河村 善益

(1858〜1924)

第7代学長 司法官

安政5年(1858)1月21日、金沢市に生れる。
明治17年、司法省法学校を卒業する。同年、司法省御用掛に任官。明治19年、検事に任ぜられ、京都始審裁判所に勤める。翌年、判事に転じ、その後、福井地方裁判所長、大審院判事、大阪地方裁判所長などを歴任する。明治32年にフランス、イタリア、ベルギーの三カ国を歴訪する。
 関西大学との関わりは、明治27年から講師となり、主として民法を講じたことから始まる。最初の評議員(初めは5人)にも選ばれている。明治37年には学監となり、加太邦憲学長を補佐する。翌38年11月、第7代学長に任じたが、9カ月後、函館控訴院長に任ぜられて大阪をあとにする。
 明治39年、大審院の検事となって東京に転じ、明治40年、東京控訴院検事長となる。大正10年、司法官を辞し、貴族院議員に勅撰される。晩年は竹田宮家宮務監督に推挙され、宮務に尽力する。大正13年(1924)9月21日病気により没した。66歳