収蔵資料

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 明治19年(1886)11月4日、大阪西区京町堀の願宗寺で創立した関西法律学校は翌年、天満の興正寺へ移転し、学生の数も順調に増加していった。ただ、学校関係者の願いは、間借りの校舎ではなく、1日も早く自前の校舎を持つことであった。しかし、それは容易なことではなく、その夢が実現するまでには、興正寺移転からでも16年の年月を要した。
 待望の新校舎は、明治36年(1903)11月30日、大阪市西区江戸堀北通1丁目37番地に完成した。敷地164坪、建坪120坪の洋式木造2階建て本館と、平屋8坪の付属校舎からなっていた。ランプの薄明かりに頼るのではなく、まばゆいばかりに電灯が光り輝く教室で授業が始まった。またこのとき、企業から譲り受けた電話(西1094番)も初めて架設された。