柿崎 欽吾

(1863〜1924)

専務理事 弁護士

文久3年(1863)1月12日、静岡県に生れる。 田所嘉文の長男であったが、のちに柿崎家を継承する。
 明治21年、帝国大学法科大学英法科を卒業。同年12月に大阪始審裁判所判事補を拝命する。
 明治22年から関西法律学校講師となり、国際法等を講じる。明治24年、裁判所を退官し、大阪で弁護士を開業、大阪商船などの会社顧問となる。のち、大阪府会議員および大阪市会議員に推され、大阪商業会議所特別議員にも選ばれる。
 明治42年から44年まで大阪弁護士会長を務める。本学との関係は、明治22年に講師として迎えられた時に始まり、明治33年から法人社員、監事および理事を経て大正9年、専務理事となる。大正13年(1924)12月30日、宝塚の別邸で没した。61歳