原田  鹿太郎

(1889〜1970)

校友 理事 弁護士

明治22年(1889)11月3日岡山県に生れる。
明治43年、関西大学専門部法科を卒業。大正3年、弁護士試験に合格して開業。
 大正4年、本学第1回海外留学生として岩崎卯一と共にハーバード大学へ渡米。大正8年、帰国後、中村汽船に入社。傍ら弁護士活動を続ける。
 また大正12年から関西大学講師として出講、主として商法を講義した。昭和4年、神戸弁護士会副会長、昭和15年には会長に選ばれた。
 その間、神戸銀行設立に関与し、その顧問に就任。昭和17年、本学講師を辞め、昭和19年には法人の監事となり関西工専の設立などに尽力した。
  戦後昭和22年理事に就任、敗戦後の大学の復興、 新制大学への転換などに労した。昭和25年、理事を辞め、顧問に推された。一方、昭和24年、神戸船舶を創立して社長となり、松岡汽船監査役などでも活躍した。
 昭和39年3月、山陽特殊鋼が倒産、その管財人として日夜会社再建に努めた。昭和45年(1970)7月29日没した。80歳