土居 通夫

(1837〜1917)

創立者 実業家

天保8年(1837)4月21日、愛媛県に生れる。
幼少のころから文武ともにすぐれ、剣術は田宮流免許皆伝の腕前。明治2年、五代友厚の紹介で大阪府外国事務局御用掛となり、明治5年、司法省に任官する。以後、司法官として12年間、兵庫や大阪の裁判所を経て、大審院や大阪控訴裁判所を歴任する。
 明治17年、官を辞す。大阪府知事建野郷三の紹介で同年、鴻池の顧問に推挙され、実業界に入る。
 明治18年から勃興期にあたった近代産業の育成に積極的に取り組み、大阪株式や米穀取引所をはじめ、電力、紡績、電鉄および保険業等々の創立や経営に参画する。特に第5回内国勧業博覧会の誘致問題で功績が大きい。
 盟友五代友厚(明治18年逝去)亡きあと、明治28年から23年間、大阪商業会議所会頭となり、その人望・実力ともに「大阪実業界の木鐸」と称される。大正6年(1917)9月9日没した。80歳