春原  源太郎

(1906〜1969)

校友 専務理事

明治39年(1906)10月12日長野県に生れる。
大正15年、関西大学予科を経て、法学部へ進学。昭和5年、高等文官試験司法科に合格、昭和6年、大阪弁護士会に所属。昭和7年、本学法学部を卒業。
 母校に関係するようになったのは、昭和19年、関西工業専門学校開校時に始まる。以来、昭和21年から昭和25年まで講師として教壇に立ち、昭和22年に宮島綱男と共に理事となり、同年10月専務理事に就き、大学の経営に専念した。
 昭和24年専務理事を辞任した後も引き続き昭31年まで評議員として本学の経営に尽力した。彼は本学が直面した重大転機(例えば工専の誕生、外苑の購入、 高速道路学内通過問題がそれである)のたびごとに現われ、その善後策を提案し、これが収拾に資した功績は大きい。後年、京都学園大学教授として学究の道を歩む。昭和44年(1969)5月、渡米準備中に病に倒れ、同月24日没した。62歳