千里山キャンパスには、創立者や学長、理事長など、
関西大学を築いた先人たちの彫像のほか、関西大学の歴史にまつわる記念碑があります。
このページでは、それらの彫像や石碑をエピソードとともにご紹介します。

「久井忠雄先生」像

久井忠雄先生は、1963(昭和38)年から1991(平成3)年まで28年にわたって関西大学の理事長を務めました。
専務理事在職期間(11年)をあわせると39年に及び、戦後の本学が発展・拡充していく中心的立場にありました。
胸像は、100周年記念会館の正面左手に建てられ、1993(平成5)年に除幕されました。

「和」の像

1969(昭和44)年の大学紛争で荒廃した学内に、人の「和」の大切さを再認識してほしいという願いを込め、翌1970(昭和45)年、事務職員有志の醵金により、関西大学会館前のロータリー植栽の中に建てられました。「和」の文字が抽象的なタッチでまとめられています。

「豫科青春の像」

大学予科は、旧制の学制のもとに存在した3年制の学校で、現在の大学における共通教養教育に相当する講義を行っていました。白線二条の丸帽をかぶり、詰襟学生服に黒マント、高下駄を履いて闊歩する学生たちは、バンカラの気風を色濃く漂わせていました。1990(平成2)年、「嵐劈く鳳の 翼休めし自治の山 こゝに 關大豫科ありき」と学生歌の一節を刻んだ碑文とともに、予科生を象徴する青年像が第2学舎1号館前に建立されました。

「山岡順太郎先生」像

総合図書館に向き合う形で第2学舎1号館前の植え込みの中に建っています。山岡順太郎先生は、関西大学が大学令に基づき、1922(大正11)年に大学(旧制)へ昇格した時の総理事で、「学の実化(じつげ)」という学是を提唱した関西大学中興の祖です。
胸像は戦前からありましたが、戦時中に供出され、現在建っているのは1965(昭和40)年に関西大学創立80周年を記念して再建されたものです。

「友」の像

総合図書館正面階段の右手に建つこの像は、文化勲章受章彫刻家朝倉文夫が制作したもので、1955(昭和30)年秋の日展に出品されました。若々しい気迫と叡智に満ちた青年二人の等身大立像は、友情のさわやかさを表現しています。1956(昭和31)年、第1学舎の前庭に建立、除幕されましたが、その後、誠之館1号館の東側へ移され、さらに総合図書館の完成に伴って現在の場所へ移設されました。

「記念碑」

総合図書館から尚文館にかけてのエリアは、かつて400mの陸上トラックが走る大運動場で、オリンピック選手をはじめとする数多くのアスリートを輩出しました。しかし、南側半分が総合図書館となり、北側にも尚文館が建設され、大きく景観が変わりました。記念碑は栄光の大運動場を偲ぶため、総合図書館が開館した1985(昭和60)年に建立されました。総合図書館正面階段左手にある「記念碑」の右側には、1932(昭和7)年のロサンゼルス五輪・三段跳びで銅メダリストとなった大島鎌吉氏の自庭に植えられていた月桂樹が1989(平成元)年に移植され、その解説碑も設置されています。

「児島惟謙先生」像

児島惟謙先生は、関西大学創立者12人の中でも指導的立場にあった人物です。この胸像は、関西大学創立80周年を記念して校友から寄贈されたもので、制作は今村久兵衛、原型の彫塑は長男の輝久(行動美術協会会員)が行いました。1965(昭和40)年、第1学舎前庭(現・簡文館前)に設置、除幕されました。

「岩崎卯一先生」像

岩崎卯一先生は、関西大学に在職すること39年に及び、その間、三期にわたって学長を務め、新制大学院の設置をはじめとして、本学の教育や研究の振興に大いに寄与しました。没後、大学に寄贈された邸宅の土地売却によって得られた資金が大学院(岩崎記念館)建築費用の一部に充当され、こうした先生の遺徳を偲び、1976(昭和51)年、岩崎記念館の前に胸像が建立されました。

「泊園書院址」記念碑

泊園書院は、江戸時代後期に大阪で開設された漢学塾で、幕末から昭和にかけて隆盛を極め、大阪の教育や文化の発展に大きく貢献しました。この碑は、大阪市竹屋町(現・島之内1丁目)にあった書院の跡地に、末裔である藤澤桓夫氏が建てたもので、2010(平成22)年に関西大学(以文館北側)へ移置されました。現在は、本学における中国学・東洋学の源を偲ぶよすがとなっています。

「児島惟謙先生」像

児島惟謙先生は、関西大学創立者12人の中でも指導的立場にあった人物です。この胸像は、関西大学創立80周年を記念して校友から寄贈されたもので、制作は今村久兵衛、原型の彫塑は長男の輝久(行動美術協会会員)が行いました。1965(昭和40)年、第1学舎前庭(現・簡文館前)に設置、除幕されました。

「三百年後関西大学擴充発展資金之碑」

簡文館の南側に建っています。関西法律学校第1回卒業生で、本学第1号の博士号を受けた武田宣英氏が、関西大学創立50周年のときに寄付した3000円を記念して1940(昭和15)年に建立された記念碑です。3000円を300年間信託預金して利殖すれば1億円になるという計画でした。戦後の激しいインフレーションで価値を減じたものの、その厚志は今も石碑に伝えられています。

「関西法律学校発祥の地」顕彰碑

この「関西法律学校発祥の地」顕彰碑は、もともと1974(昭和49)年に大阪市が史跡顕彰碑として大阪市西区京町堀の願宗寺跡地に建てたものです。
しかし、長年の経年劣化により傷みが目立つようになったため、2016(平成28)年に新たな顕彰碑が跡地近くの公園内に設置され直しました。そこで、この顕彰碑は、関西大学創立の時代に想いをはせるきっかけとなるよう同年、千里山キャンパスの簡文館前に移設されました。

「三百年後関西大学擴充発展資金之碑」

簡文館の南側に建っています。関西法律学校第1回卒業生で、本学第1号の博士号を受けた武田宣英氏が、関西大学創立50周年のときに寄付した3000円を記念して1940(昭和15)年に建立された記念碑です。3000円を300年間信託預金して利殖すれば1億円になるという計画でした。戦後の激しいインフレーションで価値を減じたものの、その厚志は今も石碑に伝えられています。