矢野  兼三

(1896〜1981 )

推薦校友 富山県知事

明治29年(1896)9月13日大阪市に生れる。
大正5年、専検をパス、関西大学法科在学中の大正9年、高等試験行政科に合格。大正10年、内務省社会局に入る。大正12年、京都府愛宕郡長となり、京都府知事官房主事、福井県地方課長、大阪府工場課長を歴任。
  昭和5年、警視庁工場課長。『工場災害扶助論』(三省堂)を出版する。青森県学務部長、千葉県警察部長を経て、昭和11年、警視庁官房主事、二・二六事件にあう。岡山県総務部長から、昭和13年、富山県知事に就任。昭和16年、改正文官分限令の初適用を受けて「休暇被仰付」。
 昭和17年、スマトラ西海岸州の陸軍司政長官。 それがもとで昭和23年、B級戦犯として巣鴨入りする。昭和26年までインドネシアでの虜囚生活を書いた『銃口に立つ』は、戦争裁判告発の書として『スマトラ獄中記』(国書刊行会)と改題して昭和57年に復刻された。
 昭和41年、京都・大原で俳誌『志賀』を主宰。俳号は蓬矢。句集『赤道標』などがある。昭和56年(1981)2月19没した。84歳