山口 房五郎

(1864〜1933)

推薦校友 監事 弁護士

元治元年(1864)9月19日、福井県に生れる。
明治15年、郷里の小学校の准訓導となり、2年間その職にあったが、明治17年に来阪する。小学校の教員を経て明治18年、大阪府に勤め、そのかたわら大阪法学舎に通学する。
 明治19年、関西法律学校の開校に伴い、大阪法学舎の舎生も合流する。明治22年、府を退官し、代言人をめざして渋川忠二郎(代言人、関西法律学校創立関係者)の事務所に入り、勉学に励んで同年12月、代言人試験に合格する。
翌年、奥繁三郎(推薦校友)とともに同じ事務所で開業する。明治26年、大阪弁護士会常議員に選ばれ、明治29年には同会副会長となる。明治40年に再任され、大正6年、会長に就任する。また、木原銀行などの法律顧問を兼ねる。政界にあっては明治33年に(大阪市)東区会議員となり、明治41年には大阪府会議員に当選する。大正2年から大阪市会議員となり、初めて当選した市会で即日議長に選出され、2期8年間にわたって議長を務め、大正14年まで市政の発展に尽くす。
 本学の運営に関与したのは、明治35年、江戸堀校舎新築の基金募集委員になった時からであり、その後、明治38年、社員に選ばれ、大正9年には協議員となり、大正11年から監事を務める。晩年は夏冬の休暇を碁友黒田荘次郎(関西法律学校1期生)らと旅行して盤を囲むことを唯一の楽しみとする。昭和8年(1933)2月28日没した。68歳