吉田 一士

(1858〜1891)

創立者 校主

安政5年(1858)10月7日、福岡県に生れる。
明治16年ころ、東京の明治義塾法律学校の監事をしている。また、東京などで馬場辰猪らとともに自由民権運動に参加している。
 その後来阪し、明治18年に日本郵船株式会社大阪支店に入社したが、明治19年には同社を退社する。同年11月、関西法律学校の創立に関与し、中心的な役割を果たし、初代校主となる。
 校主在任中に『関西法律学校講義録』(明治20年12月)、『筆授生講義録』(明治21年10月)の発行を行っている。明治22年、校主を辞任したあと郷里の福岡に帰養し、明治24年(1891)5月10日没した。32歳