宮島  綱男

(1884〜1965)

理事長 教授

明治17年(1884)年10月13日愛知県に生れる。
明治41年早稲田大学商科を卒業。のち同大学の在外研究員として欧州に留学、大正元年帰国。大正2年に母校の教授となったが、大正6年の早稲田騒動で退職した。その後、山岡順太郎の秘書となり、大正10年、関西大学教授に迎えられ、経済学を担当した。
 大正11年、大学昇格の1カ月前に専務理事に選ばれ、山岡総理事兼学長を補佐した。以来、内外名士の講演会、学報の創刊、専門部文科の開設などに尽力した。しかし、昭和2年、本学を辞職。翌年、国際労働会議常任顧問に任ぜられ、昭和9年まで欧州に駐在。帰国後、神戸日仏協会長、神戸仏語学校長などを歴任。また、昭和15年には国際経済研究会会長などを勤め、日仏文化交流に貢献した。
 戦後、昭和23年に再び本学に迎えられ理事長に就任、昭和27年まで勤めた。その間、大学院学舎の建設、外苑の購入、 幼稚園設置等を行った。理事長退任後も理事、評議員、顧問として、終生本学の発展に貢献した。 昭和40年(1965)3月26日没した。80歳