Professor's Columns

第38回2007年12月17日

広告は世界を平和にするか

マス・コミュニケーション学専攻  水野 由多加 教授

 コロンビア大学(アメリカ、ニューヨーク州)ビジネススクールの広告論担当J.プラマー(J. Plummer)教授が来日し、ほぼ10年振りに彼と話す機会が持てた。彼自身のキャリア、広告業、研究機関、大学を通じ、広告研究という専門を持って人々に語ることに卓越する彼は多くのアメリカ人が理想とする「講演(public speaking)の名手」。持論は「広告は世界を平和にする」という、聞き方によっては宗教家の折伏のようなことを言う。

 誤解を恐れずに私なりの言葉で彼の言わんとすることを要約・解説すると次のような論旨となる。

 優れた広告表現は、多くの人が気付いていないが、多くの人が「言われてみればその通りだ」という消費者洞察(consumer insight)を踏まえ実現している。多くの人が日常生活であらためて立ち止まることなく、しかし考えてみれば共通して納得できることとは、例えばオノ・ヨーコ氏の反戦キャンペーンでありCDタイトルでもある「戦争は終わらせることが出来る。なぜならそれは人の心の中からしか始まらないから。」にも見られる。仮に多くの人が究極において賛同できるが、未だ自覚し、世に顕在化していないような「向社会的な洞察」をもって、広告の受け手の気付きに棹差し、人々の考え方に納得されるような方向を後押しできるならば、論理的に究極において「優れた広告表現は世界を平和にする」可能性がある。広告からそのパワーを関係者は引き出す使命がある。

 たしかにマス・コミュニケーション理論が明らかにする知見に整合して、優れた広告は「あらかじめ人々の考えにある何か」を強め、隠されていたことを明らかにするものであって、心の中に全くなかった方向に人を導けるようなものではない。その広告に接する以前から持っている先有知識や経験に照らして広告は解釈され、受容されたり、無視されたり、意味が分からなかったりするのだ。自由意思を持った人間に対する消費者洞察とはそのようなことの確認と触発であり、engagement(消費者との協創)などともプラマー教授自身が昨今は名付ける広告の目指すひとつの適切な状態である。
「あらかじめ人々の考えにある何か」とは、失われたかもしれない「真」「善」「美」に関わるような社会的イシューにもあてはまる。公共広告にこのことは限らない。

マス・コミュニケーション学専攻

水野 由多加 教授
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