コラム

第3回 2011/7/1

夏祭りの季節

関西大学文学部教授/センター研究員
黒田 一充

天神祭の鉾流し神事

天神祭の鉾流し神事


「豊臣期大坂図屏風」住吉祭行列のアハラヤ

「豊臣期大坂図屏風」住吉祭行列のアハラヤ


生根神社のだ
いがく

生根神社のだいがく

 大阪では7月が近づくと、「愛染さんから住吉さんまで」という言葉がよく聞かれる。7月24・25日の大阪天満宮の天神祭を中心に、6月30日の勝鬘院愛染堂の愛染祭りに始まって8月1日の住吉大社の住吉祭まで、ほぼ1か月間、大阪が夏祭りの季節に入ることを表す言葉である。

 京都は祇園祭が有名で、日本各地でも祇園祭が行われたり、山鉾をまねた山車などがつくられていることから、夏祭りが盛んな印象が強いが、実際には稲荷祭や松尾祭、賀茂祭など京都の主な神社の祭りは4月から5月に集中している。

 夏祭りは、春や秋のような農耕に関わる祭りではなく、夏に発生する飢饉や疫病の流行を鎮める目的で行われる。天神祭では、祭りに先だって、大川(旧淀川)で鉾を流し、その流れ着いた河口に近い場所へ神輿を船に載せて向かうことが、本来の祭りの儀礼であった。災厄を海の彼方へと放逐する意味があったのである。現在でも、祭りの初日に中之島公会堂の北東にある鉾流橋付近で、この儀礼が行われる。

 住吉祭も堺の宿院へ神輿の渡御が行われるが、江戸時代の記録では、行列に参加するアハラヤと呼ぶ馬に乗った人物に対し、堺の人びとが大声でののしったという記述がある。この人物も、災厄を背負った祓い人形のような役目を負っていたのだろう。

 もうひとつ指摘されている夏祭りの特徴は、氏子の人びとなど、祭りの当事者以外の大勢の見物人を意識して見せる要素が競われる点である。

 現在の夏祭りの地車(だんじり)は、平野の杭全神社の9台が多い方だが、安永9年(1780)には天神祭で71台の地車が宮入りした記録がある。玉出の生根神社では、高さ約20メートルの柱の先に鈴鉾を付け、その下に円錐形の布や神名を記した額と79個の提灯を吊した台額(だいがく)が、大勢の人びとによって舁かれた。現在、この大型の台額は据え置くだけで、中型の台額の提灯に火を灯して舁くようになっている。

 オーストリアのグラーツ市で見つかった「豊臣期大坂図屏風」には、住吉祭の祭礼行列が描かれている。そのため、各地に残る住吉祭礼図を比較する作業を行っているが、神輿と神職以外は、行列に描かれた人物たちの順番が同じものはひとつもなく、なかには武者行列や南蛮人の仮装も登場する。行列の出し物は、年ごとにかなり変動があったようである。

 蒸し暑い夏を乗り切るための祈りの儀礼であるとともに、こうした毎年の祭りの出し物を見る楽しみや期待から、多くの見物人が集まり、その人びとも夏祭りを支えてきたのだろう。

 今年は春から祭りが中止になった所も多い。こういう時だからこそ、夏祭りで沈滞したムードが吹き飛ばされることを期待したい。

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