周年記念事業など、理事長在任中の業績は枚挙にいとまがない。
 こうした功績により、昭和61年には、勳二等旭日重光章を受章した。
 また、本学だけでなく、私立大学における国庫助成の促進にも尽力、昭和41年から10年間、全関西私立大学国庫補助促進同盟議長を務めた。
 昭和63年から着手した総合情報学部新設のための高槻校地造成工事が完了した平成3年8月24日、急逝した。享年85歳。
 同年秋には、関西大学葬が執り行なわれた。平成5年8月24日の命日には関西大学の礎となった故人を偲んで、関西大学100周年記念会館横に胸像が設置された。