香坂  要三郎

(1896〜1984)

教授  応用化学

明治29年(1896)12月16日米沢市に生れる。
米沢中学から第一高等学校を経て、 東京帝国大学に入学。大正11年、同大学工学部応用化学科を首席で卒業。同年11月、同大学工学部の講師となり、昭和6年、同大学で工学博士の学位を取る。同年6月大阪工業大学(大阪大学の前身)の教授となり、応用化学教室の基礎を築いた。昭和11年、 欧州に留学。昭和25年、病気のため大阪大学を退官、翌年大阪大学名誉教授の称号を受ける。
 昭和32年半ば関西大学工学部の設置が決まり、当時、世話役であった田中晋輔教授から懇請され、工学部発足に際し影の推進役として尽くす。昭和33年、発足時には病状が回復していなかったことから教授には就任しなかったが、 その翌年工学部教授に就任した。
  昭和39年、工学部長に推挙され、昭和42年に退職。退職後も大阪府立工業奨励館館長、本学理事をつとめる傍ら、本学大学院などで教鞭を執った。
 晩年は、趣味の囲碁を楽しみ、彼の郵便碁は有名である。昭和59年(1984)10月14日没した。87歳