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第4回マイノリティセミナー

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第4回マイノリティ・セミナー

「アイヌと北方領土問題」

日時)1月24日(土)13:00-14:30

場所)関西大学児島惟謙館1階会議室

報告者)ブフ・アレクサンダー(筑波大学大学院准教授)

司会)斎藤民徒(金城学院大学准教授)

【紹介】ブフ・アレクサンダー(Bukh, Alexander)

筑波大学大学院准教授。ロシアに生まれ、のちにイスラエルに移住。タイやドイツにも居住した経験を持つ。西南学院大学を卒業し、東京大学大学院で国際法を専攻した後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで国際関係学博士号取得。近くJapan's National Identity and Foreign Policy: Russia as Japan's 'Other'を公刊する。ロシア語・ヘブライ語・英語・韓国語・タイ語・ドイツ語・日本語など多数の言語に堪能。

私は日ロ関係への関心を通じて、日本のアイデンティティーという問題に興味を持つようになり、なかでも、北方領土をめぐる言説におけるアイヌの位置づけについて専門的な研究を行ってきた。国後・択捉島や千島列島などが、古来はおもにアイヌ居住地域であり、近世・近代における日本の領土的拡張によって「日本」の版図に組み込まれていったことは周知の事実である。明治期の言説においては、かかる領土的拡大は、台湾・朝鮮半島・満州その他の「植民地」拡大の一環として理解されている。その意味では、北方領土は、歴史的には、近代日本の最初期において獲得された植民地の一部分とみなすほうが自然であろう。ところが、戦後の北方領土をめぐる日本の議論においては、北方領土はあくまでも「固有の領土」とされてきた。私の関心は、そのような「固有の領土」という言説がなぜ生まれてきたのか、そこにおいてアイヌはどのように位置づけられているか、ということに向けられている。

北方領土問題に関する従来の研究は、国際政治学にしても、外交史にしても、そこを生活領域としていたアイヌへの視座を欠いている。そのような欠落を埋め、ともすれば外交関係に還元されてしまいがちな北方領土問題・日ロ関係に先住民たるアイヌの存在を取り込んでゆく必要がある。この報告は、その試みの一環である。

日本における北方領土問題に関する議論のなかでアイヌが論じられるようになるのは、1970年代になってからである。その背景としては、ベトナム戦争が政治問題化するなかで、「アジア」への関心が高まり、日本人が日本の内部にアイヌという「アジア」を再発見していったこと、左翼過激派による「アイヌ解放」論や、それを名目としたテロ事件の発生、全体的な社会運動の活性化、先住民による政治的運動の世界的な高揚などがあげられるだろう。

そのような文脈において、革新派は、アイヌ居住地域の植民地化の歴史を強調し、日本の保守派を批判する材料とした。すなわち、保守派の前提とする「単一民族国家」像に対して、少数民族たるアイヌをその反証として掲げ、保守派の資本主義・経済成長路線に抗して、先住民たるアイヌの「自然との共生」を称揚したのである。

保守派も、アイヌを論じているが、当然、その方向は異なる。彼らは、人類学・言語学・歴史学等を援用して、アイヌ・和人同祖論を展開した。その結果、保守派においては、日本文化の源流・原型としてアイヌ文化が評価されることとなった。

この時期のアイヌ自身による議論は、革新派の反植民地主義的な立場と共通するところが多い。北方領土を日本による侵略のシンボルとして用いるアイヌ活動家も一部には見受けられる。とはいえ、ウタリ協会のような大きなアイヌ人団体の北方領土に対する立場は曖昧であった。彼らは、日本政府の政治的立場と決定的に対立することを回避しようとする一方で、北方領土を「日本固有」の領土と見なすことには抵抗感を持っていたからである。このようなアイヌの議論は、日本における北方四島「固有領土」の論理を覆す可能性を持っていたけれども、その国内的な影響力は限定的なものにとどまった。

1970年代には、デタントの終焉と日ソ関係の悪化を背景に、日本において「ロシア論」が盛んに議論されるようになる。「国民的作家」であり、多くの日本人の歴史観に影響を与えてきた司馬遼太郎もまた、ロシアと日本の関係について論じている。司馬が強調するのは、アジアの「北方」に領土を拡大してきたロシアの好戦的で野蛮な民族性であり、それに対する日本の平和的で合理的な民族性である。そこでは、ロシアのシベリア侵略について強い関心が向けられる一方で、日本の北方への領土拡大の犠牲となったアイヌへの言及はわずかしかない。司馬は、ロシアの北方アジア侵略への対照として日本人とアイヌの商業的・友好的関係に言及し、さらに、アイヌ和人同祖論を採って、日本によるアイヌ居住地域の植民地化を「兄弟げんか」にすぎないものとみなす。

ロシアの「北方」領土拡大をテーマとして日ロ関係や日ロの民族を論じているにもかかわらず、アイヌに関する実質的な叙述を欠落させている司馬の著作は、日ロ関係論におけるアイヌの不在を象徴している。

2008年の国会決議によりアイヌは、日本において、先住民族として公認された。このようなアイヌの公認は、「北方領土」とも無関係ではないはずである。「北方四島」を生活領域としてきたアイヌの視点から見るなら、日本とロシアの「北方領土」に対するかかわり方には、本質的な相違はない。すなわち、いずれも、領土的拡張の一環として、アイヌの生活領域を植民地化し、支配を確立していった植民地大国である。このようにみれば、日本の「固有の領土」主張は相対化されざるをえないし、そうすればロシアとのあいだの妥協もまた可能になるであろう。

【討議】
ブフ准教授の報告については、公開のマイノリティ・セミナーのみならず、午前中に始まる国際関係班の研究会やセミナー後の懇談会においても、さまざまな観点から議論が行われた。議論の焦点は、おおむね以下のようなものに集約できるだろう。


①「北方領土」という国家間の問題のなかにアイヌという先住民への視点を取り込むことによって、二国間の紛争が相対化され緩和される可能性があることは分かるとしても、逆に、差別されてきた少数者としての「アイヌ問題」は、それが国家の領土的主張と関連づけられることによって、いかなる影響を受けるのか。


②1980年代後半になって、アイヌの自治や独立についての議論が活発になったのはなぜか。先住民に対する国際的な関心の高まりとの関係をどのように理解すべきか。琉球・沖縄の自治・独立論との類似性はあるか。


③1970年代には、マイノリティとしてのアイヌの差別問題は、小学校教育も含めた国民教育の領域でも重視されていたと思われる。いわゆる知識人の言説だけではなく、「庶民的」なアイヌ・イメージについてはどのように理解すべきか。


④アイヌの独立論などの反植民地主義的言説は、冷戦下においては、ソ連共産党の民族理論・政策とは無関係ではありえなかったと考えられるが、ソ連を交渉相手とする「北方領土問題」に関して、反植民地主義的な主張を行うことは、冷戦下では、いまよりはるかに「危険」な思想とみなされたのではないか。冷戦がアイヌ問題に与えた影響は、どのようなものであるか。


⑤アイヌという少数民族の存在は、古くから指摘されてきたにもかかわらず、最近になってようやく、アイヌが公式に「先住民」として日本政府によって認められたのはなぜか。

(西平等)

 


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