
過去の公開講座一覧
◇2001年度公開講座
第25回公開講座
同時に、この同和対策事業が被差別部落大衆にどのような成果をもたらし、どのような 課題を積み残しているかが問われている。私にはその問いに応えるべく、行政・市民・運動団体相互の協力による総括活動が緊急の課題であるように思える。それは被差別当事者である私達自身による現況(差別実態)を真摯に見つめ腑分けする課題でもある。 とりわけ、1969年以前の被差別状況に比べるなら今日その状況は大きく改善されており、残された部落差別問題にたいする被差別部落大衆自身による主体的・能動的な取り組みの重要性は一段と高まっている。にもかかわらず、自体は「特別措置法」下の同和対策事業の恩恵によりかかったまま、そのようにはいまだ取り組めていない。そればかりでなく、差別・被差別のニ項対立思考を固定化した啓発・教育事業から抜け出してもいない。 全国同和教育研究大会メインスローガン「部落差別の現実に学ぶ‥・」を引き出すまでもなく、<部落差別の現実>把握は部落差別問題解決にとって最も重要な課題である。ただ、<部落差別の現実>は長年におよぶ部落解放運動の展開と同和教育・行政の実施それに人々の努力等によって大きく改善されている。ところが、多くの教育・啓発実践では、現在もなお十年一日のごとく<部落差別の現実>の厳しさのみが強調され、あたかも変化がないような取り組みが続けられている。だが、これらの実践は部落差別問題の解決にとって主観的意図とは裏腹に大きなブレーキの役割を果たしてはいないだろうか。被差別部落大衆の自立を阻害することになってはいないだろうか。 私が「今日における部落差別とは何か」にこだわり続けるのも先に指摘した誤りを克服したいがためなのである。 |
第26回公開講座
しかしながら、韓国の人々は日本語が抱え持つ文化に対して素朴な魅力を感じることに抵抗感をおぼえ、ただ"手段として有用な"言語として日本語を認識するという傾向を示している。こうした日本語観が形成された歴史的背景には、植民地時代の苦々しい言語経験が潜んでいる。 かつて、朝鮮における植民地言語政策は「国語」として日本語を用いることを強制し、植民地時代末期には朝鮮民族を「皇国臣民化」しながらイデオロギー支配を行う政策のもとで、「国語常用」を強く求めるようになっていた。このために、2名の獄死者まで出した「朝鮮語学会事件」を捏造して朝鮮語研究者にさえ弾圧を加えるという、露骨な暴力行使をも躊躇しなかった。こうした統治政策のもとで朝鮮民族は日・朝ニ重言語生活を営み、朝鮮語は日本語から多くの言語的影響(言語干渉)を受けることとなった。 解放後、朝鮮民族は日本語の影響を払拭する言語純化政策を展開した。その急先鋒であった崔鉉培(チェヒョンベ)は、日本語から受けた言語干渉を「日本人が私たちの心の畑に無理やり植え付けた奴隷の種」だと断罪しながら朝鮮語の民族的純化を図った。しかし、その試みが容易には遂行し得ないほど、日本語からの言語干渉は根深いものだった。このことも影響して、近代朝鮮語形成過程における日本語からの影響をトータルに把握することは回避され、日本語から流入した音借語に言語醇化のターゲットを絞ることによって「倭色(日本色)」排斥の大衆啓蒙が図られた。実は、これらの音借語の多くは俗語・卑語的な意味用法を持つものだった。こうして、日本語はこざかしくて野卑なニュアンスを漂わせることばだという否定的イメージが韓国社会に定着した。そして、植民地時代の屈辱的な言語経験と相俟って、ツールとしてのみ評価される今日の日本語観が形成されることとなった。 いま、朝鮮に対する植民地支配は正当なものであったと臆面もなく主張する人々によって執筆された歴史教科書が、「歴史的事実の記載に問題がない」として検定を通過する不安な時代にある。この講座では韓国人の植民地言語経験と日本語観について考察しながら、朝鮮民族が受けた民族的侮蔑と心の傷を言語の側面から謙虚に理解できる契機になればと思う。 |
国際シンポジウム (公開講座)
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第27回公開講座
日頃、高齢・障害者対応の住居計画を主要な研究テーマにしている私にとって、人権保障ということに対する深い理解が必要であると思っていた。この機会に、あらためて、人権保障という視点で住居計画を考えてみたいと思っている。 |
第28回公開講座
そして、共生とは、多様な個々人の生き方を尊重し合うことです。それは、自分は好きなように生きるから、あなたも好きなように生きなさいということではありません。尊重し合うという以上、他者のことをよく知るということが前提となります。他者をよく知っているからこそ、尊重できるのであり、その他者の権利が侵害されたときには、他者に手をさしのべることができるのです。同時に、自分の権利が侵害されたときには、尊重し合っている他者からの援助もあるのです。 みずからのセクシュアリティについて考え、他者のセクシュアリティについて考えをめぐらせること、それは自分らしく生きる<自立>と、多様な個々人の生き方を尊重する<共生>の出発点といえます。他者との新たな関係をどのように取り結んでいくのか、これは人権教育の大きなテーマです。しかし、多くの学生にとって、これまでの人権教育は、必ずしも魅力的なものではなく、できれば避けたいものと感じられてきたようです。学生にとって非常に身近な問題であるセクシュアリティ論を、その人権教育の<入り口>に置くことで、こうした膠着した状況を切り開いていけるのではないかと思います。学生たちが自分の生き方について考え、他者との関係をどう取り結んでいくのかを考えるきっかけとして、セクシュアリティ論を大学における人権教育の<入り口>に置くことの意味は大きいと考えます。 参考資料 |
◇2002年度公開講座
第29回公開講座
そのために、今回は主として次の三つの論点を取り上げ、検討の材料としたい。 一つは、日本の京都をフィールドとする近世から近代への移行期の研究について、これまでの歴史学研究における到達点と今後の課題を提示すること。ここでは、従来の近世京都研究の成果の中から主要なものを取り上げ、若干の論点整理をおこなうことにしたい。 二つ目には、その解明の鍵として町や町組などといった地域住民組織の変化に着目し、その近世から近代にかけての変容について具体的に検討すること。とくに、近世社会史と近代社会史のズレを意識しながら、お互いの関係を明らかにすることに意を注ぎたい。その際、これまで実態がほとんど明らかにされていなかった「難渋町」という地域についても触れてみたい。 第三に、そうした問題意識から近代的住民組織としての「衛生組合」結成の歴史的意義について考えてみたい。ひいては、京都に固有の地域住民組織である「公同組合」結成の歴史的意義についても検討したい。 そうした論点を提示することによって、近年の「衛生」をめぐるさまざまな議論や近代化にともなう社会的差別の再編成などといった課題が、日本の近代社会を解く鍵としてどのような位置を占めるかについて改めて考えてみたい。 参考資料:小林丈広著 近代日本と公衆衛生 ―― 都市社会史の試み ―― 雄山閣出版 内 容:防疫行政に潜む差別を追うコレラが日本の 「防疫行政」 を変え、「地域差別」 を変えた文政5年に日本に上陸したコレラ。以後のコレラ防疫行政の展開過程を追うとともに、コレラ防疫を契機とした近代の地域差別の内容を探り、社会的差別のメカニズムを解明する。 参考資料 |
第30回公開講座
一方、小学校に就学する前の障害乳幼児の発達支援の一環である、通園療育施設においては、従来は視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、知的障害等々、障害種別ごとの通園療育施設が設置されていた。近年、利用者の側にたったサービスを提供していくため、障害種別を限定せず各施設が連携し、より生活の場に結びついた地域福祉を展開していく方向が検討されおり、障害種別を越え、医療との統合機能も有する 「発達支援センター」 が設立されるようになった。 これらの療育の対象児の中には、乳幼児健康診査体制の充実により、早期の段階で障害が発見され、療育施設への通園を行っているこども達が多い。一方、従来なら命を落としていたかも知れない乳児達が、昨今の医療技術の進歩により、救命されるようになってはいるが、中には重度の脳障害を残したこども達もいる。これら重症障害児の場合、「生きる」ことそのものへのリスクを常に抱えながら、医療や療育訓練を受けている。 この就学前という段階は保護者や家族にとって、障害児の通園や通院を通して、就学や成人した時の進路など、今後の様々な課題に向き合っていく出発点をも意味する。 こども達に今なにが必要か、障害児と共に家族はどう生きていくか、保育所や幼稚園入園を機会として、社会参加していくために何が必要か、医療や教育との向き合いをどうしていくのか等々、施設現場での実例を通して、共に考えていきたい。 参考資料 |
第31回公開講座
しかしキリスト教徒と結婚しているユダヤ人、およびそうした婚姻による子供たち(14歳以上は強制労働者)はその他のユダヤ人とは区別され、すぐには強制収容所送りとはならず、ベルリンでの収容先も別にされた。彼らの多くはこのバラ通りの旧ユダヤ人社会福祉事務所の建物に収容された。夫や子供がここに収容されたと聞いた親族たちはこのバラ通りに集まった。男性の多くは戦地に行っており、集まったのはおもに女性たちであった。3月1日から連日、涙が凍りつくほどの厳寒のなか、ナチスの機関銃による脅しにも屈せず、女性たちは早朝から深夜までこの通りに立ち、叫んだ「夫を返せ、子供を返せ、父を返せ」と。この自然発生的な非暴カの抗議行動にナチスの軍政も屈し、ついに3月6日以後、ここに収容されたユダヤ人を全員釈放したのである。現在ここには記念の群像が建っている。その記念碑にはこう刻まれている。「市民の不服従の力、そして愛の力は独裁政治の暴力をもうち破る。」 ベルリンのユダヤ人の歴史的状況とナチスのユダヤ政策を紹介し、その中でこのバラ通りの女性たちの抗議行動を取り上げる予定である。 参考資料1 参考資料2 |
第32回公開講座
学校は世の中で比較的男女平等である所と思われているが、一面ではやはり不平等を再生産している場所でもある。教育における性差別の例として様々なことが論じられてきた。出席簿でなぜ男が先なのか、これでは男が先というのが「世の常識」と刷りこまれてしまうではないか、という批判から議論がはじまったことも多い。 しかし、名簿の問題などは議論の契機に過ぎない。より直接的で重要なことは、教師や生徒、児童の日常的な関係のあり方、そして教育内容そのものに関してであろう。教育における性差別では制度的なものは少ない。学校での日常生活において知らず知らずのうちに刷り込まれることは多く「隠れたカリキユラム」の問題といわれる。 教科書の内容については、'91年に出た『教科書の中の男女差別』(伊東良徳他、明石書店)が画期的なものであった。日本弁護士連合会女性の権利に関する委員会に属していた伊東氏ら四氏は、例えば国語教科書に出る作品の「主人公」の性別を数えるという単純といえば単純な方法によって、教科書が男中心社会を露骨に反映していることを鮮やかに示した。1989年用小学校国語教科書(市場占拠率上位の五種)の物語文では男性主人公が72.9%であった。 伊東氏らの本が出て十数年経過したが、今でも教科書の中の性差別を論じる人の多くはこの本からの引用によって例証している。しかし、その後教科書は変わらなかったのであろか。これは調べる必要がある。近年、私のゼミの学生数人が卒業論文として取り組んだ。結論を簡単にいえば、意外なほど変わっていない。'99年の小学校国語では物語主人公の男性比率77.6%とかえって上昇している。(とはいえ、編集者の配慮がうかがえる部分もない訳ではない。) なぜこうなるのであろうか。教科書は現実を反映せざるを得ない。また、主人公の数が半々であったり、男女のステレオタイプが全く登場しなければいいというものでもあるまい。現実も、子どもたちの「生き方選択肢を豊かにする」教科書はできないものであろうか。そもそも教科書の役割は現状でいいのであろうか。そういうことを考えてみたい。 |
◇2003年度公開講座
第33回公開講座
本報告では、従来の政治的起源説を批判する中で、新たに登場してきた習俗的差別論の検討を通じて、部落の歴史を学ぶ際の視点を明確にしたい。 峯岸賢太郎氏によれば、身分とは、「生産力・社会的分業の未発展に規定された世襲的・生得的地位であって自然発生的なものであり、政治的作為物ではない」ということである。 氏は、近世の被差別身分の差別について、穢観念と種姓観念に支えられた別火、別器、別婚、別居所というような憤習的に形成・維持されてきた習俗的差別―慣習法―である、と述べられている(『部落問題の歴史と国民融合』)。 はたして、近世の被差別身分は、自然発生的なものであるという見方は妥当であろうか。まず、この点について検討を加えたい。 近畿地方のある部落の入会慣行(草山に入り、柴草など―田畑の肥料・牛馬の飼料となる―を刈り取ることのできる権利の行使)を紹介し、具体的に慣習法がどのようなものであるか明らかにしたい。 ここでは、住民の自治的結束の土台となる入会慣行と権力の分断政策が問題となる。 本村から入会山への立ち入りを実カで阻止された当該の村は、訴状のなかで、太閤検地帳においては、本村と当該の村は、検地帳が一本であった―本来はーつの村であった―と述べている。その後、領主により、本村から分離させられたことにより、入会山でも差別を受けるようになった、と述べている。むしろ、権力による分村などの身分差別政策が、民衆の差別行動を触発していると考えるべきである。 また、この村には中世末期から浄土真宗の道場があった。本村とー体であった頃の当村―自治的村落―は、信仰を同じくする人びとの集団でもあった。豊臣・織田政権が戦国期の動乱―ー向ー揆を中心とする民衆の運動―を粛清する中で、民衆の広範な自治的結束に楔が打ち込まれ、役人村(警察・行刑の役負担)、部落寺院制度、分村などの権力による身分差別政策により、徐々に民衆に差別思想が浸透するのである。そのような中にあって、この村の人びとが、今日の大阪北部・京都近郷の仲間とともに、役負担拒否の運動―身分解放運動―を闘ったことに注目すべきである。 |
第34回公開講座
多言語・多文化状況が政策的に進められているヨーロッパ連合(EU)では、統合の基本理念で「言語・文化の多様性の維持」が謳われ、公用語を11言語として発足、2004年の中東欧の加盟後は20言語に増大する予定である。通訳・翻訳にかかる費用は膨大てあるが「民主主義のコト」としてEU市民に受け入れられている。このような多言語状況の出現に対し、1995年EUの教育白書は「EU市民は母語以外2言語を学習すべきである」という「3言語主義」の原則を明示し外国語学習の重要性を主張、2001年を「ヨーロッパ言語年」として学校・社会での外国語学習促進のための各種プランを発表・実施した。同開会式典でドイツの科学大臣ブルマ一ンは「強カなヨーロッパは経済力のみによって立つのではなく、言語と文化の多様性を守るところから生じる」とし、多言語・多文化社会における共存能力と、国境を越え勉学,企業研修、就職する能カの開発が、欧州市民の基本的課題であることを強調した。現在加盟国の文部省は、学校での複数外国語の教青方法を種々に工夫している。なかでも徴的なのはドイツの「バイリンガル教育」や「∃一ロッパ言語ポートフォリオ」の開発・活用である。EU統合で新しい展開を見せるドイツの「異文化埋解のためのコンテンツ重視の外国語学習」を具体的に講じる予定である。 |
第35回公開講座
以前行われた、厚労省の知的障害者実態調査によると、知的障害者の地域活動への参加度「参加なし、ほとんどなし」が72.3%を占めていた。障害児を持つ家庭にとっては未解決の問題や不安が多々ある。障害児者が地域社会とともに暮らしていくという理念の実現には、地域社会の一員である私達からの理解と歩み寄りが不可欠であることは周知のとおりである。 発達障害は、妊娠中および出生後の脳の発達が何らかの原因で停止または遅滞し、暦年齢に相当する発達に比べて有意に低い状態であり、小児期にみられる神経疾患の多くはこの範疇に入る。妊娠中および出生後の発達が顕著な時期に障害が発生することが多く、その障害時期により各々特徴的な臨床表出を示すといわれている。発達障害にはその障害となる様相や状態に応じて、脳性麻痺のほか、知的障害、広汎性発達障害、注意欠陥多動性障害、学習障害などに分類され、それぞれの持つ固有の状態に応じて、療育訓練、教育、社会参加を支援するための設備や環境、コミュニケーション上の留意点がある。 全てのこどもたちはいろいろな可能性や個性をもって生まれてくる。障害もこの個性の一つと捉え理解し、問題や短所を直すという見地だけではなく、彼らの持っている長所を理解し、共に社会に生きる一員として我々も歩み寄る方法を考えていきたい。 |
第36回公開講座
いま、企業の社会的責任を問う意識が強くなっています。これが企業評価と云うことですが、企業を評価する大きな基準の一つに、「女性やマイノリティにとって働きやすい労働環境であること」というのがあります。これは企業の内部資源としての「女性」を活かす採用をし、能力を十分発揮させているかが問われているのです。1999年の改正均等法以降、募集・採用から昇進・昇格、教育訓練、福利厚生のすべての労働条件において女性差別が禁止規定になり、差別の撤廃をすすめるためにポジティブアクション(積極的差別是正措置)を実施するよう求められています。ポジティブアクションを企業の中で、女性の採用において、昇進において、どんな対応策が実行されているのでしょうか。 そんななかで、企業に入る直前の4年生女子学生は、就職活動からなにをみたのか。面接までいった企業をABCDの4ランクで、理由を付けて評価してもらったのが今回の報告書の内容です。今年・来年の女子学生の就職活動に最も貴車なデーターを提供することにもなるでしよう。また厳しい世相を見つめる有効な手段ともなるでしょう。少し予告編を示しましょう。 ●業界別にみるとAランクが多かったのは、メーカーの方でした。 @銀行 24% A保険 33% Bその他金融 27% Cマスコミ 24% D流通・小売・商社 21% E食品メーカー 41% F電気メーカー 47% Gその他メーカー 34% H教育 30% Iサービス・旅行 33% J運輸 38% K建設住宅メーカー不動 17% L情報・通信・関連ソフト 27% Mその他 39% ●面接の場で感じたこと ・セミナー・会社説明会・面接で活躍する女性の姿を多く見かけた。職種別での男女差別は全く感じず、個人を評価しようとしていた。実際、オフィスでもいきいきと働く姿をみた。(オリックス) ・女性の採用に積極的。女性の立場を営業だけでなく、職場の雰囲気からでもよい立場であると感じた。(JCB) 参考図書: 金谷千慧子著 企業を変える女性のキャリア・マネージメント 中央大学出版部 内容:企業経営者と女性のためのキャリアアップ |
◇2004年度公開講座
第37回公開講座
特別措置法下の同和対策事業の33年間は、部落解放運動とともに最終的には<人と人との関係性>を変えることを部落差別問題の解決として取り組んできた。だが、同和対策事業は<人と人との関係性>を直接解決することはできず、長年その解決を阻んできた被差別部落を取り巻く劣悪な物的条件(住環境・仕事保障・教育保障等)の改善に力を注いできた。 それ故、法終結後の今日、同和対策事業の実施によって解決の可能性が大きく見えてきた<人と人との関係性>を変える活動において部落解放運動・被差別部落住民が主体的な役割を今まで以上に担うときがきた、と私は考えている。もちろん、行政当局や人々の課題や役割がなくなったわけではないが。 いうまでもなく、全国水平杜創立宣言に明記された「穢多であることを誇りえるときがきた」は被差別部落住民による顕在化宣言でもあった。さらに「部落差別の現実から学ぶ」をメインスローガンに掲げ続けてきた全国人権・同和教育研究協議会も部落差別を顕在化する(知らしめる)ことでその解決をめざしてきた。 <人と人との関係性>を変える前提として、被差別部落住民によるカムアウトの必要性を私も提起してきた。もちろん、カムアウトは強制されるべきものではない。がしかし、<関係性>を変える第一歩である自由で忌憚のないコミュニケ一ションが決して匿名であってはならないことも事実である。 同時に、カムアウトは今日の部落差別問題にとって避けることができない『「隠蔽」と「暴露」の共犯関係』を解決する不可欠な行為にも通ずるに違いないと私は考えている。 参考資料1 参考資料2 参考資料3 |
第38回公開講座
フォルスターは生まれや育ち方からしてすでに国際人であった。当時プロイセンの領土であったナッセンフーベン(現在はポーランド)で生まれ、10歳で父とともに、ロシアのヴォルガ川流域の調査旅行に出て、その後イギリスで商店の見習いになり、17歳のときにクック船長の第2回世界探検旅行に参加した。タヒチなど南太平洋の多くの島を調査し、この3年間にわたる旅行の状況を、1777年に『世界周航記』として出版すると、旅行記作家、博物学の研究者として有名となった。 24歳でカッセル(ドイツ)の専門学校の博物学教授、29歳でヴィルナ大学(ポーランド)の教授となった。1788年マインツ大学(ドイツ)の図書館司書となり、90年には若いアレクサンダー.フォン・フンボルトとライン下流地域を旅行し、彼に多くの感化を与えた。フランス革命の精神に共鳴し、マインツのジャコバン・クラブの中心メンバーとして活動し、その代表者としてパリヘ行き、ロベスピエールの恐怖政治の中で、94年、短い生涯を終えた。 今回は、フォルスタ一の生涯を紹介し、論文『人種論を再考する』を中心にしながら、クック船長との世界旅行のとき、ヨーロッパ人のフォルスターが、どのような態度で、現地の人々を観察したのか、フランス革命後、独仏が対立関係にあったとき、フォルスターがどのような態度をとったのかなど、フォルスターの人種論について具体的に検討してみたい。EUがこの5月から拡大され、∃一ロッパではかつての国家間の利害対立から、多民族の協調へという方向が進展しているが、こうした現在の時点から見て、約200年前のフォルスターの先見性を考えてみたい。 参考資料 |
第39回公開講座
はじめに、痴呆性高齢者の行動特性をみると、日常生活動作能力が高いときには、俳個・収集癖・暴力が発生しやすく、日常生活動作能力が低下してくると、失禁・不潔行為が発生しやすい。 すなわち、痴呆の特徴は徘徊と失禁で代表させることができ、第一段階は徘徊も失禁もなく、もの忘れがひどく失見当識がある程度である。しかし間違いを犯すことが多いので、危険に遭遇しやすくなる。第二段階は徘徊をすることはあるが、失禁はしない状態である。なかには、収集癖などで他人に迷惑をおよぼす行為をする場合もあるが、一般的には優しく見守ってあげたり、少しだけ援助してあげたりすれば自立生活も可能である。第三段階は徘徊があるうえに失禁もある状態である。歩きながら失禁すれば、あちこちが汚れてしまう。本人も気持ち悪いし、介護者も辟易する。なかには気分がすぐれず、ついには暴力を振るってしまう人もでてくることになる。しかし、おむつをつけられると急激に自立心は失われ、ベッドに寝たきりの第四段階になってしまう。失禁はするが、徘徊をするだけの体力はなくなってしまう。介護者も介護慣れしてきて、比較的に落ち着いた日常生活となる。 そこで、このそれぞれの段階での代表的行動特性である不安全行動、徘徊行動、迷惑・破壊行動、失禁行動などに対応する住まいづくりの要点を検討する。しかし、ここで描いた状況は、あくまでも一般的な例であって、個々には多種多様な状況がある。それぞれの特性が軽度から重度に至る変化もあれば、一時的であったり、継続的であったりもする。したがって臨機応変に個別的・直接的に対応することが基本になるが、できるだけ融通性や余裕をもち、いろいろな場合についても対応できるように総合的な視野から検討することが重要となる。とくに本人や他人に対して危害をおよぼしたり、あるいは迷惑をおよぼしたりするような行動は、できるだけ発生しないように予防することが重要であろう。 |
第40回公開講座
女性の人権がやっと認められるようになったのは、1970年代以降といったも過言ではありません。1979年の「女性差別撤廃条約」はその証左です。日本は1985年に批准し、その後、「男女雇用機会均等法」「男女共同参画社会基本法」「ドメスティック・バイオレンス(DV)防止法」等の法律が制定されました。しかし、女性への性暴力が人権侵害であることが世界中で認識されるようになったのは、1990年代に入ってからです。それは、つい最近のことといえるのです。例えば、DVである夫婦・恋人間のレイプは暴力であり、犯罪であるという認識は世間的にはまだ浸透している状態ではありません。 同じように子どもの人権が国際的な課題として討議され、子どもの人権が認められるようになったのは、1989年の「子どもの権利条約」の制定に表れています。日本が批准したのは、1994年です。子どもの生きる権利は奪われてはなりません。しかし、日常的に児童虐待の犠牲になる子どもの報道が絶えません。その加害者のほとんどはおとなです。日本でも2000年「児童虐待防止法」が成立しましたが、未だ児童虐待はなくなるどころか増大しています。社会的弱者である子どもが、おとなからの虐待を回避することは大変難しいです。まして親が加害者である場合はなおさらです。しかし実態は、母親、父親が加害者になっている場合が多いのです。2003年度の児童虐待の児童相談所での相談は前年度を12%上回る26000件を超えています。 そこには、夫から暴力を受ける妻が子どもを虐待をする連鎖もみられます。家族とはいったいどういう関係でつくられてきたのでしょうか。夫婦とは、親子とはどういう関係を創造していけば家庭内の暴力や虐待がなくなっていくのでしょうか。それには家庭内で起きる暴力や虐待の原因を探っていくことが大事でしょう。そして、家庭内だけではなく、暴力のない社会をつくっていくにはどうしたらいいのでしょうか。みなさんとともに考え、実践に立ち向かえる場にしていきたいと思います。 |
◇2005年度公開講座
第41回公開講座
部落に対する特別措置法が打ちきりになるなかで、部落問題が学校教育の中で看過される可能性は高いように思われる。部落問題そのものは、解放運動が高まりの中で、学校教育の中でも取り上げられてきた。解放運動そのものが低調になるにつれ、部落問題が人口に膾炙されなくなることが、問題の解決に繋がるものではなかったことは、過去の部落問題を見ても明白である。過去においても、解放を求める部落民の声に対しては、部落民という意識を捨てればよいと言われ、差別がある現状に対しては、「寝た子を起こすな」として問題にもしなかった。大事なことは、かって解放運動が「寝た子を起こせ」と叫び、部落問題が広範な関心を呼んだように、問題を表面化させ合理的に解決する努力を怠らないことである。 部落民には「部落民」であることが明白であるにもかかわらず、部落問題は、部落民の定義を欠いたまま、近代の部落問題は展開した。あるいは部落問題の定義を巡って非常に大きく混乱してきた。近代、あるいは現代の部落問題とは、居住を要件、あるいは血統を要件とする問題にすり替わった。より本質的には、結婚差別問題から考えられることは、血統を要件とする差別問題であることには、過去も現在も変わりはない。ただ将来に対して希望することは、全員が「忘れれば」式に取り扱うことだけでは、部落問題は問題は無くならないだろう。現状の将来に対する継続が、将来の部落問題を形作ることは間違いない。 私の総合演習では、部落問題の歴史を振り返り、部落問題が時代により姿を変えて存続してきた、そのことを論述した私の論文(「法制史上より見た部落問題」関大法学53-6)を読ませ、知識教育的に教えながら、また可能な限り部落出身者の方々にゲストスピーカーとして来て頂き、学生に現状の部落問題を語ってもらった。また水平社宣言を研究する方からは、その宣言に込められた思いを語ってもらった。そして仕上げに、全員に部落にフィールドワークに参加を求めた。そのフィールドワークについては、私の主観的願望としては、部落の物理的存在を観察するのではなく、部落の人々と膝を交えて討議する、という点に置いた。その為には、漠然と講義を受講するのではなく、自ら課題を設定しながらフィールドワークに赴いて欲しいと述べておいた。 私の、今回の人権問題の公開講座で話するのは、その時に学生諸君に書いてもらったレポートに基づくものである。レポートは、私の論文に対する批評を一本として、学生諸君が自ら課題とするものを設定し、フィールドワークを終えてから提出してもらったものを一本とした。私も、今後の部落問題の具体的なあり方は予見するものがあるが、私は予想屋でもなく、占い師でもない。だから「かくあるべし」という模範解答を用意できないし、ゲストスピーカーの方々にも、部落問題とは何か、あるいは「かくあるべし」式の話はやめて、自分の経験している、間近に見ている部落問題を語ってもらうようにした。 参考資料1 参考資料2 |
第42回公開講座
一方、ブラジルの日系社会に対して、「現代の日本社会が失ってしまった古きよき日本」の面影を見いだす人は少なくない。しかし、こうした「古き良き日本」という表象には、ブラジルの日系社会と現在の日本社会との距離を強調し、「彼ら」を「われわれ」より遅れ、劣った「他者」として位置づける「差異化」の作用が見受けられる。同様に、ブラジルを「開放的なルーズなラテン気質」などといったある種の「粗雑さ」や「野蛮性」において表象することも、彼らを「他者」として際立たせるのに十分である。だがそもそも「彼ら」は、「われわれ」とは異なる、別の世界を生きる「他者」なのであろうか。かつて日本から移民した人々やその子孫たちは、程度の差こそあれ、日本語を話し、日本食を食べ、今なお「日本」という国に対して特別の感情を有している。そうした彼らの感情を無視して、一方的に「他者」と表象することは、極めて暴力的である。 とはいうものの、私自身の研究を振り返ってみると、私はフィールドで出会った彼らの思いを、傍観者としてではなく、当事者として「共感」し、「われわれ」の問題として共有して記述できただろうか、と内省せざるをえない。長期にわたる国内のブラジル人コミュニティやブラジル日系社会におけるフィールドワークを通して「厚い記述」[ギアツ1987]を行ったと自負していても、それが「彼ら」をまるで「われわれ」とは全く異なる世界に生きる「他者」として差異化し、表象してしまった可能性はないと言えるのであろうか。また、彼らの日常的実践を一方的に「差異」と決めつけて解釈したことはなかったであろうか。 そこで本講座では、これまで私がブラジルで行ってきたフィールドワークの経験を俎上に載せることによって、日系社会におけるエスニシティとナショナリズムを新たな語り口から考察することを試みたい。 参考資料 |
関西大学茨木市民人権講座
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第43回公開講座
その一方、文部科学省の平成14年度の調査では、通常学級で「知的発達に遅れはないものの学習面や行動面で著しい困難を示す」と担任教師が回答した児童生徒の割合は、全体の6.3%におよんでいた。これは特別な教育的支援を必要とする児童生徒が、1クラス30人あたり1〜2人いることになる。即ち、従来の肢体不自由児あるいは知的障害児への特殊教育という考え方では網羅出来ないこどもたちがいるという制度上の狭間が存在していたことを表す。 この多くは、知的な遅れを殆ど伴わない軽度発達障害といわれるこどもたちが該当する(障害が軽いという意味ではない)。広汎性発達障害児の中で知的な遅れを伴わない高機能自閉症あるいはアスペルガー症候群とよばれるこどもたち、注意欠陥多動性障害、学習障害を有するこどもたちである。 文部科学省は平成16年1月に教育的支援を行うための総合的な体制を整備する際に活用されることを目的とした、「小・中学校におけるLD(学習障害),ADHD(注意欠陥/多動性障害),高機能自閉症の児童生徒への教育支援体制の整備のためのガイドライン(試案)」を策定し、現在その体制つくりが全国の小・中学校で展開されている。更に平成17年4月から発達障害者支援法が施行され、早期発見と発達支援、日常生活や社会生活に制限を受けている人に応じた、医療・福祉・教育的支援、国と地方自治体の責務の明確化、医療・福祉・教育などの関係機関連携、就労支援、家族支援、専門家の人材確保が法令化され、障害区分ごとあるいは年齢区分ごとの垣根が取り払われ、一貫した支援が為される体制が作られることとなった。 その一方では、発達障害そのものが充分理解されていないため、現在でも「わがまま」、「親の愛情不足のせい」、「甘やかしが原因」、「こころの病」、「家庭のせい」との根強い誤解もあり、発達障害児や家族への不理解、誤解が彼らを苦しめていることも事実である。共に社会参加し、地域生活を営み、お互いを理解していくために、今、何が必要かを共に考えていきたい。 参考資料1 参考資料2 参考資料3 |
ナチ・ドイツ 抵抗グループ「白バラ」 「白バラ」展示
関 楠生 著 清水書院 850円 参考資料 |
第44回公開講座
現在、日本では30万人ほどの人たちが不妊「治療」を受けているといわれる。不妊「治療」には、卵管閉塞や卵管癒着に対する外科的治療などもあるが、一般に不妊「治療」といわれているものは、人工授精や体外受精などの、不妊という状態のままで妊娠・出産するという生殖補助技術である。したがって、ここで治療にカッコを付けているのは、不妊「治療」が不妊という状態を改善・治療するものではないからである。 現在、日本で実施されている不妊「治療」のなかで、もっとも多く行われているのは体外受精で、年間1万2,000人を超える子どもが体外受精で生まれている。これは日本で生まれる子どもの1%強を占める数字である。また、人工授精も広く行われており、なかでも第三者からの精子提供による非配偶者間人工授精は、1949年より実施している慶應大学だけでも、これまでに1万人以上の子どもが生まれている。そして、子宮を摘出した女性とその夫のあいだの受精卵を女性の妹に移植し、妹が出産するという代理出産も行われている。それに加え、不妊カップルが海外で代理出産を依頼したり、卵子や受精卵を購入するケースも少なくない。 このように、生殖医療の現場では、十分な議論がないまま、不妊「治療」の実施が先行しており、不妊「治療」に関するルールとしては、何らの強制力ももたない、日本産科婦人科学会の会告しかないのが現状である。 不妊の原因は男女半々といわれるが、体外受精においては男性の側に不妊の原因があっても、副作用で死亡例もある排卵誘発剤を注射され、採卵のために腹腔鏡手術を受けるのは女性である。そして、不妊「治療」のために仕事を辞める女性は多く、未だに根強くある「女性は子どもを産んで一人前」という見方が多くの女性を苦しめている。 今回の講座では、ジェンダーの視点から、この不妊「治療」の問題点について考えてみたい。 参考資料1 参考資料2 |
◇2006年度公開講座
第45回公開講座
これまで宣言の解釈をテーマとした書籍は散見されるが、その多くは隔靴掻痒にして、表層的かつ字義的解釈終始していたように思われる。つまり、宣言が人間存在の根源を問い直し、かつ開放への確信や覚醒といった人間精神の高揚を基調としていることにまで言及するには至ってはいなかったように思われる。特に近年、解放運動のありようの影響からか、宣言の影が薄くなった感は否めない。 さて、宣言が日本史上唯一の人権宣言と称賛されてきたが、今回、多方面にわたる史資料との格闘により、水平社結成に至る西光万吉の精神史を解明し、かつ宣言の下敷き(或いはパラダイム)となった、大正デモクラシー期に高揚した新西欧芸術運動受容の可視化を通して、その表層に内蔵されていた豊穣な芸術世界を新たに浮き彫りにしたのである。起草者をめぐる非本質的な疑念を払拭させ、宣言は新たに再生し、再び人間存在の根源を照射し始めたのである。 |
第46回公開講座
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関西大学茨木市民人権講座
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第47回公開講座
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第48回公開講座
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◇2007年度公開講座
第49回公開講座
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第50回公開講座
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第51回公開講座
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第52回公開講座
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◇2008年度公開講座
第53回公開講座
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第54回公開講座
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第55回公開講座
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第56回公開講座
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