我々の情報空間について改めて考え直すと、多くの情報が通訳や翻訳という行為を介在していると気づくだろう。海外のニュースの日本語報道はその良い例である。また社会空間を改めて眺めると、医療技術、法律制度、国家の統治機構にはじまり、普段学習している学校制度や学問体系も多くが海外から受容したものである。我々の思考も無意識の層では古代から現在に至るまで外国の影響を多く受けている。そして、これらすべてに通訳や翻訳が介在しているのである。人類にとってこの重要な事実を深く探究するという営みに、日本・アジアの視点から、皆さんが大学で取り組んでみるのも面白いのではないだろうか。
我々の情報はことばを通して伝わる。そしてグローバルな規模では、その多くが多言語を介して行われる。だとすると、皆さんが大学時代にそのプロセスについて自覚的に深く考え、世の中がどのようにことばを通して構成され、思想や理念、あるいは平和が構築されているかについて考えることは大切である。そういう知の営みの土台があってはじめて、諸々の社会問題や国際問題が多言語でのコミュニケーションによって解決されてゆくのではないか。このことを意識して、言語、社会、哲学・思想、コミュニケーション、法律、政治、歴史、メディアなど多様な切り口から、通訳や翻訳について考えてゆくことを大切にしたいと願っている。そういう思いを込めて、パレスチナでの翻訳の国際学会でも発表を行い、画像の同時通訳班に英語からアラビア語へ同時通訳して頂いた(2009年11月アン=ナジャフ国立大学)。
扱うテーマは幅広い。日本語のアニメ映画の英訳(字幕・吹替)の分析、日本の総理大臣の外交における多言語翻訳戦略の分析、キリスト教と仏教の言語観・翻訳観、認知言語類型論という言語理論から見た英日語翻訳の分析、言語使用における意識/無意識と言語相対性の分析、日本国憲法制定過程における翻訳問題、ジャーナリズムのイデオロギーの分析、ニュース報道における放送通訳・新聞翻訳の言語文化論、通訳訓練法の英語教育への応用法、翻訳分析と翻訳教育法、英語の語彙・文法と心的イメージの関係などなどをテーマに、通訳・翻訳は人間の知の営為を包摂するという大きな視座で一緒に勉強してみよう。
通訳・翻訳をする楽しさをまずは味わってほしい。そして、通訳や翻訳を通して多くの違う文化の人たちと出会ってほしい。その際に大切なのは自己批判原理(自らを批判的にとらえるという知の営み)。これは学問だけでなく、人生の修養にも不可欠であることを、通訳・翻訳を介在した知の探究を通して実感してほしいと願っている。