【関大社会安全学部 リレーコラム】コロナ禍に求められる力と防災

先日、災害メモリアルアクションKOBEという阪神・淡路大震災のメモリアル行事に参加してきました。この行事は阪神・淡路大震災1年の節目に第1回が開催されてから毎年1月に開催されています。今年は26回目でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて開催が危ぶまれました。しかし、対面とオンラインのハイブリッド形式で開催されました。
ちょうど1年前にコロナ問題が顕在化してから、私たちの生活はさまざまな制約を受けています。読者の皆さんもいつも通りにできないことの連続で、フラストレーションが蓄積していることでしょう。上記の行事は形を変えて開催されましたが、中止せざるを得ないこともたくさんあります。コロナ禍の暮らしとは、まさにこうした判断力が求められます。「これまでもやっていたからなんとなくやる」が許されません。そして、いかにこれまでそうした「なんとなく」が多い生活を送っていたのかと驚かされます。
いつも通りにできない場面で判断を下すときに大切になるのが、その活動の目的が何であったのか、いつもと同じタイミングで、いつもと同じ方法で実施しなければならないのか、といったことです。このプロセスの中で、より魅力的になった活動もあるでしょうし、不要な活動として実施そのものが見直された活動もあるでしょう。
話を戻しますが、災害メモリアルアクションKOBEという行事も、同じようなことを行っています。つまり、阪神・淡路大震災の教訓として実施されてきたこと一つひとつに注目し、その目的は何であったのか、方法は妥当なのか、効果は出ているのかを丁寧に検証しています。「なんとなく」は許されません。それではこの震災から学び次に生かすことができないからです。
阪神・淡路大震災から26年。「未災者」が大震災を知り、さらに「未災者」に伝え、つないでいく時代に求められる能力は、コロナ禍にも不可欠な能力なのです。
(関西大学社会安全学部教授 奥村与志弘)(2021-01-18・大阪夕刊・夕刊特集掲載)