関西大学 大学院インフォメーション2018
4/90

02未来を問い、そして挑戦する。複合的視野から アジア文化を捉える● 文化交渉学とは、一言でいうと「文化は交渉することで形づくられる」という視点を基本とします。どのような文化でも、ほかとの交流や接触を持たず、ガラパゴス諸島のように孤立して進化してきたという例はなく、必ずほかの地域の影響を受けて発展しています。たとえば、中国は仏教の影響を強く受けていますが、仏教の教えはインドから来ています。また、日本の伝統文化を代表する茶道は中国に起源があります。このように、各国の文化は固定されておらず、他の地域の文化を受け入れ、自国の文化や慣習に合わせて変化させているのです。「受容」と「変容」は文化交渉学の重要なキーワードなのです。● 今、研究していることの一つに儒教の「儀礼」があります。儒教では儀礼が発達しており、冠婚葬祭の儀式はその中で特に重要とされます。12世紀の朱熹が著わした『家礼』─これは文字通り家の中で執り行うべき冠婚葬祭の儀式マニュアルで、朱子学とともに東アジアに広く受容されました。しかし、ほとんど研究されていなかったため、私の方で資料を整理し、『家礼文献集成日本篇』全六冊(関西大学出版部、2010~2016年)にまとめました。また、2009年には韓国の国学振興院の朴元在先生と国際シンポジウムを開催し、論文集『朱子家礼と東アジアの文化交渉』(汲古書院、2012年)を出版しました。さらには、2015年に「文化交渉学研究拠点(ICIS)」で国際シンポジウム「文化交渉学のパースペクティブ」を開催し、その論文集も出版しました。 礼に関しては、さらにベトナムの『家礼』を追いたいと思っています。また、近代日本の漢学にも注目しています。日本の学問は明治維新により、それまでの古い中国の漢学から新しい西洋の学問に瞬時に切り替わったわけではありません。日本が近代化を遂げて行く中で、漢学や漢詩は大きな役割を果たしました。また、日本における漢詩の教養は明治時代に最も普及し、新聞にも漢詩欄が設けられる程でしたが、その研究はほとんどされていません。まずは漢学者、儒学者を掘り起こし、その著作を整理するところから進めたいと思っています。● 2007年、文化の交渉に関心を持つ先生方とともに、文部科学省グローバルCOEプログラム「東アジア文化交渉学の教育研究拠点形成」を申請し、採択されました。これにより、2008年に文学研究科内に文化交渉学専攻、2011年に東アジア文化研究科・文化交渉学専攻を開設しました。2012年から文化交渉学研究拠点を設置し、グローバルCOEとしての研究機能を引き継いで発展、充実させ、2014年より私がそのリーダーを務めています。近年、文化交渉学においては、複眼的な視点からさまざな成果が生まれています。私も中国のみを研究対象にしていましたが、日本や琉球、韓国・朝鮮、ベトナムへと関心が広がりました。考えてみれば当然のことで、儒教一つとっても東アジア全般に広がっており、その歴史の究明には中国はもちろん、東アジア各国についても知る必要があります。 また、東アジア文化研究科には東アジア各国からの留学生が多く在学しています。留学生の博士論文の一つに「ベトナムにおける『二十四孝』の研究」があります。「二十四孝」とは中国の有名な教訓話ですが、日本の御伽草子やベトナムにも同様の話が伝わっており、それらの国々を知る者にしかできない研究と言えます。ほかにも、「京城帝国大学における近代韓国儒教研究の展開」などもあり、こちらも儒教を東アジアの文化交渉という視点で取り上げた新しい研究成果と言えます。さらに、修了生は北京大学、台湾大学、ベトナム国家大学といった名門大学の専任教員となって活躍しており、その研究は海外でも高い評価を受けています。 東アジア文化研究科を東アジアにおけるハブ研究科とし、修了生とのネットワークを生かして研究を深めていけるよう期待しています。● 泊園書院は、江戸時代後期の1825(文政8)年、藤澤東畡により大坂に開かれた漢学塾です。東畡の子の南岳、南岳の子の黄鵠・黄坡、そして黄坡の義弟・石濱純太郎に受け継がれ、その教えを受けた門人は、1948(昭和23)年に泊園書院が閉じられるまでの120余年の間で1万人を超えるとされています。江戸から明治・大正・昭和前期に渡る激動期を歩んだ漢学塾はほとんどありません。適塾が1868(明治元)年に、懐徳堂が1869(明治2)年にそれぞれ閉校となった後、近代的学制が整う明治中期まで、泊園書院は大阪の学術と教育を維持、振興してきた大阪最大にして最高の学問所と言えます。 泊園書院は、政界・官界・実業界・教育界・ジャーナリズム・学術・文芸などの分野に多くの人材を送り出しました。藤澤黄坡と石濱純太郎は関西大学で長く教鞭を執り、黄坡は本学初の名誉教授、石濱は本学初の文学博士号取得者となりました。さらに、石濱は本学への「泊園文庫」寄贈や東西学術研究所の創設、文学部東洋文学科の開設等に尽力しました。大阪を代表する学者であった彼らを通し、江戸時代以来の長い歴史を持つ泊園書院の知的伝統が関西大学に合流しているのです。これまで、泊園書院は「知る人ぞ知る」学問所でしたが、その存在と意義の大きさは今後ますます明らかになっていくことでしょう。越境する文化の「受容」と「変容」を追う儀礼をはじめ、さまざな文化交渉を世界へ発信東アジア文化交渉学の研究拠点として関西大学のもう一つの源流、泊園書院東アジア文化研究科 文化交渉学専攻吾妻 重二 教授1985年早稲田大学大学院文学研究科博士課程後期課程所定単位修得後退学、博士(文学)、博士(文化交渉学)。1987年本学文学部専任講師、1990年助教授、1997年教授。日本中国学会理事、グローバルCOE「文化交渉学教育研究拠点」(ICIS)事業推進担当者、文学部長・文学研究科長・東アジア文化研究科長などを歴任。現在、東アジア文化研究科副研究科長、泊園記念会会長、文化交渉学研究拠点(ICIS)リーダーなどを兼任。Azuma Juji◆研究室紹介東アジアの思想と宗教をフィールドとし、中国近世儒教史の研究から出発しつつ東アジア文化の多様性に着目し、現在は中国のほか韓国・朝鮮、琉球、ベトナム、日本の儒教、儀礼、祭祀、私塾などについて精力的に研究しています。また、関西大学のルーツの一つであり、明治中期まで大阪の学術と教育を維持、振興してきた大阪最大にして最高の学問所である泊園書院についての研究も進めています。

元のページ  ../index.html#4

このブックを見る