有田 徳一

(1836〜1896)

創立関係者 第3代校長

天保7(1836)年、旧広島藩士の家に生れる。維新の際には官軍に従って東北地方を転戦する。明治初年に沖縄県や大阪府の官吏となるが、明治5年に陸軍省九等出仕となり、同12年、工兵大尉に任じ、工兵第四方面本署大津支署長となる。ついで同方面本署第一団区長兼第二団区長に遷る。明治18年、年齢満限により退役。土居通夫、井上操と旧知の間柄にあり、関西法律学校には創立当初から深い関係を有したが、明治23年、本校に迎えられ第3代の校長となる。在任中、司法省指定認可を得、「関西法律学校規則」をはじめ、「改正事務章程」「学生規則」などを制定して校務制度の整備に尽くす。
明治27年、召集されて日清戦争に出征、翌年夏に凱旋したが、病を得て明治29年(1896)1月21日に没した。