砂川 雄峻

(1860〜1933)

主席理事 弁護士

安政7年(1860)2月11日、兵庫県に生れる。
外国語学校に学んだのち、開成学校に入って英法と仏法を修め、明治15年に東京大学法科を卒業。在学中に鴎渡会を結成する。その年、高田早苗、坪内雄蔵らとともに大隈重信を助けて東京専門学校(早稲田大学の前身)創立に参画し、創立後、講師となる。そのころ改進党に入党する。
 明治16年、大阪に移って弁護士を開業するとともに政党の事務にあたる。以後、大阪府会議員、同議長、大阪弁護士会会長、大阪商業会議所特別会員などを歴任する。明治35年には衆議院議員に勅撰され、関西における政界・法曹界のために尽力する。
 本学との関わりは明治23年、講師になったことから始まり、のち法人社員、監事、理事を経て昭和4年から8年まで主席理事を務める。その後は一切の公職を辞し、弁護士として関西法曹界に活躍した。昭和8年(1933)4月15日没した。73歳