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公開講座

公開講座
過去の公開講座一覧


◇2001年度公開講座


第25回公開講座

日 時:2001年5月25日(金) 13:00〜14:30
テーマ:「被差別の側からみた部落問題」
講 師:住田一郎(委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 2002年3月をもって、1969年7月以降30数年間におよぶ同和対策事業は終了する。この同和対策事業の成果は被差別部落の住環境整備・教育・就労・生活保障全般に及ぶものである。それ故、部落解放同盟も一定の成果を確認しつつ、従来のように「特別措置法」の再延長を要求しないとしてきた。もちろん、これらの成果にも関わらず、部落差別問題が今日もなお解決したといい得ない状況にあることも事実である。ただ、同和対策事業の実施によって部落差別問題をめぐる状況が大きく改善、変化してきた事実を認めなくてはならないだろう。
 同時に、この同和対策事業が被差別部落大衆にどのような成果をもたらし、どのような 課題を積み残しているかが問われている。私にはその問いに応えるべく、行政・市民・運動団体相互の協力による総括活動が緊急の課題であるように思える。それは被差別当事者である私達自身による現況(差別実態)を真摯に見つめ腑分けする課題でもある。
 とりわけ、1969年以前の被差別状況に比べるなら今日その状況は大きく改善されており、残された部落差別問題にたいする被差別部落大衆自身による主体的・能動的な取り組みの重要性は一段と高まっている。にもかかわらず、自体は「特別措置法」下の同和対策事業の恩恵によりかかったまま、そのようにはいまだ取り組めていない。そればかりでなく、差別・被差別のニ項対立思考を固定化した啓発・教育事業から抜け出してもいない。
 全国同和教育研究大会メインスローガン「部落差別の現実に学ぶ‥・」を引き出すまでもなく、<部落差別の現実>把握は部落差別問題解決にとって最も重要な課題である。ただ、<部落差別の現実>は長年におよぶ部落解放運動の展開と同和教育・行政の実施それに人々の努力等によって大きく改善されている。ところが、多くの教育・啓発実践では、現在もなお十年一日のごとく<部落差別の現実>の厳しさのみが強調され、あたかも変化がないような取り組みが続けられている。だが、これらの実践は部落差別問題の解決にとって主観的意図とは裏腹に大きなブレーキの役割を果たしてはいないだろうか。被差別部落大衆の自立を阻害することになってはいないだろうか。
 私が「今日における部落差別とは何か」にこだわり続けるのも先に指摘した誤りを克服したいがためなのである。


第26回公開講座

日 時:2001年6月22日(金) 13:00〜14:30
テーマ:韓国人の植民地言語経験と日本語観
講 師:熊谷明泰(人権問題研究室研究員・外国語教育研究機構教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 韓国では英語に次いで日本語に対する学習熱が高く、海外日本語学習人口の45%を占めるほどである。一方、日本では来年度から朝鮮語が大学入試センター試験科目に加わるなど、朝鮮語学習に対する社会的評価が高まっている。また、関西大学における朝鮮語受講者数も着実な増加傾向を示している。朝鮮半島の人々との相互理解と交流を深める上で、こうした現象は実に好ましいことと言える。
 しかしながら、韓国の人々は日本語が抱え持つ文化に対して素朴な魅力を感じることに抵抗感をおぼえ、ただ"手段として有用な"言語として日本語を認識するという傾向を示している。こうした日本語観が形成された歴史的背景には、植民地時代の苦々しい言語経験が潜んでいる。
 かつて、朝鮮における植民地言語政策は「国語」として日本語を用いることを強制し、植民地時代末期には朝鮮民族を「皇国臣民化」しながらイデオロギー支配を行う政策のもとで、「国語常用」を強く求めるようになっていた。このために、2名の獄死者まで出した「朝鮮語学会事件」を捏造して朝鮮語研究者にさえ弾圧を加えるという、露骨な暴力行使をも躊躇しなかった。こうした統治政策のもとで朝鮮民族は日・朝ニ重言語生活を営み、朝鮮語は日本語から多くの言語的影響(言語干渉)を受けることとなった。
 解放後、朝鮮民族は日本語の影響を払拭する言語純化政策を展開した。その急先鋒であった崔鉉培(チェヒョンベ)は、日本語から受けた言語干渉を「日本人が私たちの心の畑に無理やり植え付けた奴隷の種」だと断罪しながら朝鮮語の民族的純化を図った。しかし、その試みが容易には遂行し得ないほど、日本語からの言語干渉は根深いものだった。このことも影響して、近代朝鮮語形成過程における日本語からの影響をトータルに把握することは回避され、日本語から流入した音借語に言語醇化のターゲットを絞ることによって「倭色(日本色)」排斥の大衆啓蒙が図られた。実は、これらの音借語の多くは俗語・卑語的な意味用法を持つものだった。こうして、日本語はこざかしくて野卑なニュアンスを漂わせることばだという否定的イメージが韓国社会に定着した。そして、植民地時代の屈辱的な言語経験と相俟って、ツールとしてのみ評価される今日の日本語観が形成されることとなった。
 いま、朝鮮に対する植民地支配は正当なものであったと臆面もなく主張する人々によって執筆された歴史教科書が、「歴史的事実の記載に問題がない」として検定を通過する不安な時代にある。この講座では韓国人の植民地言語経験と日本語観について考察しながら、朝鮮民族が受けた民族的侮蔑と心の傷を言語の側面から謙虚に理解できる契機になればと思う。


国際シンポジウム (公開講座)

日 時:2001年9月22日(土) 13:00〜14:30 / 9月23日(日) 9:30〜16:10
テーマ:韓国人の植民地言語経験と日本語観
会 場:関西大学 千里山キャンパス関西大学 100周年記念会館(阪急・千里線「関大前」駅下車)
9月22日(土)
受付    12:30 〜 13:00
開会    13:00 〜
挨拶    永田 眞三郎(関西大学 学長)
挨拶    吉田 永宏(関西大学人権問題研究室 室長)
総合司会  平田 重和(関西大学人権問題研究室研究員・文学部教授)
基調講演  13:30 〜 14:30 テーマ   「民族と国家を超えて――国際化時代における人権」
講師    小川 悟(関西大学名誉教授・人権問題研究室委嘱研究員)
休憩    14:30 〜 14:50
報告    14:50 〜 16:30
    @ 「韓国華僑の社会・経済的地位の変化と人権問題
                ――19世紀末期から現在まで――」
      発言者:李 正 煕(京都創成大学専任講師)
    A 「言語のグローバル化の問題」
      発言者:フローリアン・クルマス (ドゥイスブルク大学教授)
      通 訳:中島 巌(関西大学外国語教育研究機構教授)
9月23日(日)
受付    9:00 〜 9:30
開会    9:30 〜
報告    9:30 〜 12:00
    B 「在日韓国・朝鮮人の現状及び21世紀の在日韓国・朝鮮人」
      発言者:趙 星 哲 (大阪弁護士会 弁護士・校友)
    C 「在ドイツ外国人に対する言語教育」
      発言者:ギドー・シュミット(フラィブルク教育大学教授)
      通 訳:杉谷 眞佐子(関西大学外国語教育研究機構教授)
    D 「日本における華僑華人――その特徴と役割」
      発言者:陳 來 幸(神戸商科大学教授)
昼休み   12:00 〜 13:00
分科会   13:00 〜 15:00
    @ 「少数民族問題」
      報告者:鳥井 克之(関西大学人権問題研究室研究員・外国語教育研究機構教授)
      関連発言者:金 光 敏(民族教育促進協議会)
      コメンテーター:陳 來 幸(神戸商科大学教授)
              李 正 煕(京都創成大学専任講師)
              趙 星 哲(弁護士・校友)
      司会:田中 欣和(関西大学人権問題研究室研究員・文学部教授)
    A 「言語教育と異文化の接触」
      報告者:梁 永 厚(関西大学人権問題研究室委嘱研究員)
      関連発言者:康 龍 子 (建国高校教諭)
            任 三 妹(神戸中華同文学校教諭)
                   コメンテーター:フローリアン・クルマス (ドゥイスブルク大学教授)
               ギドー・シュミット(フラィブルク教育大学教授)
      司会:熊谷 明泰(関西大学人権問題研究室研究員・外国語教育研究機構教授)
休憩    15:00 〜 15:30
全体会   15:30 〜 16:00
      分科会の報告
    @ 田中 欣和(関西大学人権問題研究室研究員・文学部教授)
    A 熊谷 明泰(関西大学人権問題研究室研究員・外国語教育研究機構教授)
閉会の辞  16:10
      吉田 永宏(関西大学人権問題研究室 室長・文学部教授)

参考資料


第27回公開講座

日 時:2001年10月26日(金) 13:00〜14:30
テーマ:高齢社会と住まい
講 師:馬場昌子(人権問題研究室研究員・工学部専任講師)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 数年前のこと、アメリカ障害者法(ADA法)の成立を報じた新聞各紙の内容は、「公民権法」以来の差別撤廃法であるというものであった。黒人に対する人権差別の撤廃と、障害者のアクセシビリティ、モビリティの保障が、人権保障として同じく認識されていることに、強烈なカルチャーショックを受け、私自身の認識のを思い知らされた。その後、我が国で展開されつつある「福祉のまちづくり」「ひとにやさしい…」といったまちづくりからは、どうも人権保障としての力強さや人々のいかり・かなしみが伝わってこない。
 日頃、高齢・障害者対応の住居計画を主要な研究テーマにしている私にとって、人権保障ということに対する深い理解が必要であると思っていた。この機会に、あらためて、人権保障という視点で住居計画を考えてみたいと思っている。


第28回公開講座

日 時:2001年11月30日(金) 13:00〜14:30
テーマ:人権教育とセクシュアリティ
講 師:石元清英(人権問題研究室研究員・社会学部教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 く自立と共生>ということばがありまず。ここでいう自立とは、経済的自立といった意味ではなく、ノーマライゼーションで提起された自立障害者(障害者が自分の生き方を自分で決めること。当然、それを実現するためには、周囲の人たちや社会が変わらなければいけません)で使われている自立です。つまり、自立とは自分らしく生きる、自分の心に素直に生きることです。「男らしく」「女らしく」ではなく、「男だからこうすべきだ」「女だからこれはふさわしくない」と、外から生き方を決められるのではなく、自分の生き方は自分で決めて、自分らしく生きることです。でも、自分らしく生さることは、そんなに簡単なことではありません。とくに、セクシュアリティに関しては、性役割や慣習、社会の「常識」などに縛られがちです。自分のセクシュアリティについてじっくりと考えることがなければ、そして、セクシュアリティについて正しい情報や知識がなければ、なおさら憤習や社会の「常識」などに流され、自分らしく生きることはできません。
 そして、共生とは、多様な個々人の生き方を尊重し合うことです。それは、自分は好きなように生きるから、あなたも好きなように生きなさいということではありません。尊重し合うという以上、他者のことをよく知るということが前提となります。他者をよく知っているからこそ、尊重できるのであり、その他者の権利が侵害されたときには、他者に手をさしのべることができるのです。同時に、自分の権利が侵害されたときには、尊重し合っている他者からの援助もあるのです。
 みずからのセクシュアリティについて考え、他者のセクシュアリティについて考えをめぐらせること、それは自分らしく生きる<自立>と、多様な個々人の生き方を尊重する<共生>の出発点といえます。他者との新たな関係をどのように取り結んでいくのか、これは人権教育の大きなテーマです。しかし、多くの学生にとって、これまでの人権教育は、必ずしも魅力的なものではなく、できれば避けたいものと感じられてきたようです。学生にとって非常に身近な問題であるセクシュアリティ論を、その人権教育の<入り口>に置くことで、こうした膠着した状況を切り開いていけるのではないかと思います。学生たちが自分の生き方について考え、他者との関係をどう取り結んでいくのかを考えるきっかけとして、セクシュアリティ論を大学における人権教育の<入り口>に置くことの意味は大きいと考えます。

参考資料



◇2002年度公開講座


第29回公開講座

日 時:2002年5月24日(金) 13:00〜14:30
テーマ:都市の近世と近代
講 師:小林丈広(人権問題研究室委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 近世都市(身分制を原理とする都市)から近代都市へ、日本の都市の変容を検言する中から、社会的差別のあり様を検討したい。
 そのために、今回は主として次の三つの論点を取り上げ、検討の材料としたい。
 一つは、日本の京都をフィールドとする近世から近代への移行期の研究について、これまでの歴史学研究における到達点と今後の課題を提示すること。ここでは、従来の近世京都研究の成果の中から主要なものを取り上げ、若干の論点整理をおこなうことにしたい。
 二つ目には、その解明の鍵として町や町組などといった地域住民組織の変化に着目し、その近世から近代にかけての変容について具体的に検討すること。とくに、近世社会史と近代社会史のズレを意識しながら、お互いの関係を明らかにすることに意を注ぎたい。その際、これまで実態がほとんど明らかにされていなかった「難渋町」という地域についても触れてみたい。
 第三に、そうした問題意識から近代的住民組織としての「衛生組合」結成の歴史的意義について考えてみたい。ひいては、京都に固有の地域住民組織である「公同組合」結成の歴史的意義についても検討したい。
 そうした論点を提示することによって、近年の「衛生」をめぐるさまざまな議論や近代化にともなう社会的差別の再編成などといった課題が、日本の近代社会を解く鍵としてどのような位置を占めるかについて改めて考えてみたい。

参考資料:小林丈広著 近代日本と公衆衛生 ―― 都市社会史の試み ―― 雄山閣出版
内  容:防疫行政に潜む差別を追うコレラが日本の 「防疫行政」 を変え、「地域差別」 を変えた文政5年に日本に上陸したコレラ。以後のコレラ防疫行政の展開過程を追うとともに、コレラ防疫を契機とした近代の地域差別の内容を探り、社会的差別のメカニズムを解明する。

参考資料


第30回公開講座

日 時:2002年6月21日(金) 13:00〜14:30
テーマ:就学前障害児養育の現状と課題
講 師:大島吉晴(人権問題研究室委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 1981年の国際障害者年以降、ノーマライゼーションの理念を受けて、社会福祉基礎構造改革が進められている。これは個人としての自由、尊厳、自立を支援するという社会福祉施策の基本姿勢をうたったものであり、個人の自立を保証する社会福祉施設運営、質の高い福祉サービス、地域生活の中で自立を総合的に支援する等を目的としている。これに伴い従来は行政処分を意味する「措置」という制度であったのが、現在、利用者が積極的に福祉施設やサービスを選択出来る、「契約制度」へと変化する中、介護保険、支援費制度など各種行政制度が次々と打ち出されている。また、障害者の社会参加を保障するためのバリアフリ一の町づくりや施設つくりが目指され、更に開かれた施設運営を旨とするサービス評価の導入等も図られている。また高齢化社会や少子化傾向への対策として、エンゼルプランや新エンゼルプランに基づく、数々の子育て支援施策が為されている。
 一方、小学校に就学する前の障害乳幼児の発達支援の一環である、通園療育施設においては、従来は視覚障害、聴覚障害、肢体不自由、知的障害等々、障害種別ごとの通園療育施設が設置されていた。近年、利用者の側にたったサービスを提供していくため、障害種別を限定せず各施設が連携し、より生活の場に結びついた地域福祉を展開していく方向が検討されおり、障害種別を越え、医療との統合機能も有する 「発達支援センター」 が設立されるようになった。
 これらの療育の対象児の中には、乳幼児健康診査体制の充実により、早期の段階で障害が発見され、療育施設への通園を行っているこども達が多い。一方、従来なら命を落としていたかも知れない乳児達が、昨今の医療技術の進歩により、救命されるようになってはいるが、中には重度の脳障害を残したこども達もいる。これら重症障害児の場合、「生きる」ことそのものへのリスクを常に抱えながら、医療や療育訓練を受けている。
 この就学前という段階は保護者や家族にとって、障害児の通園や通院を通して、就学や成人した時の進路など、今後の様々な課題に向き合っていく出発点をも意味する。 こども達に今なにが必要か、障害児と共に家族はどう生きていくか、保育所や幼稚園入園を機会として、社会参加していくために何が必要か、医療や教育との向き合いをどうしていくのか等々、施設現場での実例を通して、共に考えていきたい。

参考資料


第31回公開講座

日 時:2002年10月25日(金) 13:00〜14:30
テーマ:ベルリン『バラ通り』の女性たち
講 師:宇佐美幸彦(人権問題研究室研究員・文学部教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 ベルリンのバラ通りは町の中心地にある。第二次大戦中の1943年3月初旬、ヒトラー支配下のドイツ、しかもこの首都ベルリンの中心地で、ナチスに対する、主として女性たちによる抗議行動が展開された。1942年のヴァンゼー会議でナチスはユダヤ人の絶滅政策を決定したが、これを実行に移すには時間を必要としていた。1943年初頭には、まだベルリンではくのユダヤ人たちが軍需工場などで強制労働に従事していた。しかしこの年の2月末、ナチスはベルリンにいるユダヤ人の掃討作戦を開始した。強制労働で働いている工場から直接連行したので「工場対策行動」と呼ばれいるが、このいっせい行動でベルリンから数千人のユダヤ人がアウシユヴィッツなどの強制収容所に送られた。
 しかしキリスト教徒と結婚しているユダヤ人、およびそうした婚姻による子供たち(14歳以上は強制労働者)はその他のユダヤ人とは区別され、すぐには強制収容所送りとはならず、ベルリンでの収容先も別にされた。彼らの多くはこのバラ通りの旧ユダヤ人社会福祉事務所の建物に収容された。夫や子供がここに収容されたと聞いた親族たちはこのバラ通りに集まった。男性の多くは戦地に行っており、集まったのはおもに女性たちであった。3月1日から連日、涙が凍りつくほどの厳寒のなか、ナチスの機関銃による脅しにも屈せず、女性たちは早朝から深夜までこの通りに立ち、叫んだ「夫を返せ、子供を返せ、父を返せ」と。この自然発生的な非暴カの抗議行動にナチスの軍政も屈し、ついに3月6日以後、ここに収容されたユダヤ人を全員釈放したのである。現在ここには記念の群像が建っている。その記念碑にはこう刻まれている。「市民の不服従の力、そして愛の力は独裁政治の暴力をもうち破る。」
 ベルリンのユダヤ人の歴史的状況とナチスのユダヤ政策を紹介し、その中でこのバラ通りの女性たちの抗議行動を取り上げる予定である。

参考資料1
参考資料2


第32回公開講座

日 時:2002年11月29日(金) 13:00〜14:30
テーマ:教科書の中の男女差別・再考
講 師:田中欣和(人権問題研究室研究員・文学部教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 私たちの社会はなお男中心社会てある。子供の時から「女は損」と思っている人も多い。「生まれ変るとしたら男か女か」と問うと大阪の中学3年生で、男に生まれたい女子は39%、女に生まれたい男子は12%という調査もある。
 学校は世の中で比較的男女平等である所と思われているが、一面ではやはり不平等を再生産している場所でもある。教育における性差別の例として様々なことが論じられてきた。出席簿でなぜ男が先なのか、これでは男が先というのが「世の常識」と刷りこまれてしまうではないか、という批判から議論がはじまったことも多い。
 しかし、名簿の問題などは議論の契機に過ぎない。より直接的で重要なことは、教師や生徒、児童の日常的な関係のあり方、そして教育内容そのものに関してであろう。教育における性差別では制度的なものは少ない。学校での日常生活において知らず知らずのうちに刷り込まれることは多く「隠れたカリキユラム」の問題といわれる。
 教科書の内容については、'91年に出た『教科書の中の男女差別』(伊東良徳他、明石書店)が画期的なものであった。日本弁護士連合会女性の権利に関する委員会に属していた伊東氏ら四氏は、例えば国語教科書に出る作品の「主人公」の性別を数えるという単純といえば単純な方法によって、教科書が男中心社会を露骨に反映していることを鮮やかに示した。1989年用小学校国語教科書(市場占拠率上位の五種)の物語文では男性主人公が72.9%であった。
 伊東氏らの本が出て十数年経過したが、今でも教科書の中の性差別を論じる人の多くはこの本からの引用によって例証している。しかし、その後教科書は変わらなかったのであろか。これは調べる必要がある。近年、私のゼミの学生数人が卒業論文として取り組んだ。結論を簡単にいえば、意外なほど変わっていない。'99年の小学校国語では物語主人公の男性比率77.6%とかえって上昇している。(とはいえ、編集者の配慮がうかがえる部分もない訳ではない。)
 なぜこうなるのであろうか。教科書は現実を反映せざるを得ない。また、主人公の数が半々であったり、男女のステレオタイプが全く登場しなければいいというものでもあるまい。現実も、子どもたちの「生き方選択肢を豊かにする」教科書はできないものであろうか。そもそも教科書の役割は現状でいいのであろうか。そういうことを考えてみたい。



◇2003年度公開講座


第33回公開講座

日 時:2003年5月30日(金) 13:00〜14:30
テーマ:部落の歴史を学ぶ
講 師:藤原有和(人権問題研究室委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 なぜ部落(被差別部落)の歴史を学ぶのか。近年、従来の部落史、なかでも政治的起源説(地方自治体による市民啓発の基礎となっていた考え方)の見直しが提唱されている。
 本報告では、従来の政治的起源説を批判する中で、新たに登場してきた習俗的差別論の検討を通じて、部落の歴史を学ぶ際の視点を明確にしたい。
 峯岸賢太郎氏によれば、身分とは、「生産力・社会的分業の未発展に規定された世襲的・生得的地位であって自然発生的なものであり、政治的作為物ではない」ということである。
氏は、近世の被差別身分の差別について、穢観念と種姓観念に支えられた別火、別器、別婚、別居所というような憤習的に形成・維持されてきた習俗的差別―慣習法―である、と述べられている(『部落問題の歴史と国民融合』)。
 はたして、近世の被差別身分は、自然発生的なものであるという見方は妥当であろうか。まず、この点について検討を加えたい。
近畿地方のある部落の入会慣行(草山に入り、柴草など―田畑の肥料・牛馬の飼料となる―を刈り取ることのできる権利の行使)を紹介し、具体的に慣習法がどのようなものであるか明らかにしたい。
ここでは、住民の自治的結束の土台となる入会慣行と権力の分断政策が問題となる。
 本村から入会山への立ち入りを実カで阻止された当該の村は、訴状のなかで、太閤検地帳においては、本村と当該の村は、検地帳が一本であった―本来はーつの村であった―と述べている。その後、領主により、本村から分離させられたことにより、入会山でも差別を受けるようになった、と述べている。むしろ、権力による分村などの身分差別政策が、民衆の差別行動を触発していると考えるべきである。
 また、この村には中世末期から浄土真宗の道場があった。本村とー体であった頃の当村―自治的村落―は、信仰を同じくする人びとの集団でもあった。豊臣・織田政権が戦国期の動乱―ー向ー揆を中心とする民衆の運動―を粛清する中で、民衆の広範な自治的結束に楔が打ち込まれ、役人村(警察・行刑の役負担)、部落寺院制度、分村などの権力による身分差別政策により、徐々に民衆に差別思想が浸透するのである。そのような中にあって、この村の人びとが、今日の大阪北部・京都近郷の仲間とともに、役負担拒否の運動―身分解放運動―を闘ったことに注目すべきである。


第34回公開講座

日 時:2003年6月27日(金) 13:00〜14:30
テーマ:EU統合とドイツの外国語教育
講 師:杉谷眞佐子(人権問題研究室研究員・外国語教育研究機構教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 文部科学省はグローバル化かつ進展するなかで2002年7月『英語が使える日本人』育成のための戦略構想を発表、本年より予算化し「効果的・効率的な教育の提供」を図っている。英語運用力の育成じたいは今日的課題として社会的に認知されているようである。しかしグローバル化はこのような「コミュニケーション言語の標準化・効率化」のみでなく、「コミュニケーションの多様化・多元化」をも同時にもたらしている。換言すれば、グローバル化には標準化と多様化といういわば矛盾する2つのべクトルが含まれている。
 多言語・多文化状況が政策的に進められているヨーロッパ連合(EU)では、統合の基本理念で「言語・文化の多様性の維持」が謳われ、公用語を11言語として発足、2004年の中東欧の加盟後は20言語に増大する予定である。通訳・翻訳にかかる費用は膨大てあるが「民主主義のコト」としてEU市民に受け入れられている。このような多言語状況の出現に対し、1995年EUの教育白書は「EU市民は母語以外2言語を学習すべきである」という「3言語主義」の原則を明示し外国語学習の重要性を主張、2001年を「ヨーロッパ言語年」として学校・社会での外国語学習促進のための各種プランを発表・実施した。同開会式典でドイツの科学大臣ブルマ一ンは「強カなヨーロッパは経済力のみによって立つのではなく、言語と文化の多様性を守るところから生じる」とし、多言語・多文化社会における共存能力と、国境を越え勉学,企業研修、就職する能カの開発が、欧州市民の基本的課題であることを強調した。現在加盟国の文部省は、学校での複数外国語の教青方法を種々に工夫している。なかでも徴的なのはドイツの「バイリンガル教育」や「∃一ロッパ言語ポートフォリオ」の開発・活用である。EU統合で新しい展開を見せるドイツの「異文化埋解のためのコンテンツ重視の外国語学習」を具体的に講じる予定である。


第35回公開講座

日 時:2003年10月31日(金) 13:00〜14:30
テーマ:発達障害児に必要な総合支援とは
講 師:大島吉晴(人権問題研究室委嘱研究員・非常勤講師)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 我が国に置いても個人としての自由・尊厳・自立を支援する社会福祉施策の基本姿勢を示すノーマライゼーションの理念について語られるようになった。この理念に基づく教育、療育的実践も各所で取り組まれるようになったが、地域や教育現場では当事者や家族が望みを託せる支援体制が充分とは言えない。
 以前行われた、厚労省の知的障害者実態調査によると、知的障害者の地域活動への参加度「参加なし、ほとんどなし」が72.3%を占めていた。障害児を持つ家庭にとっては未解決の問題や不安が多々ある。障害児者が地域社会とともに暮らしていくという理念の実現には、地域社会の一員である私達からの理解と歩み寄りが不可欠であることは周知のとおりである。
 発達障害は、妊娠中および出生後の脳の発達が何らかの原因で停止または遅滞し、暦年齢に相当する発達に比べて有意に低い状態であり、小児期にみられる神経疾患の多くはこの範疇に入る。妊娠中および出生後の発達が顕著な時期に障害が発生することが多く、その障害時期により各々特徴的な臨床表出を示すといわれている。発達障害にはその障害となる様相や状態に応じて、脳性麻痺のほか、知的障害、広汎性発達障害、注意欠陥多動性障害、学習障害などに分類され、それぞれの持つ固有の状態に応じて、療育訓練、教育、社会参加を支援するための設備や環境、コミュニケーション上の留意点がある。
 全てのこどもたちはいろいろな可能性や個性をもって生まれてくる。障害もこの個性の一つと捉え理解し、問題や短所を直すという見地だけではなく、彼らの持っている長所を理解し、共に社会に生きる一員として我々も歩み寄る方法を考えていきたい。


第36回公開講座

日 時:2003年11月28日(金) 13:00〜14:30
テーマ:企業の社会的責任と女性の人権
    企業評価のあたらしいモノサシ
    「女子学生の就職活動からみる企業評価調査」の報告
講 師:金谷千慧子(人権問題研究室委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院2階 生涯学習講義室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 いま、雇用をめぐる状況はきびしさを一段と増しています。完全失業率も女性の方が高く、不安定な働き方に女性が追い込められているのが現状です。女子学生の場合も同様です。これでは企業における女性の人権が問い直されねばならないということです。企業側は女性の勤続年数が短い、女性は家庭責任を果たすという重責があるという理由で、性差別を放置し、女性たちの働く気持ちを萎えさせています。これでは企業の経済効果としてもあまりよい結果を生まないはずです。
 いま、企業の社会的責任を問う意識が強くなっています。これが企業評価と云うことですが、企業を評価する大きな基準の一つに、「女性やマイノリティにとって働きやすい労働環境であること」というのがあります。これは企業の内部資源としての「女性」を活かす採用をし、能力を十分発揮させているかが問われているのです。1999年の改正均等法以降、募集・採用から昇進・昇格、教育訓練、福利厚生のすべての労働条件において女性差別が禁止規定になり、差別の撤廃をすすめるためにポジティブアクション(積極的差別是正措置)を実施するよう求められています。ポジティブアクションを企業の中で、女性の採用において、昇進において、どんな対応策が実行されているのでしょうか。
 そんななかで、企業に入る直前の4年生女子学生は、就職活動からなにをみたのか。面接までいった企業をABCDの4ランクで、理由を付けて評価してもらったのが今回の報告書の内容です。今年・来年の女子学生の就職活動に最も貴車なデーターを提供することにもなるでしよう。また厳しい世相を見つめる有効な手段ともなるでしょう。少し予告編を示しましょう。

●業界別にみるとAランクが多かったのは、メーカーの方でした。
@銀行           24%   A保険             33%
Bその他金融       27%   Cマスコミ           24%
D流通・小売・商社    21%   E食品メーカー        41%
F電気メーカー      47%   Gその他メーカー       34%
H教育           30%   Iサービス・旅行       33%
J運輸           38%   K建設住宅メーカー不動  17%
L情報・通信・関連ソフト 27%   Mその他           39%

●面接の場で感じたこと
・セミナー・会社説明会・面接で活躍する女性の姿を多く見かけた。職種別での男女差別は全く感じず、個人を評価しようとしていた。実際、オフィスでもいきいきと働く姿をみた。(オリックス)
・女性の採用に積極的。女性の立場を営業だけでなく、職場の雰囲気からでもよい立場であると感じた。(JCB)

参考図書: 金谷千慧子著 企業を変える女性のキャリア・マネージメント 中央大学出版部
内容:企業経営者と女性のためのキャリアアップ



◇2004年度公開講座


第37回公開講座

日 時:2004年5月28日(金) 13:00〜14:30
テーマ:『特別措置法終結後の到達点と課題−部落差別の現実に学ぶということ−』
講 師: 住田一郎(人権問題研究室委嘱研究員・非常勤講師)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院1階 マルチメディアAV大教室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 2002年3月末をもって同和対策事業の特別措置法は終結した。以後二年が経過した。部落差別問題をめぐる課題は、特にハード面の実態的差別状況を中心に大きく改善されてきた。もちろん、この改善にともない人々の部落差別に対する意識状況にも変化がみられる。しかし、<人と人との関係性>のなかで生じる部落差別問題はその関係性そのものを変えることなくして解決は不可能な課題である。
 特別措置法下の同和対策事業の33年間は、部落解放運動とともに最終的には<人と人との関係性>を変えることを部落差別問題の解決として取り組んできた。だが、同和対策事業は<人と人との関係性>を直接解決することはできず、長年その解決を阻んできた被差別部落を取り巻く劣悪な物的条件(住環境・仕事保障・教育保障等)の改善に力を注いできた。
 それ故、法終結後の今日、同和対策事業の実施によって解決の可能性が大きく見えてきた<人と人との関係性>を変える活動において部落解放運動・被差別部落住民が主体的な役割を今まで以上に担うときがきた、と私は考えている。もちろん、行政当局や人々の課題や役割がなくなったわけではないが。
 いうまでもなく、全国水平杜創立宣言に明記された「穢多であることを誇りえるときがきた」は被差別部落住民による顕在化宣言でもあった。さらに「部落差別の現実から学ぶ」をメインスローガンに掲げ続けてきた全国人権・同和教育研究協議会も部落差別を顕在化する(知らしめる)ことでその解決をめざしてきた。
 <人と人との関係性>を変える前提として、被差別部落住民によるカムアウトの必要性を私も提起してきた。もちろん、カムアウトは強制されるべきものではない。がしかし、<関係性>を変える第一歩である自由で忌憚のないコミュニケ一ションが決して匿名であってはならないことも事実である。
 同時に、カムアウトは今日の部落差別問題にとって避けることができない『「隠蔽」と「暴露」の共犯関係』を解決する不可欠な行為にも通ずるに違いないと私は考えている。

参考資料1
参考資料2
参考資料3


第38回公開講座

日 時:2004年6月25日(金) 13:00〜14:30
テーマ:世界周航家ゲオルク・フォルスターの生涯
講 師: 宇佐美幸彦(研究員・文学部教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院1階 マルチメディアAV大教室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 ゲオルク・フォルスター(1754−1794)は、ヨーロッパで国家意識が高まり、富国強兵の政策の下、列強が露骨な世界の植民地化を進めていた18世紀後半に、国家の利害を超越して、まさに世界市民として活躍した人物である。
 フォルスターは生まれや育ち方からしてすでに国際人であった。当時プロイセンの領土であったナッセンフーベン(現在はポーランド)で生まれ、10歳で父とともに、ロシアのヴォルガ川流域の調査旅行に出て、その後イギリスで商店の見習いになり、17歳のときにクック船長の第2回世界探検旅行に参加した。タヒチなど南太平洋の多くの島を調査し、この3年間にわたる旅行の状況を、1777年に『世界周航記』として出版すると、旅行記作家、博物学の研究者として有名となった。
 24歳でカッセル(ドイツ)の専門学校の博物学教授、29歳でヴィルナ大学(ポーランド)の教授となった。1788年マインツ大学(ドイツ)の図書館司書となり、90年には若いアレクサンダー.フォン・フンボルトとライン下流地域を旅行し、彼に多くの感化を与えた。フランス革命の精神に共鳴し、マインツのジャコバン・クラブの中心メンバーとして活動し、その代表者としてパリヘ行き、ロベスピエールの恐怖政治の中で、94年、短い生涯を終えた。
 今回は、フォルスタ一の生涯を紹介し、論文『人種論を再考する』を中心にしながら、クック船長との世界旅行のとき、ヨーロッパ人のフォルスターが、どのような態度で、現地の人々を観察したのか、フランス革命後、独仏が対立関係にあったとき、フォルスターがどのような態度をとったのかなど、フォルスターの人種論について具体的に検討してみたい。EUがこの5月から拡大され、∃一ロッパではかつての国家間の利害対立から、多民族の協調へという方向が進展しているが、こうした現在の時点から見て、約200年前のフォルスターの先見性を考えてみたい。

参考資料


関西大学吹田市民人権講座
  〜共催 関西大学人権問題研究室 吹田市 吹田市教育委員会〜

日 時:2004年7月30日(金) 13:00〜14:30
テーマ:世界周航家ゲオルク・フォルスターの生涯
講 師: 宇佐美幸彦(研究員・文学部教授)
会 場:吹田市メイシアター (文化会館)
    1階 集会室 (阪急千里線「吹田」駅下車)
 受付    12:30 〜 13:00
開会の辞 13:00 〜 13:10
13:10 〜 14:40
テーマ 男女共同参画 現代社会と女性の人権―女と男の共生をめざして―
講師:石元清英
司会:金谷千慧子

 現在の日本において、人権問題は多様なかたちで存在するが、そのなかには関心の程度に地域差がみられるものがある。たとえば、大阪府において身近な問題に感じられ、話題にされることも多い部落問題は、北海道では縁遠い問題であるとみられるのに対し、北海道で社会的関心の高いアイヌ問題については、その具体的イメージがわかないという人が大阪府では多いだろう。同様に、在日韓国・朝鮮人問題も、その関心の程度に地域差がみられる。これらの問題に比べて、女性問題はどの地域でも男女がほぼ半数ずついる以上、だれにとっても身近な問題であるはずだ。しかし、身近な問題であるからといって、社会的関心が高く、わかりやすい問題であるとはいえない。
 現在、日本では制度上、女性が女性である(男性ではない)という理由だけで市民的権利が制約されるということはなくなった。こうした制度上の差別がないことをもって、女性問題は解決されていると考える人もいれば、女性に対する差別が現在もなお根強く残っていると考える人もいる。そして、女性差別がないといえるのは、どういう状態であるのかという認識も、人によって大きな幅があり、それは男女間だけではなく、同じ女性のなかでも現状肯定派から現状否定派まで、さまざまな見方がある。
 本講座では、身近な問題でありながら、問題の所在がみえにくい女性問題について整理を試み、いったい何が問題であるのかを考えたい。具体的には、私たちの日常生活のなかで、男女が意味もなく区別されることが非常に多い現状を点検し、性差(男女差)が実体として存在するのかどうかを考える。そして、夫や恋人からの暴力(ドメスティック・バイオレンス)やセクシュアル・ハラスメントなどの性暴力の実態をみることをとおして、男女が互いに理解し合い、相手の生き方を尊重し合える共生関係の構築のための課題を提示したい。


休憩(10分)

14:10 〜 16:20
テーマ 子ども問題 子どもの人権
講師:源 淳子
司会:田中欣和
子どもの人権について
   源 淳子

 連日のように子どもの虐待による死亡のニュースが目にとまります。ニュースにならない虐待ははかり知れないことが予想されます。児童虐待は子どもの人権侵害です。児童虐待が注目されるようになったのは、思春期の対親暴力、ドメスティック・バイオレンス、老人虐待などの家庭内暴力が取り上げられた同じ1980年代です。家族とは愛情に包まれた憩いと安らぎ、そして癒しの場であるという「神話」が、現実といかに乖離していたかが明らかになりました。
 家庭内の暴力が白日のもとにさらされ、他人事ではない家族の関係が問われることになりました。家族とは何か。そしてどのような家族をつくろうとしているのか。これまで問われなかった家族のあり方が提起されるようになったのです。
 2000年には、「児童虐待の防止等に関する法律」が成立し、2004年に改正になりました。児童虐待の種類は、身体的虐待(殴る、蹴るなどの行為)、心理的虐待(ことばの暴力や相手を否定することなど)、性的虐待(痴漢、子どもが望まない性的接触など)、そしてネグレクト(子育ての放棄など)を挙げることができます。
 こうした子どもの虐待はなぜおこるのでしょうか。これまで主な原因として、個人的要因(親に人権や暴力の正しい知識・情報がない、アルコール中毒や薬物依存など)、社会的要因(夫婦間や家族間の人間関係、生育歴、DV、孤立など)、そして環境的要因(低収入によるストレス、失業、住宅事情、近隣の環境など)が考えられています。
 では、虐待を受けた子どもはどうなるのでしょうか。命を失う場合もあることを私たちは報道によって知らされています。そしてこのような身体症状に出る暴力とともにより深刻なのは、目に見えない心理的症状です。それは生きる意欲や他者への思いなど人として生きる上での基本的な価値観や感情を奪うことです。どうすれば子どもの人権を保障することができるのでしょう。みなさんとともに考えたいと思います。


閉会の辞 16:20 〜 16:30


第39回公開講座

日 時:2004年10月22日(金) 13:00〜14:30
テーマ:痴呆性高齢者に対応する住まいづくり
講 師:荒木兵一郎(特別研究員・名誉教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    総合図書館 3階ホール(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 痴呆性高齢者は精神面でのハンディキャップがあるうえに、さらに高齢化による身体面でのハンディキャップが重なって、通常の人なら何でもないところが障壁となり、日常生活が困難になるばかりではなく、負傷したり命を落としたりすることもある。そこで、周りの人たちからの保護や介護が必要になるが、過度な保護や介護は、痴呆性高齢者の依存心を拡大させ、自立性や人間性さえも失墜させてしまうことがある。すべての生活困難の原因となる障壁を取り除き、それぞれが人間として尊重され、自立した生活が送れるとともに生活圏が拡大されて、いろいろな社会生活に参加でき、生きがいのある豊かな生活ができるようにしたいものである。ここでは、この望まれる居住環境づくりについて考えてみる。
 はじめに、痴呆性高齢者の行動特性をみると、日常生活動作能力が高いときには、俳個・収集癖・暴力が発生しやすく、日常生活動作能力が低下してくると、失禁・不潔行為が発生しやすい。
 すなわち、痴呆の特徴は徘徊と失禁で代表させることができ、第一段階は徘徊も失禁もなく、もの忘れがひどく失見当識がある程度である。しかし間違いを犯すことが多いので、危険に遭遇しやすくなる。第二段階は徘徊をすることはあるが、失禁はしない状態である。なかには、収集癖などで他人に迷惑をおよぼす行為をする場合もあるが、一般的には優しく見守ってあげたり、少しだけ援助してあげたりすれば自立生活も可能である。第三段階は徘徊があるうえに失禁もある状態である。歩きながら失禁すれば、あちこちが汚れてしまう。本人も気持ち悪いし、介護者も辟易する。なかには気分がすぐれず、ついには暴力を振るってしまう人もでてくることになる。しかし、おむつをつけられると急激に自立心は失われ、ベッドに寝たきりの第四段階になってしまう。失禁はするが、徘徊をするだけの体力はなくなってしまう。介護者も介護慣れしてきて、比較的に落ち着いた日常生活となる。
 そこで、このそれぞれの段階での代表的行動特性である不安全行動、徘徊行動、迷惑・破壊行動、失禁行動などに対応する住まいづくりの要点を検討する。しかし、ここで描いた状況は、あくまでも一般的な例であって、個々には多種多様な状況がある。それぞれの特性が軽度から重度に至る変化もあれば、一時的であったり、継続的であったりもする。したがって臨機応変に個別的・直接的に対応することが基本になるが、できるだけ融通性や余裕をもち、いろいろな場合についても対応できるように総合的な視野から検討することが重要となる。とくに本人や他人に対して危害をおよぼしたり、あるいは迷惑をおよぼしたりするような行動は、できるだけ発生しないように予防することが重要であろう。


第40回公開講座

日 時:2004年11月26日(金) 13:00〜14:30
テーマ:子ども・女性の人権
講 師:源 淳子(人権問題研究室委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    総合図書館 3階ホール(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 長い間、女性と子どもは「女・子ども」と一括りにされ存在してきました。その括り方の背後には、女性も子どもも一人前の人間として捉えられなかった歴史があります。それは女性の人権・子どもの人権が認められなかったことを意味します。このような女性と子どもの人権をないがしろにする社会思想とそれに基づく差別は、日本に限ったことではありません。「人は、出生および生存において自由および平等の権利を有する」と宣言した「人権宣言」(1791)は、男性を中心とした人権でした。
 女性の人権がやっと認められるようになったのは、1970年代以降といったも過言ではありません。1979年の「女性差別撤廃条約」はその証左です。日本は1985年に批准し、その後、「男女雇用機会均等法」「男女共同参画社会基本法」「ドメスティック・バイオレンス(DV)防止法」等の法律が制定されました。しかし、女性への性暴力が人権侵害であることが世界中で認識されるようになったのは、1990年代に入ってからです。それは、つい最近のことといえるのです。例えば、DVである夫婦・恋人間のレイプは暴力であり、犯罪であるという認識は世間的にはまだ浸透している状態ではありません。
 同じように子どもの人権が国際的な課題として討議され、子どもの人権が認められるようになったのは、1989年の「子どもの権利条約」の制定に表れています。日本が批准したのは、1994年です。子どもの生きる権利は奪われてはなりません。しかし、日常的に児童虐待の犠牲になる子どもの報道が絶えません。その加害者のほとんどはおとなです。日本でも2000年「児童虐待防止法」が成立しましたが、未だ児童虐待はなくなるどころか増大しています。社会的弱者である子どもが、おとなからの虐待を回避することは大変難しいです。まして親が加害者である場合はなおさらです。しかし実態は、母親、父親が加害者になっている場合が多いのです。2003年度の児童虐待の児童相談所での相談は前年度を12%上回る26000件を超えています。
 そこには、夫から暴力を受ける妻が子どもを虐待をする連鎖もみられます。家族とはいったいどういう関係でつくられてきたのでしょうか。夫婦とは、親子とはどういう関係を創造していけば家庭内の暴力や虐待がなくなっていくのでしょうか。それには家庭内で起きる暴力や虐待の原因を探っていくことが大事でしょう。そして、家庭内だけではなく、暴力のない社会をつくっていくにはどうしたらいいのでしょうか。みなさんとともに考え、実践に立ち向かえる場にしていきたいと思います。



◇2005年度公開講座


第41回公開講座

日 時:2005年5月27日(金) 13:00〜14:30
テーマ:学生から見る部落問題
講 師:吉田徳夫(研究員・法学部教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院1階 マルチメディアAV大教室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 総合演習という教職科目があり、関西大学では人権教育論を副題として、学生には2単位を必須科目として履修させている。人権教育論の中でも、吉田は部落問題をテーマとして取り上げて実施している。部落問題が、人権問題一般に解消される中で、学校における同和教育を継続していく必要性は、学生のみならず、教員にもあるだろう。
 部落に対する特別措置法が打ちきりになるなかで、部落問題が学校教育の中で看過される可能性は高いように思われる。部落問題そのものは、解放運動が高まりの中で、学校教育の中でも取り上げられてきた。解放運動そのものが低調になるにつれ、部落問題が人口に膾炙されなくなることが、問題の解決に繋がるものではなかったことは、過去の部落問題を見ても明白である。過去においても、解放を求める部落民の声に対しては、部落民という意識を捨てればよいと言われ、差別がある現状に対しては、「寝た子を起こすな」として問題にもしなかった。大事なことは、かって解放運動が「寝た子を起こせ」と叫び、部落問題が広範な関心を呼んだように、問題を表面化させ合理的に解決する努力を怠らないことである。
 部落民には「部落民」であることが明白であるにもかかわらず、部落問題は、部落民の定義を欠いたまま、近代の部落問題は展開した。あるいは部落問題の定義を巡って非常に大きく混乱してきた。近代、あるいは現代の部落問題とは、居住を要件、あるいは血統を要件とする問題にすり替わった。より本質的には、結婚差別問題から考えられることは、血統を要件とする差別問題であることには、過去も現在も変わりはない。ただ将来に対して希望することは、全員が「忘れれば」式に取り扱うことだけでは、部落問題は問題は無くならないだろう。現状の将来に対する継続が、将来の部落問題を形作ることは間違いない。
 私の総合演習では、部落問題の歴史を振り返り、部落問題が時代により姿を変えて存続してきた、そのことを論述した私の論文(「法制史上より見た部落問題」関大法学53-6)を読ませ、知識教育的に教えながら、また可能な限り部落出身者の方々にゲストスピーカーとして来て頂き、学生に現状の部落問題を語ってもらった。また水平社宣言を研究する方からは、その宣言に込められた思いを語ってもらった。そして仕上げに、全員に部落にフィールドワークに参加を求めた。そのフィールドワークについては、私の主観的願望としては、部落の物理的存在を観察するのではなく、部落の人々と膝を交えて討議する、という点に置いた。その為には、漠然と講義を受講するのではなく、自ら課題を設定しながらフィールドワークに赴いて欲しいと述べておいた。
 私の、今回の人権問題の公開講座で話するのは、その時に学生諸君に書いてもらったレポートに基づくものである。レポートは、私の論文に対する批評を一本として、学生諸君が自ら課題とするものを設定し、フィールドワークを終えてから提出してもらったものを一本とした。私も、今後の部落問題の具体的なあり方は予見するものがあるが、私は予想屋でもなく、占い師でもない。だから「かくあるべし」という模範解答を用意できないし、ゲストスピーカーの方々にも、部落問題とは何か、あるいは「かくあるべし」式の話はやめて、自分の経験している、間近に見ている部落問題を語ってもらうようにした。

参考資料1
参考資料2


第42回公開講座

日 時:2005年6月24日(金) 13:00〜14:30
テーマ:ブラジル日系社会におけるエスニシティとナショナリズム
講 師:山ノ内裕子(研究員・文学部助教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院1階 マルチメディアAV大教室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 私はこれまで文化人類学の立場から、ブラジル日系社会のエスニシティとナショナリズムについて研究を行ってきた。日系社会に関する研究は、人類学のみならず、政治学・社会学・歴史学・言語学・教育学・精神医学などその範囲は広い。しかし、多くの日系移民研究には、既に80年代から90年代にかけて人類学が批判した二つの態度、すなわち「消滅の語り」[Clifford 1988]という消えゆく伝統文化を記述する姿勢と、「オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式」[サイード1986]である「オリエンタリズム」的まなざしが通底することは否めない。言語・宗教・食生活・慣習などの文化的特質が、移住先において保持されそして「変容」されていく過程を「客観的」に記述・分析することを目的としてきた、移民研究の政治性が問われているのである。
 一方、ブラジルの日系社会に対して、「現代の日本社会が失ってしまった古きよき日本」の面影を見いだす人は少なくない。しかし、こうした「古き良き日本」という表象には、ブラジルの日系社会と現在の日本社会との距離を強調し、「彼ら」を「われわれ」より遅れ、劣った「他者」として位置づける「差異化」の作用が見受けられる。同様に、ブラジルを「開放的なルーズなラテン気質」などといったある種の「粗雑さ」や「野蛮性」において表象することも、彼らを「他者」として際立たせるのに十分である。だがそもそも「彼ら」は、「われわれ」とは異なる、別の世界を生きる「他者」なのであろうか。かつて日本から移民した人々やその子孫たちは、程度の差こそあれ、日本語を話し、日本食を食べ、今なお「日本」という国に対して特別の感情を有している。そうした彼らの感情を無視して、一方的に「他者」と表象することは、極めて暴力的である。
 とはいうものの、私自身の研究を振り返ってみると、私はフィールドで出会った彼らの思いを、傍観者としてではなく、当事者として「共感」し、「われわれ」の問題として共有して記述できただろうか、と内省せざるをえない。長期にわたる国内のブラジル人コミュニティやブラジル日系社会におけるフィールドワークを通して「厚い記述」[ギアツ1987]を行ったと自負していても、それが「彼ら」をまるで「われわれ」とは全く異なる世界に生きる「他者」として差異化し、表象してしまった可能性はないと言えるのであろうか。また、彼らの日常的実践を一方的に「差異」と決めつけて解釈したことはなかったであろうか。
 そこで本講座では、これまで私がブラジルで行ってきたフィールドワークの経験を俎上に載せることによって、日系社会におけるエスニシティとナショナリズムを新たな語り口から考察することを試みたい。

参考資料


関西大学茨木市民人権講座
 〜共催 関西大学人権問題研究室 茨木市・茨木市教育委員会茨木市人権センター〜

日 時:2005年7月29日(金) 13:00〜15:00
テーマ:ブラジル日系社会におけるエスニシティとナショナリズム
講 師:山ノ内裕子(研究員・文学部助教授)
会 場:茨木市クリエイトセンター (多目的ホール)2階
    阪急京都線「茨木市」駅下車又はJR京都線(東海道本線)「茨木」駅下車
 受付    13:00 〜 13:30

13:30 〜 15:00
テーマ 子どもの人権 



   子どもの人権  講師 :源 淳子(人権問題研究室委嘱研究員)
 
              司会 :金谷 千慧子(人権問題研究室委嘱研究員)

参考資料


第43回公開講座

日 時:2005年10月28日(金) 13:00〜14:30
テーマ:発達障害児に必要な総合支援とは
講 師:大島吉晴(人権問題研究室委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    総合図書館 3階ホール(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 発達障害とは、妊娠中および出生後の何らかの脳機能の障害により発生した障害であり、その状態に応じて、脳性麻痺、知的障害、広汎性発達障害(自閉症)、注意欠陥多動性障害、学習障害などに分類されている。従来より早期発見、早期療育の必要性が認識されており、健診(検診)体制の整備が行われ、また教育現場でも肢体不自由児、知的障害児らに向けた特殊教育が実施されてきた。
 その一方、文部科学省の平成14年度の調査では、通常学級で「知的発達に遅れはないものの学習面や行動面で著しい困難を示す」と担任教師が回答した児童生徒の割合は、全体の6.3%におよんでいた。これは特別な教育的支援を必要とする児童生徒が、1クラス30人あたり1〜2人いることになる。即ち、従来の肢体不自由児あるいは知的障害児への特殊教育という考え方では網羅出来ないこどもたちがいるという制度上の狭間が存在していたことを表す。
 この多くは、知的な遅れを殆ど伴わない軽度発達障害といわれるこどもたちが該当する(障害が軽いという意味ではない)。広汎性発達障害児の中で知的な遅れを伴わない高機能自閉症あるいはアスペルガー症候群とよばれるこどもたち、注意欠陥多動性障害、学習障害を有するこどもたちである。
 文部科学省は平成16年1月に教育的支援を行うための総合的な体制を整備する際に活用されることを目的とした、「小・中学校におけるLD(学習障害),ADHD(注意欠陥/多動性障害),高機能自閉症の児童生徒への教育支援体制の整備のためのガイドライン(試案)」を策定し、現在その体制つくりが全国の小・中学校で展開されている。更に平成17年4月から発達障害者支援法が施行され、早期発見と発達支援、日常生活や社会生活に制限を受けている人に応じた、医療・福祉・教育的支援、国と地方自治体の責務の明確化、医療・福祉・教育などの関係機関連携、就労支援、家族支援、専門家の人材確保が法令化され、障害区分ごとあるいは年齢区分ごとの垣根が取り払われ、一貫した支援が為される体制が作られることとなった。
 その一方では、発達障害そのものが充分理解されていないため、現在でも「わがまま」、「親の愛情不足のせい」、「甘やかしが原因」、「こころの病」、「家庭のせい」との根強い誤解もあり、発達障害児や家族への不理解、誤解が彼らを苦しめていることも事実である。共に社会参加し、地域生活を営み、お互いを理解していくために、今、何が必要かを共に考えていきたい。

参考資料1
参考資料2
参考資料3


ナチ・ドイツ 抵抗グループ「白バラ」 「白バラ」展示

日 時:2005年11月14日(月)〜28日(月)
テーマ:白バラ −ヒトラ−に抗した学生たち−
講 師:大島吉晴(人権問題研究室委嘱研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    新関西大学会館 南棟 1階 インフォメーションロビー(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 参考図書:人と思想 124 「白バラ」−反ナチ抵抗運動の学生たち
                           関 楠生 著 清水書院 850円

参考資料


第44回公開講座

日 時:2005年11月25日(金) 13:00〜14:30
テーマ:生殖技術とジェンダー
講 師:石元清英(研究員・社会学部教授)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    総合図書館 3階ホール(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 −産む性である女性が責めを負わされる現実−

 現在、日本では30万人ほどの人たちが不妊「治療」を受けているといわれる。不妊「治療」には、卵管閉塞や卵管癒着に対する外科的治療などもあるが、一般に不妊「治療」といわれているものは、人工授精や体外受精などの、不妊という状態のままで妊娠・出産するという生殖補助技術である。したがって、ここで治療にカッコを付けているのは、不妊「治療」が不妊という状態を改善・治療するものではないからである。
 現在、日本で実施されている不妊「治療」のなかで、もっとも多く行われているのは体外受精で、年間1万2,000人を超える子どもが体外受精で生まれている。これは日本で生まれる子どもの1%強を占める数字である。また、人工授精も広く行われており、なかでも第三者からの精子提供による非配偶者間人工授精は、1949年より実施している慶應大学だけでも、これまでに1万人以上の子どもが生まれている。そして、子宮を摘出した女性とその夫のあいだの受精卵を女性の妹に移植し、妹が出産するという代理出産も行われている。それに加え、不妊カップルが海外で代理出産を依頼したり、卵子や受精卵を購入するケースも少なくない。
 このように、生殖医療の現場では、十分な議論がないまま、不妊「治療」の実施が先行しており、不妊「治療」に関するルールとしては、何らの強制力ももたない、日本産科婦人科学会の会告しかないのが現状である。
 不妊の原因は男女半々といわれるが、体外受精においては男性の側に不妊の原因があっても、副作用で死亡例もある排卵誘発剤を注射され、採卵のために腹腔鏡手術を受けるのは女性である。そして、不妊「治療」のために仕事を辞める女性は多く、未だに根強くある「女性は子どもを産んで一人前」という見方が多くの女性を苦しめている。
 今回の講座では、ジェンダーの視点から、この不妊「治療」の問題点について考えてみたい。

参考資料1
参考資料2



◇2006年度公開講座


第45回公開講座

日 時:2006年5月26日(金) 13:00〜14:30
テーマ:「水平社創立宣言」の再生 −芸術的可視化を通して人間存在の根源を照射−
講 師:宮橋國臣(研究員)
会 場:関西大学 千里山キャンパス
    尚文館 大学院1階 マルチメディアAV大教室(阪急・千里線「関大前」駅下車)
 今年は島崎藤村の『破戒』出版から百年にあたり、部落問題が再考される年であろうか。ところで近年、「水平社創立宣言」(以下「宣言」とする)の起草者をめぐる問題が浮上し、関係者間で議論されてきた。尤も、それは西光万吉の他界直後の追悼記事に確認でき、彼が唯一の起草者でありながら、むしろ平野小剣の大添削のおかげだとする複数説である。なぜ起草者が見直されたのか。それは西光の「発言」(『部落』)に契機はあるものの、彼の人となりを理解し得ないことに加えて、宣言の難解性が一役かっているのかも知れない。宣言は多くの人々に深い感銘と感動を与えてはきたが、その深層について十分考究されてきたとはいえない。換言すれば、歴史家や研究者たちによる西光万吉の精神史解明が不徹底であったことから派生した問題とはいえなくもない。また、従来の水平社発生の地の歴史も教材化されてきたものの、表層の事実に終始していた。因みに、拙著『至高の人西光万吉』(人文書院)は、某歴史教師をして「何を教えてきたのか」との自戒の念を惹起せしめたことで、自画自賛ではないが、幾分かそれを突破したのではないだろうか。
 これまで宣言の解釈をテーマとした書籍は散見されるが、その多くは隔靴掻痒にして、表層的かつ字義的解釈終始していたように思われる。つまり、宣言が人間存在の根源を問い直し、かつ開放への確信や覚醒といった人間精神の高揚を基調としていることにまで言及するには至ってはいなかったように思われる。特に近年、解放運動のありようの影響からか、宣言の影が薄くなった感は否めない。
 さて、宣言が日本史上唯一の人権宣言と称賛されてきたが、今回、多方面にわたる史資料との格闘により、水平社結成に至る西光万吉の精神史を解明し、かつ宣言の下敷き(或いはパラダイム)となった、大正デモクラシー期に高揚した新西欧芸術運動受容の可視化を通して、その表層に内蔵されていた豊穣な芸術世界を新たに浮き彫りにしたのである。起草者をめぐる非本質的な疑念を払拭させ、宣言は新たに再生し、再び人間存在の根源を照射し始めたのである。


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