玉木  三郎

(1874〜1945)

専務理事

明治7年(1874)6月17日広島市に生れる。
明治32年、 東京帝国大学文科大学哲学科卒業。同年9月郷里の県立第一中学教諭となる。明治33年、私立古義真言宗京都高等中学校の教授に迎えられ、 翌年京都帝国大学大学院に入学。明治36年には、弱冠29歳で京都府立第四中学校校長に任ぜられた。
 翌37年校長を辞し上京。高輪仏教大学の教授となった。京大に通うようになつてから仁保亀松博士(のち関大学長に就任)に傾倒し、明治39年、大学院を退学して、同じ京大の法律科に入学。明治42年、同科を卒業。同年10月市立大阪高等商業学校(大阪市大の前身)教授に就任。大正5年、 法律研究のため3年間欧州に留学。帰国後、大学昇格問題の処理に奔走、大阪商科大学の発足に貢献した。
 関西大学との関係は、大阪商科大学に在職中、専門部の非常勤講師に迎えられてからに始まる。昭和7年、協議員に選ばれ、同年9月、専務理事に互選された。昭和14年、本学を辞職。昭和20年(1945)6月6日没した。70歳