山田  松太郎

(1898〜1962)

教授 英文学

明治31年(1898)10月31日堺市に生れる。
大倉商業学校から早稲田大学に入学。 大正8年、 同大学英文科を卒業。 直ちに、 ハーバード大学大学院に入学。 のち欧州を経て大正11年に帰国。暫時、翻訳に従事した。
 その後、大正14年、大阪高等工業学校(大阪大学の前身)の講師を勤めながら北野中学校の英語講師をも勤めた。
 昭和4年、関西大学講師に迎えられ、のち昭和11年、教授となる。昭和22年、予科長となり、 更に法人協議員に推挙された。
 この頃、学制改革による新制大学への移行に際し八鳥治一教授と共に英文学科再建に尽力。また、学生のよきアドバイザーとして厚生・就職を担う学生部の職に永く専念し、その活躍ぶりは計り知れないものがあった。
 昭和37年(1962)1月1日現職(就職部長)のまま薬石効なく没した。63歳