教員・修了生コラム

第4回読むということ

森屋 匡士 非常勤講師

 臨床心理士を目指しておられる有志の皆さんへお伝えしたいことと言えば?本を読みましょう!これに尽きます。
 私は本を読むのが好きです。これまでずっと本を読んできました。子どもの頃のような、骨身に染みるような、世界が違って見えてくるような読書体験はなかなかありませんが、今でもそれを求めて本を手に取ります。ちなみに、自分の本棚を整理するのも好きです。高名な精神科医である中井久夫先生は、「フロイトの著作の隣には、ユングではなくむろんアドラーでもなく、アブラハムがこなければ気が狂う私である(『治療文化論-精神医学的再構築の試み』岩波現代文庫)と述べておられます。これです。本の並べ方に関係性を持たせておくと、自分の理解の整理にもなりますし、そうして並べておいた本棚を眺めているだけでも心楽しいものです。教育学者の齋藤孝先生も、「本は背表紙である」と仰り、本の並べ方への拘りを語っておられました(『読書力』岩波書店)。そうです、私は蔵書派です。本は身銭を切って買い、手元に置いておくべきだと考えています(部屋は狭くなります)。
 本を読むということは、優れた他者との出会いであり、対話の経験です。問いかけを抱き、何かを求めて本を手に取り、著者と対話するわけです。実際に会って話すわけではありませんが、良い本であれば、書いた人の息遣いも感情も感じられますし、その人の認識や理解はむしろ凝縮されています。また、書き言葉には話し言葉にはない良さがあります。書き言葉には、話し言葉にはない表現のバリエーションがあります。人は言葉で思考しますから、言葉が豊富であれば、思考も感情も複雑なものになり、ひいては感覚をも鋭くしてくれると感じます。
 本を読むより、実際に体験することの方が大事だという向きもあるかと思います。しかし、本を読むことを通じて、自分の経験をしっかり捕まえる、その意味を確認するということもしやすくなります。「暗黙知」という言葉があります。言語化や意識化は難しいけれど、無意識的には、あるいは身体的・感覚的には分かっている、というような質の知識のことです。そうした暗黙知や身体知の次元にあったものが、優れた著者の言葉によって言語化された文章に出会うことがあります。そうした、「そうそう!」という読書体験は、自分を肯定される体験であり、とても勇気づけられますし、さらなる経験へと後押ししてもくれます。
 読書によって、コミュニケーション能力の向上も期待できます。相手の話の要点をつかみ、そして自分の理解しえたところを伝え返すことは、コミュニケーションの基本です。本を読み、論旨・要旨を理解する能動的営みを日常的におこなっていることで、相手の話の骨子をつかむ力を上げることができます。投げかけられ、受け取ったものに、自分なりの理解で角度をつけて返す、例えば自分の実感に即した言葉に換えて返すことができたなら、対話の相手も自分の話がしっかり伝わり、生かされていることを実感できるかもしれません。本を読むことで、他者をイメージしやすくなる、他者とアイデアを共有するための表現も見つけやすくなるということです。
 とりとめなく語ってきましたが、同じ事を言い方を換えているだけのような気がしてきました。つまり本を読むということには、コミュニケーションにとって大事な要素が詰まっています。コミュニケーションとは、言うまでもなく自己形成にとって不可欠な要素です。本を読み、コミュニケーションに、世界に開かれていく中で、自分が追うべきテーマや方向性を見出すことだってできるでしょう。
 皆さん、本を読みましょう!なるべくたくさん!

第3回閃きスコップの思い出

中田 行重 教授

 小学生の娘が翌朝のサッカーの練習試合に持っていくというので、(普段は、子どもにさせるのだが、その時は、たまにはやってやろうと思い、「今日はパパが入れておくから」と言って)、私がサッカーボールに空気を入れてやった。娘は空気で固くなったボールを触り、「かた!」と言いながら、空気が漏れないようにと、空気穴に何と、セロハンテープを貼る、と言う。私は「土の上で蹴るんだから、すぐ剥げるよ」と言ったが、子どもが「でも…」というので、「そうやね、練習中空気が抜けたら困るしね。まあ、やってごらん」と言った。娘は「うん」と言って、真剣な表情でテープを貼った。
 娘の様子を見ながら、伯父のことをふと思い出した。
 私がまだ小学生低学年の頃だった。伯父のうちに遊びに行くと、一緒に潮干狩りに行こうか、と言ってくれるではないか。うん、行こう!ということになったが、あいにく、スコップが1つしかなかった。当時のその田舎には、今のようにホームセンターなどなく、どうしよう?となった。伯父はシャベル(畑を耕す大きいスコップ)を持ち出してきて、「これは大き過ぎるしなあ」と言い、二人で笑った。しかし、ないものはない。「ボクはカニをつかまえるから、おいちゃん(伯父のこと)が貝を取ったらいいやん」と私は提案したが、伯父は「カニはいいけど、せっかく潮干狩りに行くしなあ…」と言う。その時、私は素晴らしいアイデア!を思い付いた。それは、伯父の家にあった2センチ角の角材を40~50センチの長さに切って、その先に一辺が12~3センチ程度の長方形のべニア板を釘で打ち付ける、つまり、木製のスコップを作る、というものだった。これなら簡単に作れて、貝が掘れるぞ、と思い、そんなアイデアを思いついたことに「自分は冴えてるなあ(もしかして天才かも!)」というような軽い興奮を覚えた。伯父は小学生の甥のけなげな提案をむげに却下するような無慈悲な人ではなかったので、「うーん」と渋い表情で承諾しつつ、「木ではダメと思うけどなあ」と言いながらも、ノコギリと金槌、釘をもってきて、私の目の前で、そのスコップを作ってくれた。私は満足だった。潮の引いた海を先のほうまで伯父と歩いて行く間も私はその自慢の“閃きスコップ”で濡れた砂浜をちょこちょこと掘ったりした。これはイケる!と思っていたと思う。いよいよ場所を定めて潮干狩りを始めた。天才的閃きの自信作スコップのはずだったが、そのべニア板はものの数分もしないうちにあっけなく割れ、使い物にならなくなった。私はその時、残念と思ったが、それは一瞬のことだった、と思う。すぐに伯父から本物のスコップを借りて、貝堀りを始め、潮干狩りを一日楽しんだ。伯父はどうしたか?確か、シャベルを持って行っていたような記憶がある。
 伯父はもういない。最期は脳腫瘍で亡くなった。子どもがいなかった伯父は私を可愛がってくれた。大学院生になった私が時々、大学からの帰りに車で寄ると、「今日はここで寝ていけばいいじゃないか、飲もう」と言って、私が来るのを歓迎してくれた。大人扱いしてくれているのを私は感じた。もともと伯父は遠慮の人だった。その伯父が、私に「飲もう」と誘ったその時は、私を大人として扱いながらも、遠慮を僅かに緩めて伯父自身の欲求の表出に少し寛容になっていたような気がする。それが私は嬉しかった。伯父と気持ちが行き交った大事な思い出である。そのうち、伯父は死病を患い、一緒に飲むことは出来なくなった。学位を授与されたことを枕元に報告に行くと、脳腫瘍で震える手で祝儀封筒に自分の名前を書いて、苦しそうに喜んでくれた。
 役に立たないアイデアであっても、思いついて、やってみることが人を成長させる。その試行する自由を保障しようとするのが私のカウンセリングの核になっている。娘がサッカーボールにセロハンテープを貼るのを見ながら、私のカウンセリング実践の核の部分には、伯父のような身近な人達との濃い触れ合いがあると思った。それは既に何度も再確認したことだが、そのたびに、温かい気持ちになる。その私が、人の成長力を信ずるロジャーズ理論を学ぶ人生になっていることを幸せに思う。
 ところで、娘のセロハンテープはすぐ剥げたらしい。

第2回既存の枠を越えていこう!

阿津川 令子 教授

 私が大学院修士課程を修了した頃には「臨床心理士」という呼称はなく、「臨床心理学」は心理学のなかでは片隅に追いやられたような領域でした。その頃のことを思えば、「臨床心理士」「臨床心理学」「カウンセリング」などの認知度は格段に上がり、隔世の感があります。
 しかしながら、人が生きる中で行き詰まったとき、悩みが深くなったとき、心が病んだとき、精神的に大きなダメージを負ったときなどに心理臨床サービスを利用しようと、一体どれくらいの方が思いつくでしょうか。また、市井の人々が気軽に利用しやすい心理臨床的なサービスの提供はなされているのでしょうか。私たち心理臨床家は今後まだまだ、自分たちのしている仕事の認知度を上げ、社会的に貢献する幅を広げる努力をしていく必要があるでしょう。
 そのためにも院生諸君は、視野を広く持ち、世の中で起きている様々なことがらに注意を払い、豊かな感性と鋭い知性でそれらの事象を受けとめていかねばなりません。臨床心理士をめざして学ぶということは、体系化された学問や知識・技能を単に学ぶだけでなく、近接領域である社会学、文化人類学、宗教学、社会福祉学、医学など最新科学の領域から、さらには芸術、文学までにも及ぶ「ありとあらゆる人としての営み」に関心を向け、主体的に学んでいくことでもあるのです。
 これからの心理臨床を担って生きる皆さんは、新しいひらめきと若いパワーで既存の枠を越え、様々な領域で様々な方々とコラボレーションをしていく可能性に満ちています。人、家族、地域、組織、社会が健康的に機能できるよう誠実に働き、信頼される臨床心理士に育っていってくださることを期待しています。

第1回〈在外研究便り〉憧憬に満ちた問い~観察と集中を巡って~

池見 陽 教授

 タイ王国の北部、チェンマイ市街地を抜け、森の中のデコボコ道を約70キロ走行する。ミャンマーとの国境に近い森の中には日本のドキュメンタリー番組で観たことがある首長族やカレン族が暮らしている。標高が六百メートルのためか、あるいは雨期のためか、七月でも半袖では少し肌寒い。そんな森の中にあるWat Tam Doi Tohn という仏教寺院では、僧侶たちがひっそりと暮らし、年に数回、リトリート(体験会・修行)のために、一般の瞑想者を受け入れて指導している。タイ語でwatは寺、tamは洞窟、doiや山という意味があるから、この寺院の名前は概ね「トーン山洞窟寺」というところだろうか。
 寺院の敷地内には僧侶の生活のための宿坊などとは別に、瞑想者のための食堂や宿坊もある。比較的大きな二階建ての仏堂は、下の階も上の階も瞑想のために用いられる。そして、寺の敷地内にある大きな岩肌には、自然に岩石が落下して大きく口を開けた洞窟がある。そこに仏像を置き、一部に床を敷けば、これも立派な仏堂となる。オレンジ色や赤色(ミャンマーの寺院出身者)の袈裟を僧侶たちは身にまとい、一般の瞑想者は上下白色の服を着る。洞窟の中には白、オレンジ、赤の衣装を着た人たちが整然と並び、姿勢良く座って瞑想している。
 日本の「出家」という言葉のニュアンスとは、タイの仏教事情は異なっている。期限付きで修行僧になることも可能だし、また、僧侶になっても、ある時期がくると袈裟を脱いで一般の生活に戻ることもしばしばだ。このような習慣があるからか、ここには外国人僧侶たちも「出家」して来ている。
 この国では僧侶は大切にされている。Wat Tam Doi Tohnの僧侶たちは朝6時ごろから托鉢に出掛けるが、その時間に付近住民たちはちゃんと通りに出てきて、食べ物を僧侶に捧げる。「住民たちは自分たちの収入の三分の一相当の捧げ物をするんだぜ」とアメリカ人修行僧が驚いていた。それほど僧侶は尊い者と認識されている。瞑想者たちの食事は托鉢とは別に調達されたものだと思うが、この寺院での食事は量質ともに充実していた。もちろん野菜料理だけだ。そして東南アジアやインド・ネパール・ブータン・チベットなどと同じように、僧侶や修行者は一日2食で暮らす。午前6時ごろと午前11時ごろに食し、午後からは何も食べない。これは釈迦の習慣を受け継ぐものだ。
 上下白い衣装を身に纏い、バッグパックを背負った僕は寺の門をくぐった。「とうとうここまで来てしまったか」と心の中で呟いた。そもそもWat Tam Doi Tohnを紹介してくれたのはネパールで出会ったフランス人の元僧侶だった。彼はミヤンマーでも修行していたことがあり、その伝統を受け継ぐこのWat Tam Doi Tohnには袈裟を脱いでからも何度も訪れている。「俺にとっては世界で最も素晴らしいところなんだ」と彼は熱心に語っていた。彼がここの僧長に推薦文を書いてくれたおかげもあって、僕は在外研究の計画を変更して、一度は出国したタイに、ロンドンから戻ってきてしまった。「心」あるいは「心理」というものをどう捉えていくのか、僕の関心はここに帰着し、どうしても仏教瞑想者たちが、彼らの経験を通して浮かび上がらせている実態に触れてみたかったのだ。
 ネパールのアーユルヴェーダ(古代インド医学)医院で1ヶ月、心身の「治療」について体験させてもらった僕は、心理療法を含む西洋の医学や治療の考え方とのいくつもの共通点や相違点を朧気に感じ取っていた。それらの知的な整理が進まないうちに、次はタイのバンコク市街地にある寺院で仏教瞑想の手ほどきを受けた。東洋的な心ないし心身の捉え方を朧気に経験の隅に暗在させたまま、僕はヨーロッパに飛んだのだった。
 ヨーロッパのあちこちを主に列車で回った。忙しかった。アテネで講演、スイスの国際会議では2つの研究発表、フランスとベルギーで研究者たちと懇談、イギリスでは二つの大学で講演、そのうちの1つでは博士論文の学外副査まで引き受けてしまった。
 そうやって講演や発表や懇談をしている中で、僕たちが研究している今日の心理療法は、仏教瞑想と深く繫がっていることを僕は感じていた。それは、英語で思考し、講演し、執筆し、発表し、懇談しながらも、西洋的な心理学理論とはどこか異なる捉え方をしている自分に気づいていたり、英語で話しながらも、議論の焦点を異質に感じている自分がいることがはっきりする瞬間が訪れることがあるからだ。それは、概念に出発し、概念と概念の関係として理論を構築する西洋の理論のあり方への違和と言ってもいいのかもしれない。つまり、これを心理療法の実践の中で例示すると、クライアントが話すこと、感じることを概念として理解し、聞こえてきた概念と概念を繋ぎ合わせ、クライアントが語る体験を理論として捉えてしまうあり方への違和なのかもしれない。むしろ、体験の流れをあるがままに観察し、それについて省察していくような体験中心の視座を拠り所としている自分がいることが、僕の講演や発表の中で際立ってきていることに気づく。そして、体験をあるがままに観察していると、体験内容が変化していったり、体験の仕方が変化していくのだ。しかし、こういったことについては、仏教瞑想は数千年も前からそれと取り組んでいるではないか。
 最近の西洋心理療法もこの点に着目して、仏教瞑想は心理療法家の間では注目されるに至っている。「マインドフルネス」という用語は今日の西洋心理療法実践のあちこちで耳にするようになった。しかし、この「マインドフルネス」はある種の仏教瞑想を指す言葉で、元々は釈迦の八正道の中の「正念」を意味している。
 しかし、どこかで僕はマインドフルネスに関する論文や著作を避けてきたと感じている。「今度、読もう」「暇ができたら読もう」などと人に勧められた話題作や学術文献を後回しにしてきたし、今もそうしている。このような著作を読む前に、自分で体験してみたいのかもしれない。いや、読んでおいた方が自分の体験が広がることはわかっているのに、それらをちゃんと読まないまま、とうとう、ここ、Wat Tam Doi Tohn まで来てしまったのだ。
 僧長のフラ・アジャーンは修行に来ている外国人3人のために特別に質疑応答のための時間を何回か設けてくださった。外国人3人とは、アメリカ人尼僧(チベット仏教・ブータン系)、オーストラリア人尼僧(チベット仏教・ネパール系)と僕だ。ここに通訳ができるタイ人修行者一人とアメリカ人修行僧二人が同席した。ところで、このアメリカ人修行僧の二人とはとても近親感があり、滞在中、彼らに支えられている感覚があった。一人は日本で暮らしたことがある日系二世で、もう一人は僕が住んでいたボストンの出身だった。また、どちらも僕をここに紹介したフランス人の元僧侶と仲良しだった。

 フラ・アジャーンは椅子に座り、一行は床に座って、僧長と彼を通して伝えられる教えに敬意を表して、両手と額を床に付ける礼を3回繰り返した。もっとも、関節痛で膝が曲がらなくなっている僕は特別に椅子に座ることが許され、椅子に座ったまま3回お辞儀をした。
 「フラ・アジャーンに質問します」僕の順番が回ってきたので、質問を始めた。「心理療法での心理的変容への道は一人一人異なっていて、個性的なものです。もちろん、共通点や共通の手法などがあって、それらが心理療法の学問なのですが…要は変容への道は個性的だ、ということです。さて、悟りへの道はどうなのですか? 一人一人違っているのか、それとも、悟りへの道はひとつなのか」
 「それはひとつだ。ひとつの道しかない。しかし、修行者は一人一人、2つの容量で異なっている。だから、道が人によって異なっているように見えるだけだ。人が異なっている点のひとつは集中、そして、もうひとつがヴィパサナ(知恵・洞察)だ。この二つは人それぞれ違っている。だが、道はひとつなんだ」
 「フラ・アジャーン、ありがとうございます。あなたはそのふたつの点に注目して修行者を観ておられるのですね。そこで次に質問してもいいですか」
 「どうぞ」
 「集中とヴィパサナと仰いましたが、集中は瞑想で高められるのでしょうか」
 「そうだ」
 「では、ヴィパサナはどうです。人によってその容量が違うということでしたが、ヴィパサナはどうやったら容量が増えるのですか」
 「それは観察だ。それは観察によって高められる。そして観察と集中は相補っている」
 「観察…観察と集中…ありがとうございます」
 しばらく僕の中でこの「観察と集中」という言葉が脳裏でこだましているような感覚があった。身の内として感じられる体験世界を観察し、その観察に集中する….それは僕たちが研究しているフォーカシング指向心理療法の実践と合致するようでもあり、また厳密なところでは同一のことではないように感じられた。この、同質でありながら同一ではないような、なんとも言えないもどかしさが僕を襲った。それは、2000年あるいは2500年先輩の言っていることがわかるようで完全にはわらないもどかしさのようなものでもあった。
 それでもこの「観察と集中の両輪」という考え方は朧気に僕の身の内に植え込まれたことは確かだ。タイ王国を離れたあと、僕はニューヨークで講演することになっている。そのときまでに、僕はこの身の内に植え込まれた種を育てることになるだろう。それが視点となって、言葉となって、あるいは行為となって、僕と他者とのかかわりの中に芽生えていくのだろうか。ニューヨークからサンフランシスコに飛び、仏教瞑想とフォーカシングを研究している現地の大学教員たちと一緒に一週間ほど時を過ごす。そのころには何が芽生えているのだろうか。この言わば憧憬に満ちた問いへの答えは、今の僕には計り知ることはできない。そして、サンフランシスコから太平洋を渡って、僕の半年に及ぶ世界一周の在外研究は関西空港で一円を結ぶ。

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