加太 邦憲

第5代校長 第6代学長 司法官

5 1898(明治31)年9月~1904(明治37)年12月
6 1905(明治38)年1月~11月

嘉永2年(1849)5月19日、三重県に生れる。 明治3年、桑名藩の貢進生として大学南校に入る。明治5年、司法省法学校に転じ、明治9年、同校第1期生として卒業。同校の助教となるとともに、ボアソナード起草の民法草案等の訳出に努める。 明治15年、法学校副長、明治17年、校長心得となり、翌年、東京大学初代法学部長となる。明治19年、判事に任ぜられ、司法事務取調等のため、一瀬勇三郎(本校第4代校長)らとともに欧州へ留学。明治23年に帰国したのち、大津、京都、東京地方裁判所長を歴任。 明治31年、北畠治房の後任として大阪控訴院長に勅任される。本校との関係はこの時から始まる。同年、本校校長に推挙され、以後、約8年間にわたって江戸堀校舎の新築、社団法人の設立、専門学校令による「私立関西大学」昇格等の業績を挙げる。明治38年、病に倒れて学長を辞任。明治43年、貴族院議員に勅撰され、明治44年に退官する。明治45年、維新史料編纂委員、大正8年、臨時法制審議会委員に任ぜられる。昭和4年(1929)12月4日、東京で没した。80歳