松本  烝治

第12代学長

1925(大正14)年3月~1928(昭和3)年3月

明治10年(1877)10月14日東京に生れる。 第一高等学校を経て東京帝国大学に入学、明治33年、同大学独法科を卒業。翌年農商務省に勤め、その傍ら大学院で商法を専攻。明治36年、母校の助教授に転じ、明治38年から欧州に留学、明治42年、 帰国。翌年教授に昇進、商法・民法を講じた。 大正2年より法制局参事官を兼任。大正7年、大学を退官し、南満州鉄道副社長に就任。大正12年、山本内閣の法制局長官に任ぜられ、 大正13年、貴族院議員に勅選された。翌大正14年、帝国学士院会員に選ばれた。その後、東京で弁護士を開業し、日本電力(山岡順太郎社長)などの顧問弁護士となる。 関西大学には大正14年に学長として招かれ、昭和3年まで勤めた。また中央、 法政大学の教授も兼ねた。昭和9年から斎藤内閣の商工大臣を務め、多くの立法に関与し、特に昭和13年の会社法改正に尽力した。戦後、幤原内閣の国務大臣として新しい憲法制定に係わる調査会の責任者となった。 昭和29年(1954)10月8日没した。 76歳