古荘 一雄

第8代学長 司法官

1906(明治39)年7月~1913(大正2)年5月

嘉永元年(1848)4月21日、熊本県鹿本町に生れる。 明治2年、藩命により東京に遊学し、法律を学ぶ。明治9年、司法省に出仕。明治13年、権少書記官を経て翌年、判事となり、神戸始審裁判所詰を命ぜられる。明治19年、山口始審裁判所長に転出、明治23年、広島始審裁判所に転じ、明治25年、東京地方裁判所長。明治29年、宮城控訴院検事長に補され、明治31年、函館控訴院長となる。 その後、明治35年に宮城控訴院長、さらに明治38年、大阪控訴院長に任ぜられる。大阪在任中の明治39年、関西大学学長に就任し、大正2年に大阪控訴院長を退官して、同時に学長を退任するまでの間、専門部商業学科の開設や学舎の拡張、学友会の結成など、本学の発展に尽くす(学長退任後も評議員として本学の成長を見守る)。昭和6年(1931)3月24日京都市岡崎で没した。82歳