山錦  善治郎

(1898〜1972)

関脇

明治31年(1898)3月17日大阪市大淀区に生れる。本名・山田善治郎。
大正3年、関西大学専門部高等商業予科に入学、大正5年、本科に進んでから、相撲部の選手として活躍。 大正6年に相撲部から大阪出身の横綱大錦のいる出羽ノ海部屋に入門。学生相撲出身の第1号力士。同年5月場所で初土俵を踏む。
 その時から師匠の大錦と本名をかみあわせて、 しこ名を“山錦”と名乗った。大正12年1月場所新入幕、大正15年1月に場所小結に昇進、昭和2年、関西場所関脇となる。その後、関脇2場所、小結7場所をつとめた。
 昭和5年、夏場所では、東前頭5枚目で横綱など3役陣を総なめにして11戦全勝で優勝。 しかし、 昭和7年、春秋園事件で相撲協会を脱退、以降関西相撲協会で活躍したが、 昭和13年頃に力士生活から引退した。その後、山錦旅館を経営、また会社役員としても活躍した。 昭和47年(1972)5月27日没した。74歳。得意わざは一気の押し。