黒田 荘次郎

(1868〜1944)

校友(関西法律学校1期生) 理事 弁護士

慶応4年(1868)7月3日、堺市に生れる。
堺中学から大阪中学に転じ、苦学しながら関西法律学校に入学し、明治22年、1期生として卒業する。さらに上京して和仏法律学校(法政大学の前身)を明治24年に卒業する。同年、司法官試験に合格し、明治28年、判事となり、米子裁判所に赴任する。そのかたわら同地の後進に法学の講義をする。
 明治31年、和歌山地方裁判所、明治32年、神戸地方裁判所に転じ、同年9月、退官し、大阪で弁護士を開業する。関西大学に関係するようになったのは、大正7年、社員に推された時に始まり、大正9年、財団法人協議員、昭和4年、監事に選任され、砂川財政の推進役として本学の財政確立に尽力する。
 さらに昭和8年の理事就任以降、昭和19年(1944)1月23日に没するまで十有余年の長きにわたって大学運営の重責を担った。
 村上浪六作『当世五人男』の黒田健次は、彼をモデルにして書かれたという。