内田 重成

(1868〜1965)

校友(関西法律学校1期生) 海軍法務局長

慶応4年(1868)1月15日、山口県に生れる。 明治18年に上阪して大阪川口の私塾英語学校に通っていたが、本校の開校により明治20年春に入学する。入学後、小倉久(本校創立者の一人)の経営する友愛館に書生として入塾する。
 明治22年、本校を卒業後(1期生)、上京して和仏法律学校(法政大学の前身)に入学し、明治23年に卒業する。同年、文官高等試験に合格し、翌年、千葉地方裁判所詰となる。弘前、栃木区裁判所判事を経て明治27年、前橋地方裁判所判事となる。
 のち海軍省に入り、海軍兵学校教官、検察官、司法局長、法務局長、法務官等を歴任する。この間、大正3年のシーメンス事件を担当し、よくこれを裁く。大正14年に退官する。
 昭和3年、貴族院議員に勅撰され、昭和21年まで務める。昭和16年から山陽電気軌道社長、下関瓦斯社長などの会社役員を務める。
 昭和30年、本学創立70周年記念式典には校友総代として祝辞を述べる。晩年は自邸に閑居し、悠々自適の生活を送る。昭和40年(1965)10月4日没した。97歳