矢口  家治

(1891〜1973)

専務理事 関大一高初代校長

明治24年(1891)1月14日長野県に生れる。
大正6年、京都帝国大学法科大学を卒業。同年司法官試補に採用され京都地裁で修習。大正9年、判事に任官したが大正11年に退職。大正12年、文部省在外研究員として法律学研究のためドイツ、イギリス、フランス、アメリカへ留学、大正14年、帰国し高岡高等商業学校教授になる。
 民法、商法を講義し『民法大意』を著述、また同校調査、庶務、学生各課長を兼任し学校行政の経験を深めた。 昭和10年に退職し京都市で弁護士を開業。昭和12年、判事に復職し長野地裁を経て、東京地裁、東京控訴院勤務、昭和16年、退職し関西大学専務理事に就任した。
 太平洋戦争に突入して学生は戦場へ赴き、大学廃校の危機にさらされる中で存続のために尽力、終戦後は学園復興、教職員の生活維持に苦心した。昭和22年、専務理事を退任して関西甲種商業学校長兼第一中学校長に就任、 新制高校発足に努力し、昭和23年、関西大学第一高等学校の初代校長になり第一中学校長を兼務し、新制教育を軌道に乗せ昭和32年、定年退職、名誉校長の称が贈られた。
 その後京都で弁護士登録、 裁判所調停委員、阪南大学教授などを務めたが昭和48年(1973)4月22日没した。 82歳