KANSAI UNIVERSITY

INTERVIEW | 私は、こんな人。 /08

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目の前にあるものを受け入れ、
逆風にも自然体で。

 お笑い業界の名門、吉本興業の大﨑社長は、現場からの叩き上げでトップにのぼりつめた名物社長。その物腰は低く、絶えず周囲に笑いを振りまいている。
「高校卒業後に二浪したので、さすがに三度目の大学入試は死ぬ気で勉強しました。それでも入学後はサーフィンばかりで、ろくに授業にも出ず、なんとか留年はせずに卒業…したんかな?卒業証書をもらった記憶がないけど…」
 就職活動で吉本興業を選んだ動機は、スーツ着用もデスクワークもなく、休みをまとめて取れると聞いたから。しかし実際に入社すると、休みは思うように取れず、同期入社の人たちとは明らかに差をつけられているような気がして悶々とした日々が続く。けれども、芸人たちの熱気から笑いの世界の面白さに目覚めることとなり、鋭い才覚を発揮。ダウンタウンの才能を見出し、「心斎橋二丁目劇場」を立ち上げ、低迷する吉本新喜劇を改革するなど、“アンチ吉本”を掲げて新たな取り組みを次々と成し遂げていった。しかし、社長は語る。
「芸人たちが頼ってくれるのが嬉しくて一生懸命でした。ダウンタウンも私が発掘したわけではなく、たまたま目の前にダウンタウンがいた。ただそれだけです」
 順風満帆のようにも思えるが、実際には仕事が軌道に乗るたびに逆風が襲いかかる。その苦難をどのようにして乗り越えていったのだろうか?
「“まあええか”って気楽に構えていました。ただ、苦しい時でも手を差し出してくれる人がいて、そういう人たちに恩返しをするためにも、上を目指そうと考えるようになったんです」
 同僚と麻雀をしながら漏らしていたのは「会社を変えるためには10年はかかる。55歳で社長にならないといけない」という言葉。まさに大﨑社長が55歳の時、それは現実となったのだ。

お笑いをインフラに、
もっと世の中を面白く

 創業100周年を迎えた2012年から、吉本興業は “デジタル” “アジア” “地方”をキーワードに掲げている。動画配信サイト「YNN」のほか、Twitter、YouTube、LINEなど様々な媒体でオリジナルコンテンツを配信し、ロボットのコンテンツまで企画・監修。さらに民間企業6社で合弁会社をつくり、アイドル、アニメから、食、伝統文化までクールジャパンコンテンツをアジアに向けて創造・発信する事業も進んでいる。
「時代を見る目とか言われるとお恥ずかしいです。いま、吉本興業は勝負の時。社長になって上場も廃止し、この6年間で様々な投資をしてきました。今こそ、経営者としての資質が問われる時だと思っています」
 そして今後について、大﨑社長の目標は大きく広がっている。
「いろんなことが日々起こる世の中で、お笑いなんてちっぽけな産業です。でも、笑いがインフラみたいな存在になれば、少しは世界が良くなるかもしれない。私がこの仕事を続けているのは、そんな想いもあるんです」
  “地域”をキーワードに掲げて始まったプロジェクトでは、47都道府県に“住みます”芸人を実際に居住させ、地域活性化をめざして活動している。
「東京で数字を稼ぐ社員も、地域のために働く社員も活躍できる会社。それが吉本興業のこれからのあるべき姿だと考えます」
 新しいことに次々と挑んでゆく大﨑社長の中に、今でも根付いているのは「アンチ吉本」の精神。しかし、「目標に向かって挑む」というのは少し違うと彼は言う。
「ベタな例えですが、社会という海に出ると、しょっぱいし、波もあるし、急に深くなる。沈まないように無我夢中で泳いだり、波にのまれながらも進んだり・・・。吉本興業に入って30年、自分のペースでその時々を夢中でやってるだけです」

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