『被災地に学ぶプロジェクト』③津波被災地訪問(2日目)

 二日目のプログラムは、ニュー泊崎荘がつくって下さったおにぎりを朝食にほおばりながらスタートです。車を北に向かわせ、車中から気仙沼市の被害を視察しました。気仙沼市は津波の被害があったところとそうでないところの差がはっきりとしています。

 その後、再び南三陸町方面に戻り、道中で津波による浸水予想の看板が、津波によって倒壊している現場を見ます。想定ではこの看板までが浸水予想区域なのですが、実際にはずいぶん上まで津波が押し寄せてきたことがはっきりと分かります。
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〈津波で折れた「津波浸水想定区域」の看板〉

 ベイサイドアリーナ下のエムズ食堂にて昼食を取ります。この食堂、元々デザインTシャツの販売を行っている企業の経営者が、倉庫だったスペースを改修して営業しているものだそうです。地元では営業している飲食店も少なく、来客のほとんどは外部から来た応援の方々だそうですが、夜は居酒屋として地元の方の数少ない憩いの場になっていると言います。
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 〈エムズ食堂にて〉

 その後、南三陸町立歌津中学校を訪問。バスを降りて校舎内にて校長先生のお話を伺う予定でしたが、同中学校に急遽有名人の来客があるということで、その準備や対応のため校舎が使えず、やむを得ずバスの中での講演になりました。
 校長先生は歌津出身で、小さい頃にチリ地震津波を経験しているとのこと。そのときからの教訓で、とにかく津波が来たら高いところに、一直線に逃げろということが、親からもずっと伝えられてきたと言います。それも他人に構わず、とにかく自分の命を守ることを最優先に考えろと。これが「津波てんでんこ」です。今回の震災でも、校長先生自身が中学校より低いところにある小学校にいる子ども達に、中学校まで避難するように大声で呼びかけて、難を逃れたと言います。子ども達にはほとんど被害は無かったそうですが、親で消防団員の方が無くなったケースが何名かあるそうで、そのお話は聞いているものの涙を誘うものでした。
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〈歌津中学校。グラウンドの半分が仮設住宅のスペースに利用されています。〉

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〈歌津中学校校長・阿部友昭先生による講話。急な来訪者があるとのことで、急遽バスの中での実施。〉

 ツアー最終版は、仙台市内に戻って、荒浜地区の被災の様子を見学。広大な平野部には多数の住宅があったことが伺えますが、ほとんど何も残っていません。リアスであれば、山の斜面が近くにあるので高台に避難することは比較的容易ですが、これだけの平野部では避難すべき場所がほとんどありません。ある小学校では、児童を自宅に帰してしまったために、帰った児童とそれを追った教師が津波の犠牲になったという話も船田さんから紹介がありました。

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〈荒涼とした荒浜地区の様子。奥に見えるのが荒浜小学校。〉

 以上の行程を終え、心配された渋滞もなく順調にツアーが進み、16:30に仙台駅に到着し、そのまま解散となりました。教員、学生、それぞれが、被災の実態を学び、いろんなことを深く感じたと思います。解散時には皆、名残惜しそうで「今後の被災地が気になります」「また来たいです」という声も学生から多数聞かれました。これをきっかけとして、さらに社会安全学を深く学びながら、被災地との関わりを持ち続けていってもらえたらと思います。