中谷  敬壽

第23・25代学長

23代 1962(昭和37)年8月1日~1965(昭和40)年7月31日
25代 1967(昭和42)年10月1日~1969(昭和44)年9月7日

明治33年(1900)3月5日滋賀県瀬田に生れる。 大正14年、京都帝国大学法学部法律学科を卒業。 法理学では仁保亀松教授に、憲法・行政法では佐々木惣一教授の門下であった。 のち大学院に進み、大正15年より立命館大学講師を勤めた。昭和3年仁保学長就任と同時に関西大学専任講師に着任、翌年教授となった。 昭和11年、学部学生主事、昭和14年、法文学部長などを務め、戦後は法学部長(4期)、大学院部長等を歴任した。昭和37年及び昭和42年、2期にわたって学長に選ばれた。 その間、法人評議員、日本公法学会理事、日本法哲学会理事を勤め、日本学術会議会員(第5期・第6期)に推された。更に、大阪府人事委員会委員など各種委員を長年務めるなど学内外において多大の功績を残した。 昭和45年定年退職。のち、京都産業大学教授に就任し、本学の非常勤講師をも兼ねていた。 昭和55年(1980)1月25日没した。79歳