末永 雅雄

(1897〜1991)

教授 考古学者 文化勲章受章者

明治30年6月23日、大阪府南河内郡に生れる。
12歳の時、水戸学の学統をひく高瀬真卿に師事する。大正6年、大阪の騎兵第四連隊第三中隊に入隊。同9年に関保之助に師事し、有職故実、考古学の指導を受ける。
 大正15年、京都帝国大学文学部の考古学研究室員となり、濱田耕作教授に考古学、西田直二郎教授に史学の教えを受ける。昭和2年、奈良県史蹟名勝天然記念物調査会嘱託・考古学担当となり、同8年には石舞台古墳の調査を行う。
 昭和9年に刊行した『日本上代の甲冑』により、同11年に帝国学士院賞を受賞する。甲冑の破片を一枚ずつ図面におこし、甲冑に復元するという地道で緻密な研究成果を評価された、当時最年少の受賞であった。
 関西大学とのかかわりは昭和25年、文学部講師に就任したときからで、同27年には教授に就任し、考古学の講義をはじめた。学生たちのために、資料収集に努力し、博物館建設の構想を練った。考古学の調査指導者を育成するため、学生参加の発掘調査などを実施、発掘技術だけでなく作業運営や作業員の保健衛生管理、行儀作法に至るまで指導した。
 昭和28年、故本山彦一元毎日新聞社長の考古資料コレクションを本学が譲り受ける際、本山家と大学側の調整役を務め、本学の考古資料充実の基礎を築いた。
 本学教授に就任したのちも、島根大学との隠岐学術綜合調査や大和五条猫塚古墳、天神山古墳、新沢千塚、岩橋千塚、飛鳥高松塚古墳調査、関西大学ペルー・アンデス学術調査隊本部長就任など、数多くの発掘や調査を手がけ、後進の指導に尽力した。「常歩(なみあし)無限」「士規七則」という末永独自のおしえは、関西大学考古学に今も息づいている。
 昭和35年、文化財功労者として授賞。以後、考古学界の重鎮として数多くの賞を受ける。昭和44年、勲三等瑞宝章、同54年、勲二等瑞宝章を受章。翌55年、文化功労者に選任される。昭和63年11月、考古学者として初の文化勲章を受章した。
 平成3年5月7日、死去。享年93歳。同日、従三位、勲一等瑞宝章が追贈された