仁保  亀松

第13代学長

1928(昭和3)年4月~1937(昭和12)年3月

慶応4年(1868)4月2日三重県に生れる。 明治26年、東京帝国大学法科を卒業。 大学院に進み研究を続ける一方、政府の法典起草補助委員として調査・研究に従事した。明治30年、法理学研究のためドイツに留学、明治33年、帰国して京都帝国大学教授に着任。 翌年法学博士の学位を受けた。大正10年には中国大陸を視察。 昭和3年、 京都大学を退官、同大学名誉教授となる。同年関西大学に迎えられ、松本学長の後任として学長に就任。以来、大学昇格以来の巨額の債務返済のため、その財政確立に努めると共に、教務内容の充実と教務組織の改革に尽くした。 一方専門部・二商の盟休事件、 文科廃止反対運動など学生紛争にも毅然たる態度の中に温情をもって対処しこれを収拾。 昭和11年には創立50周年記念式典を盛大に挙行した。スポーツにも理解が深く、本学のスポーツ黄金時代を築いた。 昭和18年(1943)9月26日没した。75歳